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ラオスのホラー映画「Dearest Sister」 [ラオス]

ラオス=フランス=エストニアの映画「Dearest Sister」(2017)は、例えると、ビエンチャンを舞台にした〝世にも奇妙な物語〟的なドラマだ。ラストはちょっとゾーッとさせる展開になるが、全体的には不思議なお話。Mattie Do監督は、ラオス映画を初めてカンヌのフィルムマーケットに出した監督とのことで、本作は彼女の2作目。欧米で映画製作を学んでいて、SFXも使われ、タイのホラー映画のような仕上がりである。
貧しい田舎暮らしから出稼ぎのような形で、娘Nokが、都会のビエンチャンで暮らす従姉Anaの家で暮らすようになる。ヨーロッパ人の夫は事業をしていて、住込使用人もいるAnaの暮らしぶりは裕福である。ただ不幸なことに、Anaは眼を病んでいて、徐々に視力を失いつつある。Nokには、そのような従姉の世話が期待されるのである。
ここから先、不思議な現象が繰り返されていく。Anaの病んだ眼の前には時折、亡霊が現われるが、その亡霊の姿はNokには見えない。その霊媒行為の瞬間には、発作的にAnaの口から3つの数字が怯えるようにして呟かれる。それを覚えていたNokは、従姉が呟く数字どおりにロトくじを買うと、その度に大当たりが連発!
当たりの数字が予言できるというのは、物語的には少々都合がいいが、汗をかかずとも金を手に入れる方法を知ってしまうと、人間は変わるもの。Nokは段々と欲深くなり、欲深くなると、周囲との関係もこじれていく。Nokを演じる女優が僕のタイプの顔だちで、ラオスの普通の若い女性の自然な振舞いに見えて、表情もいい。
お告げのきっかけとして登場する亡霊じたいは、それほど怖くもなく観てきたが、後半になってこの亡霊たちは、これから命を落とす運命にある人々の姿が、これまた予言的に、Anaの前に現われているのだという仕組みに僕はやっと気付いた。
そうすると、結末は怖い。かすかな視力でAnaに一瞬だけ見えたものは、NokとAnaがこれから迎える血塗られた悲劇。それが、ほんとうに刹那の間だけチラリとみえてゾーッとするのだ。
蛇足だが、日本人役が一人出演していて、エンドロールの名はBrandon Hashimoto。エグゼクティブ・プロデューサーでもあるとのこと。
(2017年4月28日)

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異色の移民ドラマ「The Last of Us」 [チュニジア]

これまで、アフリカや中東から命がけでヨーロッパを目指す人々を描いてきた多くの映画のように、この作品「The Last of Us」(2016)の主人公も、アフリカから地中海の向こう側の世界へ渡ることを試みる。チュニジア=カタール=UAE合作だが、これが劇映画第一作のAla Eddine Slim監督がチュニジア出身であることから、おそらくこの主人公の若い男はチュニジアを離れたいのだろう。推測が必要なのは、この作品には全くセリフがないからで、登場人物も数えるほどだ。
映画は砂漠から始まる。男は仲間と砂漠地帯を越えていくが、その仲間とはそうそうにはぐれてしまう。密輸か何かのトラックに便乗して移動、海辺までたどり着くと、小舟を盗んで出航する。会話が一切なく、風や自動車の音といったノイズだけが強調されて聞こえ、男の行動が、いっそう、秘匿な不法行為にみえてくる。
小舟は難破してしまったらしく、動物捕獲用の罠に引っかかったことで男は意識を取り戻し、自分の居場所が迷い込んでしまった林の中であることに気付く。彼はそこで狩猟をして暮らしている野生人の男と出会い、その弟子のような形で,おそらく期待していただろうヨーロッパ世界での生活とは全く異なる原始的な暮らしを始めることになる。もちろん無言のままで。その師匠が命を落とし、最後に彼は,滝を前にして意を決したように丸裸になる。そして、彼の身体はしだいに自然風景の中に溶けて消えていく。主人公がたどりついたこの密林の世界は,彼が抱いてきた夢に対するアンチテーゼだったのか,それとも遭難した彼が迎えた死後の世界だったのか…。曖昧にして不思議な余韻を残す異色作だ。
第73回ベネチア国際映画祭で、優れた新人監督に贈られる未来の獅子賞を獲得したそうだ。
(2017年2月22日)

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Yosep Anggi Noen監督の最新作「Solo, Solitude」 [インドネシア]

何年か前の釜山国際映画祭で観た「Peculiar Vacation and Other Illnesses」(2012)の、心に染みいる男女間の機微が今も忘れられないYosep Anggi Noen監督は、その後には南城市をロケ地に沖縄県が製作して第7回沖縄国際映画祭に出品された短編「ルマ(Rumah)」(2015)の監督・脚本・編集も務めたそうだが、第69回ロカルノ国際映画祭では、最新作「Solo, Solitude」(2016)がワールドプレミア上映された。
先にシノプシスを読むと、民主化運動を封じ込めてきたスハルト独裁時代、活動家たちに大きな影響を与えたインドネシアの詩人Wiji Thukulについて描いたとのことだが、観終えて、なお前作同様に、男女の間にある、空気の流れのように眼にはみえない心のキャッチボールに深く感動した。
最初にテロップで、1996年に起こった民主化を求める暴動によって当局の取り締まりが激化し、Wiji ThukulはSoloの街から900km以上離れたボルネオに逃れたと説明がある。まずは社会派ドラマだろうかと思って観始める。Soloに残った妻子のところへも警察がやってくるだけではなく、日常を監視される。Wiji Thukulは避難先で名前を変えて詩を書き続ける。
男女間と書いたけれども、夫婦が揃う場面は最後にしか訪れない。それまでは別々の日々が過ぎるだけだ。それぞれの生活描写がまたいい。そして終盤に二人が旅館のひと部屋で密会する長回しの場面が、それがとくに感情的ではなくて日常のひとコマのようにさりげないのだけれども、かえって強く印象付けられる。この長回しの場面がエンディングとなって、ドラマは再びテロップの情報で締めくくられる。スハルト退陣時には、Wiji Thukulは行方不明になってしまっていたということ…。そうすると最後の場面がメモリアルのように思えてくる。
Soloという地名がそのまま英語題名になっているが、僕らが日ごろ単独、ひとりの意味で使う「ソロ」に重ねてみてしまうと、いっそう淋しくなる。
(2017年2月15日)


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Oliver Laxe監督の「Mimosas」 [モロッコ]

事前に眼を通したシノプシスでは、登場人物たちはアトラス山脈越えを目指すということなので、モロッコが舞台なのだろう。スペイン=モロッコ=フランス=カタール合作の、Oliver Laxe監督によるこの「Mimosas」(2016)は、十分には理解できないけれども、面白く観た。全体にわたって、宗教的な意味合いや解釈が込められているのかどうかまで、よくわからない。物語はひとつだが、3つの章に分けられている構成にも何か意味がありそう。しかしそういう重要かもしれないことを置いても、過酷な山脈を越えて遺体を届けようとするロードムービーとして、不思議に惹かれる作品だ。
移動を続けるキャラバン隊の中に、Sijilmasaという街で葬祭して欲しいとそこを目指したい老人がいる。しかしそうそうに息を引き取ってしまった。老人の目的地はルートから外れた山脈の彼方。危険だとキャラバン隊から遺体運搬を断られた老人の妻は、隊に混じっていた二人の若者に依頼し、それを引き受けた彼らの旅が困難を伴いながら始まる。
宗教家風の青年が道先案内人の如く二人に加わり、さらに口のきけない若い娘とその父親が加わる。厳しく険しい斜面や岩山が続く。遺体を乗せた馬が行方不明になったり山賊に襲われたりと、観ていて笑ったりハラハラさせられたり。
成り行き任せの旅なので、遺体運搬から誘拐された若い娘の救出へと、話が急旋回していきながら決着はみえない。みえないから心に留まった。
(2017年2月8日)


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パルヴィズ・シャーバズィー監督の最新作「Malaria」 [イラン]

第73回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門でワールドプレミア上映された,イランのパルヴィズ・シャーバズィー監督の最新作「Malaria」(2016)。
事件の遺留品なのだろうか,何かの手がかりと思しき携帯電話から再生される録画映像のなかから,物語が始まる。そこに自撮りで登場してくる娘と若い青年は駆け落ちしてきたらしい。それも身代金目的のこの娘の誘拐を装って。テヘランへと向かう彼女らがヒッチハイクしたのは,マラリアという音楽バンドのメンバーAziの車。Aziが仕方なく二人を自宅に招いたところ,彼じしんが誘拐犯を追って殺気立つ娘の父親や兄たちとの騒動に巻き込まれていく。
マラリアというバンド名、いや題名が、何だかこの国では刺激的に聞こえる。そもそもこのドラマの主軸にある、女性を取り巻く伝統という固い殻を破らんとする一人の娘の冒険が、イラン社会においては病気であって、社会に対して熱を発しているというのだろうか。主人公が到着したテヘランでは折しも、欧米の経済的制裁解除に導いたザリフ外相を讃える国民で溢れていた。イランの国力を守り抜いたからだろう。その一方で、主人公のような若い女性の勇気は守られない。
ところでイランは今また、トランプ米国大統領と向き合うことを余儀なくされている。
(2017年2月2日)


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第43回日本賞グランプリ作品「消えたブロガー“アミナ”」 [シリア]

2016年末、新聞のテレビ欄で午後をまるまる使って第43回日本賞の各部門受賞作品を紹介するNHK・Eテレの番組をみつけて、チラチラ観るつもりが、ラストの90分位のグランプリ作品に至っては、しっかり最初から最後まで観てしまった。
日本賞とは、NHKが主催している教育コンテンツの国際コンぺティションらしい。年少の部門ではサッカー選手を夢みるアフリカの少年や、難民キャンプのシリアの子どもたちを取り上げた作品などなどだったが、グランプリ作「消えたブロガー“アミナ”(The AMINA Profile)」は一般向けで、少々アダルトなテーマ。冒頭には若い全裸女性のセクシャルな映像も出てくる。ボカシは入っている(原版そのものの処理だろうか)けれども、休日午後のEテレからすると、ちょっとびっくり。
カナダ製作のドキュメンタリー作品だが、シリアのレズビアンの話だ。ダマスカスに住むという女性アミナが、2011年当時「A Gay Girl in Damascus」というブログを開設する。アサドの圧政への民衆蜂起を訴える一人の国民の声についての国際的な反応のみならず、中東の同性愛者からのエロティックな発信に対しての共感や好奇も重なって、世界に多くの読者を集めて、欧米のメディアも取り上げるほどになった。
そして事態が急転する。ブログに、アミナが現体制派のグループに拉致された!と彼女の親戚によって書き込まれたのだ。安否不明となり、フォロワーたちが米国政府を動かそうと働き始める。当時のこの事件の報道は僕にも記憶があるので、その顛末はおぼろげに覚えている。
じつはアミナなるレズビアンの女性は最初から存在しておらず、ブログはすべて、イギリス人の男性による作り話だったということが真相。そうそう、確かにそうだった。しかし、この事件のことを知らずに観ている人はもちろん、知って観ている人にとっても、サスペンスミステリーのように観ずにはいられない展開となっている。アミナの自画像が、全く無関係の女性写真のコピペだったことが発覚するくだりなどの詳細は、今回初めて知ったこと。
しかし何よりも、アミナは存在していなかったという事実じたいは本作のオチではなく、動機や人物像など、犯人(と呼んでいいのか)本人へのアプローチが後半の見せどころだ。この創作者である男性はシリア問題の研究者で、注目を集めるためにレズビアンを装ったが、ブログで訴えた中東の人々の苦しみは真実だと言い放った。
しかし、ネット上のアミナに恋をした各国の同性愛者はどちらにしろ浮かばれない。これぞ、まさにネット世界の闇だ。誰でも、ハーメルンの笛吹き男になることができる怖さがある。そういう危険性を、世界レベルでひしひしと感じさせる事例だ。
前に、同じEテレの番組「ねほりんぱほりん」で観た、ネット上の私生活を加工や借りもの画像で豪華に飾る「偽装キラキラ女子」なんて、今思えばちっちゃな嘘だ。
(2017年1月31日)

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2016年の良かった映画 [そのほか]

外国映画

★とくに良かった
消えた声が、その名を呼ぶ(ファティ・アキン監督/ドイツ=フランス=イタリア=ロシア=ポーランド=カナダ=トルコ=ヨルダン)
山河ノスタルジア(賈樟柯監督/中国=日本=フランス)
素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店(マイケ・ファン・ディム監督/オランダ)
或る終焉(マイケル・フランコ監督/メキシコ=フランス)
ブルックリン(ジョン・クローリー監督/アイルランド=イギリス=カナダ)
シング・ストリート 未来へのうた(ジョン・カーニー監督/アイルランド=イギリス=アメリカ
ハドソン川の奇跡(クリント・イーストウッド監督/アメリカ)
とうもろこしの島(ギオルギ・オバシュビリ監督/ジョージア=チェコ=フランス=ドイツ=カザフスタン=ハンガリー)
オマールの壁(ハニ・アブ・アサド監督/パレスチナ)
エル・クラン(パブロ・トラペロ監督/アルゼンチン)
エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に(リチャード・リンクレイター監督/アメリカ)

☆良かった
キャロル(トッド・ヘインズ監督/イギリス=アメリカ=フランス)
ヘイトフル・エイト(クエンティン・タランティーノ監督/アメリカ)
ボーダーライン(ドゥニ・ビルヌーブ監督/アメリカ)
ヴィクトリア(ゼバスティアン・シッパー監督/ドイツ)
帰ってきたヒトラー(デビッド・ベンド監督/ドイツ)
アスファルト(サミュエル・ベンシェトリ監督/フランス)
ジュリエッタ(ペドロ・アルモドバル監督/スペイン)

[日本映画]

★とくに良かった
リップヴァンウィンクルの花嫁(岩井俊二監督)
64-ロクヨン-前編・後編(瀬々敬久監督)
ディストラクション・ベイビーズ(真利子哲也監督)
日本で一番悪い奴ら(白石和彌監督)
シン・ゴジラ(庵野秀明監督)
君の名は。(新海誠監督)
オーバー・フェンス(山下敦弘監督)
淵に立つ(深田晃司監督)
湯を沸かすほどの熱い愛(中野量太監督)
この世界の片隅に(片渕須直監督)

☆良かった
俳優 亀岡拓次(横浜聡子監督)
海よりもまだ深く(是枝裕和監督)
団地(阪本順治監督)
永い言い訳(西川美和監督)
お父さんと伊藤さん(タナダユキ監督)

※ 1月1日から12月31日までに劇場で観た封切の新作133本から(映画祭上映などは除く)。順は年頭からの鑑賞順です

(2016年12月30日)

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21st BIFFから/ニューカレンツ部門の「A Billion Colour Story」 [インド]

受賞はならなかったが、ニューカレンツ部門にノミネートされたインド映画「A Billion Colour Story」(2016)は新人のPadmakumar Narasimhamurthy監督が脚本・撮影も務めたフレッシュな印象の作品だった。
その題名に反して、映像が一貫してモノクロであることについて違和感を覚えたが、ラスト近くの、ある出来事を境にしてスクリーンに色がつく瞬間に、それが本作のテーマにも繋がる大いなる仕掛けであることに気づかされる。(さてここから先は物語の結末に触れてしまいます。)
若いころに留学先の豪のフィルムスクールで出会った、ムスリムの父親とヒンドゥーの母親の間に生まれた、10歳くらいの少年Hariを中心とした物語。リベラルな考え方を持った両親は、混沌とした猥雑さも含め母国インドをとても愛していて、ボンベイで新作映画を企画している。しかし資金が集まらず自宅を手放さなくてはならなくなり引っ越し先を探すのだが、ここから一家はムスリムに対しての不当な扱いに直面していく。一家のライフスタイルは宗教的偏見からは自由であるため、周囲と激しいハレーションを起こす。
小さな部屋で三人暮らしとなってしまっても、リズムのいい編集のなかでHariはいきいきとしている。誰もが愛したくなるこの少年から、両親の育て方の良ささえうかがえる。ムスリムの少女との恋物語も微笑ましい。そんなHariの命が一瞬のうちに奪われてしまう。彼の父親を狙った銃弾が逸れてしまったのだ!
少年Hariのいなくなった世界…、両親やHariを囲んできた人々が嘆き悲しむこの瞬間からこの作品には色がつく。Hariは両親の映画づくりを支えるために寄付を呼び掛ける映像をネット上にアップしていて、深い喪失感と時をあわせるようにして、Hariが集めた大金が届いたのだ。それらはヒンドゥーでありムスリムでもあるHariからの愛であり、また宗教対立のない平和なインドを求める多くの人々の想いでもあった。そしてそれらには、それまでHariの一家を苦しめてきたインド社会、そのほんの一部分にすぎないけれども、鮮やかに染め上げる力があったのだ。
(2016年12月19日)

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21st BIFFから/ニューカレンツ部門の「Someone to Talk to(一句頂一萬句)」 [中国]

THHAD配備問題の中での中国映画の上映。2016年10月10日。ニューカレンツ部門にノミネートされていた、中国=香港の合作「Someone to Talk to(一句頂一萬句)」(2016)の上映前に紹介を受けて登壇したのは、ドレスアップした若く美しい女性。Liu Yulin監督なのだと紹介された。簡単な挨拶の後に観客と一緒に作品を観るということで、僕のすぐ後方の席に座られたが、たまたま空いていた僕の隣席を映画祭の公式カメラマンが占領し、身をよじらせてバシャバシャと撮るので、女優も兼ねているのかしらと思ってしまう。さすがに映画本編が始まると、迷惑な撮影行為はおさまった。
長編第一作とのことだが、若い監督にしては男女の関係性の重さ加減を知り尽くしたような描写力を備えた、いい作品だ。中国の地方都市が舞台だが、現代どこの国でも見つけられそうな、二組の男女が対比的に登場する。靴の修理工をしている夫Aiguoと製糸工場で働く妻Linaには祝福されて結婚した10年前の仲睦まじさはもはやなく、幼娘も心配するほど。妻が愛人をつくって家庭を顧みなくなってしまったからで、まるで父子家庭のようになっている。そこに出入りしてくれているのが、通りで屋台を営んでいる未婚の、夫の姉。その姉はコックをしている男やもめと親しくなり、人生も折り返しを過ぎた中年期らしいお付き合いを始める。
夫Aiguoは刃物を忍ばせて妻の跡を追うほどのギリギリの状態に陥るが、最終的には未来に向けての決心をする。そこには、並行して描かれる姉たち中年カップルが自分らの再生のためにゆっくりと回し始める歯車が、動力源になっているようにも感じられるのだ。
あとで知ったが本作は、馮小剛監督からも映画化されるような、中国のベストセラー作家の小説を原作としていて、Liu Yulin監督はその作家の娘なのだそうだ。
(2016年12月12日)

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21st BIFFから/イラン映画「The Dream of Water」 [イラン]

アスガー・ファルハディのように進化を遂げていない、良い意味でガラパゴス的なイラン映画の貴重作として「The Dream of Water」(2016)のワールドプレミアを観た。監督はFarhad Mehranfarで、イラン映画が国際的に台頭してきた90年代に集中して観た中に「Paper AirPlanes」(1997)、「The Tree of Life」(1998)の監督作があるが、それ以来観たことになり、僕としてはすっかり忘れていた存在。
砂漠の真ん中でジープがオーバーヒートしてしまった男がたどり着いたのは、かつては集落だっただろう廃墟群。そこには鮮やかな織物を織り続ける謎の老人がいて、男は建物の地下にある秘密めいた井戸の空間に閉じ込められてしまう。地下は通路で縦横に広がっていて、奥には人工池があって魚もいる。男の前でこれまた謎の若い女性の姿が見え隠れする。イラン映画なのだからまさか怨霊ではないだろう。
ミステリアスな地下世界の描写が続き、老人はこの集落を甦らせるために井戸の復活を望んでいて、女性はそのために自らを捧げた“井戸の花嫁”であることがわかってくる。この人たちはどうやって生活しているの、というファンタジーに対するツッコミはせず、登場人物たちによる水源探しにあわせて、我々もこのイラン映画らしい文脈の中からそこに埋め込まれたメッセージを探さなければならない。暗い地下世界の中に飛び込んできた男は何を象徴しているか、生きるために必要な水は何に例えられるかなどを。
(2016年12月7日)


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