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第43回日本賞グランプリ作品「消えたブロガー“アミナ”」 [シリア]

2016年末、新聞のテレビ欄で午後をまるまる使って第43回日本賞の各部門受賞作品を紹介するNHK・Eテレの番組をみつけて、チラチラ観るつもりが、ラストの90分位のグランプリ作品に至っては、しっかり最初から最後まで観てしまった。
日本賞とは、NHKが主催している教育コンテンツの国際コンぺティションらしい。年少の部門ではサッカー選手を夢みるアフリカの少年や、難民キャンプのシリアの子どもたちを取り上げた作品などなどだったが、グランプリ作「消えたブロガー“アミナ”(The AMINA Profile)」は一般向けで、少々アダルトなテーマ。冒頭には若い全裸女性のセクシャルな映像も出てくる。ボカシは入っている(原版そのものの処理だろうか)けれども、休日午後のEテレからすると、ちょっとびっくり。
カナダ製作のドキュメンタリー作品だが、シリアのレズビアンの話だ。ダマスカスに住むという女性アミナが、2011年当時「A Gay Girl in Damascus」というブログを開設する。アサドの圧政への民衆蜂起を訴える一人の国民の声についての国際的な反応のみならず、中東の同性愛者からのエロティックな発信に対しての共感や好奇も重なって、世界に多くの読者を集めて、欧米のメディアも取り上げるほどになった。
そして事態が急転する。ブログに、アミナが現体制派のグループに拉致された!と彼女の親戚によって書き込まれたのだ。安否不明となり、フォロワーたちが米国政府を動かそうと働き始める。当時のこの事件の報道は僕にも記憶があるので、その顛末はおぼろげに覚えている。
じつはアミナなるレズビアンの女性は最初から存在しておらず、ブログはすべて、イギリス人の男性による作り話だったということが真相。そうそう、確かにそうだった。しかし、この事件のことを知らずに観ている人はもちろん、知って観ている人にとっても、サスペンスミステリーのように観ずにはいられない展開となっている。アミナの自画像が、全く無関係の女性写真のコピペだったことが発覚するくだりなどの詳細は、今回初めて知ったこと。
しかし何よりも、アミナは存在していなかったという事実じたいは本作のオチではなく、動機や人物像など、犯人(と呼んでいいのか)本人へのアプローチが後半の見せどころだ。この創作者である男性はシリア問題の研究者で、注目を集めるためにレズビアンを装ったが、ブログで訴えた中東の人々の苦しみは真実だと言い放った。
しかし、ネット上のアミナに恋をした各国の同性愛者はどちらにしろ浮かばれない。これぞ、まさにネット世界の闇だ。誰でも、ハーメルンの笛吹き男になることができる怖さがある。そういう危険性を、世界レベルでひしひしと感じさせる事例だ。
前に、同じEテレの番組「ねほりんぱほりん」で観た、ネット上の私生活を加工や借りもの画像で豪華に飾る「偽装キラキラ女子」なんて、今思えばちっちゃな嘘だ。
(2017年1月31日)

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アブドルハミド監督の最新作「サービス圏外」から感じるシリアへの親しみ [シリア]

国際交流基金が毎年春に東京で開催するアラブ映画祭も今回で4回目。毎年追い続けてみてきた限り、すっかり定着した感がある。今年も3月17日~25日に東京赤坂の草月ホールとドイツ文化会館で行われたので、出向いた。今年はまず、4回目というところでの実績を実感した。最初は、イスラム映画祭ではない、中東映画祭ではない、これはアラブ映画祭であるという宣言的なラインアップとともに、“アラブ”の概念とその広がりを、アラブ観に乏しい我々日本人に提示してくれたことが何よりの収穫だった。そして毎回のアラブ新作の紹介はもとより、イラク映画史、エジプト映画史といった括り方もたいへん勉強になった。今年は、これまでのような、日本の観客がアラブゆえについ期待しそうな深刻なテーマの作品が少なく、軽いタッチのものが目立ったため、小粒ぞろいの印象が強い(アラブ映画の狙い目はほぼ一巡したのかしら…)。そのなかでのいくつかを取り上げて書いてみたい。
まず第一にシリア。ここでは映画製作に、National film organization of Syria(シリア国立映画総局)が機能している。シリアのような一党独裁の国が持つ映画関連の機関の活動にはプラスもマイナスもあると思うが、映画文化を衰退させることなく支援をし、一定の水準を保っているということが、シリアの場合には言えそうだ。
今回アラブ映画祭で紹介された最新作「サービス圏外(Out of Coverage)」(07)のアブドルラティフ・アブドルハミド(Abdullatif Abdulhamid)監督は、過去から何本か観ているが、シリア映画界で正統とされる監督といえるのではないだろうか。
この「サービス圏外」は一般受けするドタバタ調のとても楽しい作品だ。主人公の男アーメルの携帯電話の着メロ“モーツァルトの交響曲第40番”が、気高くも、物語の幕を開けるが如く鳴り響くたびに、強い女ふたりの間で二重生活を送るアーメルの嘘がまたひとつまたひとつと積み重なっていき、彼自身がおくるドラマを悲劇へ喜劇へと誘う。女性ふたりとはいっても、一夫多妻というわけではない。アーメルには妻と息子がいるが、政治活動のために刑務所に入れられている親友に代わって、その親友の妻と幼い娘の面倒も、一方で見ているのだ。その娘の幼稚園のお迎えまで引き受けている気の優しいアーメルなのだが、親友の妻ナダーは魅力的な肉体の美女だから、どうも親切心が100パーセントというわけではない。だから、ナダーの住むアパートに来ているときは、妻からかかる携帯が鳴っても、居留守か嘘をつくのである。別に愛人生活をおくっているわけでもないのに。妻も、ナダーよりも年齢はやや上のようだが美しい。シリアの映画では、アラブの美女が、露出度の高い身なりで登場するところが、同じ中東でもイラン映画とは異なるところである。
アーメルは、本当に気のいい、憎めない男である。本来は菓子職人だが、知り合いからタクシーを3か月借りて、運転の仕事をする。無賃乗車に遭ったり、障害者の送迎や、夫に追い出された女性の長旅に付き合ったり、人情味のあふれる仕事ぶりもみせる。じつはこの映画には、コメディリリーフのようなポジションで日本人が出てくるのだが、アーメルは、この在ダマスカスの日本人青年にとって、アラブ語の個人レッスンの先生という設定でもある。
ナダーは愛する夫の出所を心から待ち望んでいるが、ナダーに気があるだろうアーメルの内心を推察している観客としても、意地悪な意味から、早く出所を、と思ってしまう(ちょっとだけ映る刑務所の所長がアブドルハミド監督に似ていたけれど、見間違いか…)。劇中、何度も何度も着メロとして登場してきた“モーツァルトの交響曲第40番”が、オーケストラ・バージョンとして流れるラスト部分は、ちょっと感動的でもある。
どうもシリアに対しては、その報道のされ方からすると、一般には良ろしくないイメージがあるだろう。先月末にはダマスカスでアラブ連盟の首脳会議・アラブサミットが開かれたが、ニュースによると、加盟22のうちの半数が欠席、特にサウジアラビアやエジプトなど主要国が首脳の出席を見合わせるという異例の事態だそうで驚いた。シリアによるレバノン内政干渉が理由であろうことは納得できるが、シリアは共にテロ支援国家呼ばわりされたイランと緊密でもあるので、記念すべき第20回アラブ連盟首脳会議に欠席するよう、米国の働きかけがあったのではと邪推する。ともかく、アラブ諸国が一枚岩でなく混迷状態で、シリアが孤立してしまっていることは明らかなのである。
話が脱線したが、シリアは怖い国のように思われているなかで、この映画の主人公アーメルをみていると、映画の中の話じゃないかと反論されるかもしれないが、その人間味には愛着を覚えるし、タクシー運転手ということでもあるので、現代の街の様子がよく見えてきて、シリアに対する親近感を覚える、そういう役割も持つ作品なのである。
この映画「サービス圏外」は、中東の主要な映画祭ではすべて取り上げられた。第15回ダマスカス国際映画祭(07年11月1日~10日)、第31回カイロ国際映画祭(11月27日~12月7日)、第5回ドバイ国際映画祭(12月11日~18日)と。そのうち、お膝元のダマスカス映画祭では劇映画コンペ部門でBronze 賞を受賞している。しかし、筆者は足を運んだことはないが、これら中東の映画祭の中で、ダマスカス国際映画祭は運営面でもうひとつ評判がよろしくないようである。
(2008年4月11日)

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