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22nd BIFFから/ネパール映画「Goodbye Kathmandu」 [ネパール]

2002年のアジアフォーカスで福岡上映された映画「ビューティフル・フラワー」(2002)のナビン・スッバ監督(ネパール)の最新作「Goodbye Kathmandu」(2017)が,釜山でワールドプレミア上映された。監督の名前を聞くのはそれ以来のような気がするが,最新作の舞台となるのもちょうどその頃,2004年のカトマンズだ。当時ネパール国内は混乱状態にあった。ナビン・スッバ監督が来福した当時の母国内の状況を,本作を観ることであらためて知ることになった。
物語のなかでは,いつもラジオやテレビからマオイストによる武装活動と国王軍の動きが伝えられ,緊張状態にある。並列してリアルに描かれる3人の青年の生活には,そのような社会の大きな揺らぎが影を落としている。とても貧しい家庭環境の中でロックミュージシャンを目指すMangal,米国から戻りインターネット関係の会社を興したいAmar,名家の家柄に反発して不良の女子と乱れた関係を続ける高校生Rabin。
Mangalの奏でるロックミュージック,Amarが保存しているデジタルフォト,Rabinがしけ込むホテル,彼らの具体的な日常がそこにありながらも,何だか落ち着かない気持ちで観てしまう。
始まって1時間ほど経ってだろうか,爆弾テロに巻き込まれてケガをしてしまうAmarをMangalが目撃する…,登場人物たちの突然の交錯は,かなり衝撃的だ。
社会の状況は,最終的に3人に対してそれぞれの決心を迫る。長くてもじゃもじゃの髪を切るMangal,米国へ戻ることを決めるAmar,女と別れて旅立つRabin。“グッバイ,カトマンズ”と腹の底から吐き出すような幕切れだ。
今年創設されたキム・ジソク賞のノミネート作だったが、後日受賞は逃した。10月15日、Lotte Cinema Centum City 5にて。
(2017年12月11日)

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22nd BIFFから/カザフスタン映画「Alone」 [カザフスタン]

幼いころに読んで,いまなお心に残っているひとつに「せかいにパーレ,ただひとり」という絵本がある。主人公の少年がある朝目覚めると,街には自分以外だーれもいなくなっているというお話で,それは自由と孤独が共存する世界なのだが,子どもの僕にとっては,無性に怖い一冊だった。釜山国際映画祭でワールド・プレミアの,Akan Satayev監督によるカザフスタン映画「Alone」(2017)を観た途端,パーレで描かれたその世界をちょっと思い出してしまった。
無人世界が共通というだけで、絵本のテーマとはもちろん別。映画の舞台はアルマトイだと思われる。高層ビルが連なる近未来の街並みのなか,若い女性と少女が闊歩する。どうやって撮影したのだろうかと不思議に思うくらい,全編にわたってこの二人以外の姿はなく,街は気持ち悪いくらいにどこまで行っても無人だ。指紋認証で駅の改札が開き,他には誰ひとり乗っていない地下鉄がホームに滑り込み,それに乗ってスタジオのようなところに向かい,女性はCDの曲にあわせてバレーを舞う。そんなことの繰り返し。
この二人は,超豪華なマンションで暮らしている。あまりにも広い部屋で過ごしているが,二人の会話も最小限で,日々の先に何があるのだろうかと,どこをみても非日常的だ。ところどころに水中で舞う女性,砂浜で舞う女性といった幻想的なカットが差し込まれるが,そもそも全体として実験的な作風に包まれている。
とはいえ,この二人はやりとりからみて母娘であることから,では娘の父親はどこに?,そういった疑問は普通に出てくる。少女は,スクリーン上には描かれない“彼”が見えるのだと何度も言い,その姿を追って,無人の街を駆けていく。
そのうちに,この二人だけの世界じたいが,おそらくこの女性の幻想の世界なのだろうと薄々気づいてくる。本作はその気づきにちょうどいいくらいの60分ほどの長さなのだが,これは若い母親とそこには実在しない彼女の娘との関係を描いた物語なのではないか。存在するべき人々は世界から一人残らず消去してしまい,存在しない娘だけがいる日常…。
わかりやすい終わり方が最後に用意されている。娘が地下鉄にはねられそうになって駅のホームに多くの人々が突然現れて,それまでの無人静寂の世界に突然ノイズ音が溢れ出す。女性の夫らしき男もそこにはいる。喧しいばかりの雑踏の響きに、これほどまでに安心を感じてしまうとは不覚だ。
無機質感にあふれた街並みや、豪華な装飾が印象的な地下鉄構内などのアルマトイの風景は、無人世界のロケーションにぴったりだと思った。10月15日、Megabox Jangsan Haeundae 5にて。
(2017年12月5日)

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22nd BIFFから/ベトナム映画「The Tailor」 [ベトナム]

一般にベトナムと聞いて連想するもので上位にくるのは,きっとアオザイだ。映画「The Tailor」(2017)は,そんなアオザイの,9代続くという老舗の仕立て屋を舞台にしたタイムスリップもので,ベトナムを代表するファッションを色鮮やかに世界へ向けてアピールするエンターテインメント作だ。
1969年時点,この店には多くの働き手もいて盛況だ。跡継ぎには二人の若い娘がいるが,妹は店主である母親から店の伝統技を受け継ぐ気構えでいるのに対して,姉のNhu Yは完全に洋装志向。それは,本作の冒頭がフレンチポップの魅力にあふれた世界であるところからもみてとれる。そういう西洋かぶれのNhu Yが伝統の織布でつくられたアオザイを着たことをきっかけに,突然48年後の現在、2017年にワープしてしまう。
そこでまず出会ったのは未来の自分じしんで,代々の店を駄目にしてしまって自棄になっている。未来世界にいる,そのアル中の太った女性は、一人二役で演じられてはおらず,それがNhu Yだとはなかなか判別しにくいが, “オーララ”という驚いた時の特徴的な口癖から,当の本人も,われわれ観る側も気づいていく。
2017年には妹の娘,つまりNhu Yにとっての姪が,実力あるデザイナーとして活躍している。物語は,Nhu Yの自分探し,原点振り返りの旅として,明るく楽しく展開していく。結末はお見込みのとおりで,未来での経験をもとに,Nhu Yは過去に舞い戻って店を…,というところである。
本作には,観月ありさみたいな,橋本愛みたいな,吉田羊みたいな,ベトナム女優たちがファッショナブルに登場してきて豊かな気分になるが,女優たちの見た目の年齢はちょっと気になった。1969年の二人の娘の母親は若く綺麗すぎて三姉妹のようにみえたし,2017年の老いたNhu Yは70歳前後の設定であるはずが,せいぜい中年だ。ファッションをテーマとした映画の出演女優に,もっと老けろというのは無茶な注文なのかな。
同じ日に観たカンボジア映画「Poppy Goes to Hollywood Redux」と共通するところがあった。それは最後には,エンドロールでハッピーエンド風に踊って締めくくるところだ。10月14日、CGV Centum City Stariumにて。
(2017年12月2日)


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22nd BIFFから/Poppy Goes to Hollywood Redux [カンボジア]

カンボジアの映画で「Poppy Goes to Hollywood Redux」(2017)。撮ったのは,これが2作目というVisal Sok監督。始まりの部分でちょっと発展途上な感じがして、上から目線で観てしまったのが反省点だが、国内興行的にはそこそこ楽しまれる商業映画だと思う。昔のドタバタ・コメディを観ているようなかなり古くさいところが、珍しさ懐かしさもあって、釜山国際映画祭でも入選したのかもしれない。
借金に困り,かなり濃いダンサーさんたちの揃ったプノンペンのゲイ・バーで,雑用係として働くことになった若者Monyが主人公。店の外で起きた殺しの現場を目撃したことでチンピラたちに追われることになった彼が,女装してPoppyと名乗り,店のドラッグ・クイーンたちと連れ立って田舎の村の潰れかけたクラブHollywoodに逃げ込んで,ついにはそこを再建するという,多少の人情味も加えられた喜劇だ。
Monyは偽りのゲイなので,本物の美女に接触しては下半身が激しく勃起してしまうといった,あまり上品ではないギャグが連発される一方で,トランスジェンダーに対する偏見や軽蔑への反省といった視点もある。この村の村長の音楽嫌い芸能嫌いは,クメール・ルージュの弾圧が原因だったというエピソードにもなっている。
しかし,片田舎にまでこんなクラブがあるのかと思うHollywoodの主人などをみると,ご存じない人ばかりかもしれないが,ばってん荒川を思い出してしまう。ドラッグ・クイーンたちは,蔑視されるような変態ではなく,基本的にはエンターテイナーなのだということが、こういう点から再認識される。個人的に好きなのは,殺人事件の目撃者捜しのために時々登場する男女の警官コンビの場面で,後輩の若い女警官は僕好みの美人だし,彼ら以外の登場人物は皆クセが強いだけに,まともというか洗練された登場人物にみえてしまう。
クラブの復活だけでなく,チンピラたちも最後には逮捕されて,本当にハッピーエンド。エンドロールでは,ドラッグ・クイーンもチンピラも,登場した主要人物たちはみんなみんな,ロック調のダンス音楽に合わせてノリノリに踊ってしまっているところは,カンボジア映画のハッピーな未来を予告する。
英語題は、80年代に流行ったFrankie Goes To Hollywood「Relax」をもじっているのかなあ。10月14日、Lotte Cinema Centum City 4にて。
(2017年11月28日)

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今年のベネチア・オリゾンティ部門監督賞「No Date, No Signature」 [イラン]

極めて巧妙な第一作「Wednesday, May 9」を観て、次の作品がとても楽しみだったイランのVahid Jalilvand監督の第二作「No Date, No Signature」(2017) 。これもまた良くて(病理や医療関係の言葉が多くて英語字幕を正確に理解できていないところはあるけれども)、今年のイラン映画を代表する一本となるのではなかろうか。そう思っていたら、先日閉幕した第74回ベネチア国際映画祭のオリゾンティ部門では、監督賞を受賞したそうだ。
とても刺激的な設定だ。イラン映画界で培われたと思われるストーリーテリングの醍醐味に溢れている。検死を担当する医師が、夜に自動車を運転していて、親子4人乗りのバイクと接触し転倒させてしまった。小学3年生くらいの息子が怪我をしたが、大きな外傷はなかったため、警察を呼ぶことを避け、その父親に救急病院に連れていくよう金を握らせて別れたのだ。しかし貧しそうなこの一家のバイクは、病院とは別の方向に消えていった…。
そして翌日。医師は、検死のために職場に運び込まれたその少年の遺体に遭遇した。昨晩のあの夫婦も、哀れな遺族として付き添っている。
我々はここから当然、少年の死因すなわち真実に目を向けていくのだが、それは、言わずもがな、主人公の医師がそうだからだ。少年の検死を担当した同僚は、食中毒によるものと結論づける。その報告書がある限り、前夜この少年を車ではねていた主人公に責任が及ぶことはない。しかし彼は、みえていない真実があるのではないかという思いに駆られ、報告を素直に受け入れることができないでいる。
自分じしんに何らかの責任を見つけ出そうとしているようにみえる医師。一方で、食中毒と判断されたことで、腐った鶏肉を買い与えた自分じしんを恨み、それを売りさばいていた男に重傷を負わせて逮捕されてしまう少年の父親。二人の男がそれぞれジレンマに陥り、ドラマは二重のループになっていく。ネタバレを避けて、医師が最後に決断してとった行動にはここでは触れない。
観終えてから、これが日本公開になったら、どんな邦題が相応しいかなどという妄想にまでたどり着いた。Vahid Jalilvand監督には今後も注目だと思う。
(2017年9月20日)

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アジアフォーカス2016の観客賞「ハラール・ラブ」 [レバノン]

ハラール・ラブ/Halal Love (and Sex) 2015
レバノン=独
アサド・フラッドカー監督

英語題を直訳すると「戒律に許された合法的な恋愛」となろうか。全体を構成している三つの物語のうちのふたつ,毎夜繰り返される夫の激しい性生活の求めに困っている妻,気性が荒く離縁と復縁を繰り返してしまいもうあとがない若いカップル,これらじたいは世界共通のあるあるでムスリムに限っての日常ではないが,その解決策が特有だ。第二夫人の活用や,他の男との婚姻による婚歴のリセットといったわれわれにはできない方法を,コメディタッチで興味深くみせている。
もうひとつの物語である,妻子ある男との結婚,これは逆にわれわれからみればタブーだが,イスラム教では合法。しかしこの女性は海外への逃避という、よくあるパターンで清算しようとする。ビザがおりないという落ちはムスリムだからということだろうか,それはよくはわからない。いずれにしても,どの物語も結局うまく解決しないのは,それこそ神の思し召しなのかもしれない。
(2017年9月15日)
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レバノン映画「Martyr」 [レバノン]

レバノン出身Mazen Khaled監督の「Martyr」(2017)。題の意は、殉教者と理解していいのだろうか。物語の真ん中あたりから書き始めるが、舞台はベイルート。肝試しのように、高い堤防の上から、競って海に飛び込む若者たちがいる。当地の流行りなのか、何か意味のある行動なのかどうかはよくわからないが、とにかく見物人も多い。
そして予感していたとおり、かなりの助走をつけて飛び込んだ一人の青年が、海底に身体を打ちつけてしまったのだろうか、溺れて死んでしまう。なぜ予感していたかというと、本作の出だしに、この青年と思われる男性の身体が水中に漂う、無音の数分間の映像があったからだ。アラブ系の男性はひげをたくわえていて年齢がわかりにくいが、溺死した青年もまだ若かったのだろう。無職の彼は寝起きからずっと両親にガミガミ言われていて、飛び込みに至るまでの間、ムシャクシャした様子が伺えた。
青年の遺体は、海から自宅まで他の仲間たちによって静かに運ばれていくのだが、その手順は様式化した動きに見えて、ちょっと注目させられた。いや、それだけではない、その後の母親の深い哀しみと嘆きの描写になるとそれは完全にステージパフォーマンスとなり、スクリーン画面はまるで劇場化されている。続いて青年の仲間たちは、おくりびととなって遺体を清め始めるのだが、これも同様に記録的なパフォーマンス映像になっていくのである。
本作全体として、一定の様式をまとった儀式のような体裁であったことに気づき、そして振り返る。殉教者という題の意味を。青年が亡くなって以降は口数も少なくなり、決められたとおりのように動くアラブの若者たちが、主人公の青年を含め、とてもイノセントに僕の眼に映った。第74回ベネチア国際映画祭。
(2017年9月14日)

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ネパールのドキュメンタリー「スナカリ」 [ネパール]

恥ずかしい話だが、スポーツには関心が全くない。
世界の映画を観ていて、一番よく取り上げられているスポーツは、サッカーなのかなあと僕は思う。
福岡フットボール映画祭2017の上映作品のひとつ、ネパール映画「スナカリ」(2014)は、山奥の村の女子サッカーチームを追ったドキュメンタリーとのことで、サッカーじたいには無関心だが、女子サッカーのドキュメンタリーというと、グアテマラの娼婦たちがサッカーの試合を通じて立ち上がる「線路と娼婦とサッカーボール」や、日本の監督が指導するヨルダンの女子サッカーチームを追ったWOWOWのドキュメンタリーくらいしか観た覚えがないので、フットボール映画祭なんて僕には敷居が高いのだけれど、ちょっと足を運んだ。今年のヨコハマ・フットボール映画祭で上映後、各地を巡回している一本のようだ。
1時間を切る長さで、ボラージ・バットという監督。タイトルもキャプションもクレジットも日本語に置き換えられて処理されている。オリジナル版を、日本上映向けに再編集しているのだろうか、日本語字幕には、誤変換や日本語としてこなれていない箇所もあるので、現地で処理されたのかもしれない。
さてこの作品、舞台として登場するネパールの山間の風景は素晴らしいが、ドキュメンタリーとして面白くない。Youtube上にあった本作の数分程度のダイジェスト映像(trailer)は、ニュース番組の特集コーナーの感覚でわかりやすく観ることができ、事実を伝えるものとして、十分によくまとまっている。しかし1時間ものの本編となると、観る者に肉薄する何かが欲しいが、ない。出だしの、家族を説得して試合に出場するくだりは、本人たち出演の下手な再現ドラマにしかみえず、こういう演出だと、ちょっと気の毒だ。
少女たちには、ナチュラルな能力が備わっているからか、スポ根的な場面もとくになく、それが必要と言っているわけではないが、「まあ観戦しなくても後日の結果記事を読めば十分」とスポーツに対して無関心を決め込んでいる僕の心には、なかなか刺さらずに観終えた。
(2017年9月5日)


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香港のドキュメンタリー「乱世備忘」 [香港]

日本・香港インディペンデント映画祭2017でとても評判だったらしいドキュメンタリー作「乱世備忘〜僕らの雨傘運動」(2016)の九州初上映を、第 31回福岡アジア映画祭で観た。香港が中国に返還されて今年で20周年を迎えるため、その記念日である7月1日前後には新聞や報道番組でもその20年間が振り返られている。当初は一国二制度が約束されながらも大陸の締めつけが厳しくなってきており、その中で起きた書店主行方不明事件も衝撃的だったが、2014年に起こった雨傘革命は、とくに後世からみても歴史的に重要な出来事となるものだ。
日本のテレビでは、恋ダンスまで踊る、革命のマドンナ的な逸材アグネス・チョウさんが特に取材対象になっていたので、香港の新人チャン・ジーウン監督の眼で、雨傘運動に関わる一般の若者たちに焦点をあてた本作こそ、われわれとの距離感が縮まる、すなわち立場置き換え可能な視点を与えてくれる。
20くらいの短いチャプター構成の中からは、力強い政治的主張や、死にものぐるいの闘い模様が、じつはそれ程には見あたらない。雨傘運動を支持して参加する若者たちの様子は、何だか部活動のようだ。陣を張りながらナンパもする。彼らの口からは、彼らと直接対峙している警官たちに関して、「警察も仕事だから…」といった感じの、とても冷静な割り切った発言が何度も出てくる。
そして雨傘運動の終焉、つまり本作の終わりからは、トーナメントに敗退して部活動の最後のシーズンが幕を降ろす、卒業のような、若さならではの感動が伝わってくる。
彼ら、彼女らの人生は、これから先どちらへと進んでいくのだろうか。学生運動家が卒業後は社会の一員になる、そういう道筋からみると、彼らの中から、例えば、向き合っていた警察側に進路をとる者も出てくるのかもしれない。観ていてそう感じさせることじたいが、彼らの青春の終わり、そのものなのだと思う。
(2017年9月4日)

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トルコ映画「Meteors」 [トルコ]

第70回ロカルノ国際映画祭でプレミア上映されたという,トルコ=オランダ映画「Meteors」(2017)は,トルコ・イズミール出身Gürcan Keltek監督の長編第一作だそうだが,ちょっと変わった作品。
全編モノクロで,全体は6つのチャプターから成るが,山中の狩りの風景が望遠で延々と納められたフレームあたりは,何とも実験的。また,兵士たちが進軍していくところは,観ていてまさにドキュメンタリーだ。そして,作品全体の大きな幹となるところは,政府軍とクルドの衝突を描いた真ん中部分のパートになるが,ここでは一人の女性を中心人物iに置き,そのナレーションを全体的に活かしたドラマだ。しかし,そのなかでは村人たちへのインタビューも織り交ぜられていて,社会的,政治的な表現である。演じているのか、リアルなのか…。不思議なパックワーク的構成の最後には,作品題となっている流星が降り注ぎ,幻想的に村のすべてを彩っていく。
さて、全編は一時間半足らずだが,ものすごく短く感じながら観終えた。「あれよあれよという間に」という表現は,こういう時にも使おう。
じつは,モノクロ映像なので,前半から中盤に映される砲火や煙などが,最初は花火なのか何なのか呑み込めずに反芻しながら観てしまっていて,だから最後の流星の雨も,その題名から,正体がじわじわとあとから呑み込めてきた。これが監督の術なのかあ。(2017年9月3日)

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