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記録映画「パレスチナ1948・NAKBA」を通して、和平を考える [パレスチナ]

3月22日から渋谷ユーロスペースで記録映画「パレスチナ1948・NAKBA」が公開されていたが、近くを何度も歩きながらも、観ることができなかった。しかし関係者の方から、そのオリジナル・サウンド・トラック盤のCDを後日送っていただき、それを聴きながら作品に対する思いを馳せているところに東京でのロードショーも終わって、引き続き地方での公開も始まった。残念ながら福岡での上映は予定されていないが、九州地区では唯一5月17日からの封切が始まった、佐賀のアート系の劇場シアター・シエマへと週末に足を延ばした。
折りしも5月14日はイスラエル建国60年の記念日。節目の周年であり、また米国・ブッシュ大統領の中東歴訪もあって、新聞テレビでも扱いは大きい。特別の関係を持つ同国を訪れたブッシュ大統領は、イスラエルの国会で建国60年を祝い、多くの苦難を乗り越えて国家を築いたと称賛の演説を行っている。
60年前の1948年5月14日、当時イギリスの委任統治領だったパレスチナの土地を、ユダヤ国家とアラブ国家とし、エルサレムについては国際管理とする国連決議が採択されたことを根拠にして、ヨーロッパなどで迫害され続けてきたユダヤ人が、祖先の地パレスチナで、イスラエル建国を宣言した。しかし土地分割の比率が人口比を無視したものと、アラブ諸国がパレスチナに進攻して第一次中東戦争が勃発。結果としてイスラエルが勝利して領土を広げたことから、70万人を越えるパレスチナ人が難民となって、現在までその苦難は続き、暴力による応酬が繰り返されている…。
よって60年前のこの日をユダヤ側が祝う一方で、パレスチナ側は、この日をアラビア語で“大惨事”を意味する「ナクバ」と呼んでいるのである。
映画「パレスチナ1948・NAKBA」は、40年にわたってパレスチナ問題を追い続けてきた日本のフォトジャーナリスト広河隆一氏が、撮りためてきた映像記録をもとに製作された、広河氏の監督作品である。上映劇場には、この作品の完全版(DVD30~40枚組を予定しているとのこと)を製作するためのカンパを募るチラシも置かれていたことから、その膨大な映像記録をもとにして今回の上映版(131分)を編集していく作業は、さぞ大変なものだったろうと推測する。
広河氏は大学卒業後、イスラエルのキブツで研修生活を経験した。そのときに彼は、自分が働いているキブツは、かつてパレスチナ人が暮らしていた村の上に作られていたということを知り、衝撃に襲われたという。村を失ったパレスチナ人たちは難民となり、彼らの村の名はもう地図にもない。ナクバでは420もの村々が消滅した。40年前のこの経験が彼の長大な取材の出発点となった。
今日まで続くイスラエルとパレスチナの対立は、多くの犠牲者を生んでいる。難民の取材を重ねる広河氏は、1982年にレバノンのパレスチナ人難民キャンプでの大虐殺のスクープ映像を撮影する。蝿のたかった、難民たちのバラバラにちぎれた肢体の転がった8ミリ映像…。
そして広河氏はレバノンの難民キャンプを行き来するうちに、パレスチナの幼い姉妹と出会う。その彼女らとの交流の年月がこの記録映画の軸のひとつになっている。二人に初めて会ったのはまだ子供の頃。彼女の兄らは虐殺で命を失い、残された家族は癒えることのない心の傷を負った。姉の方は、大きくなると兵士となりイスラエルとの戦いに身を捧げるが、捕らえられて牢獄に入れられる。獄中では虐待も受けた彼女は、広河氏の骨折りで、何とか家族のもとに帰ってくる。破壊、追放、殺戮についての生々しい証言、イスラエルに対する強い抵抗、先祖の地に対する望郷の念が人々の口から語られる。…いまや姉妹は結婚し、子の親となっている。それほどの歳月、しかしナクバからはそれ以上、何世代にもわたる60年もの時が経過している。
この記録映画で貴重だと思うのは、イスラエル側の取材である。広河氏はパレスチナ人殺戮に加担した兵士の声を拾うだけでなく、パレスチナに対する破壊、追放行為に疑問を持つ人権擁護団体の取材も行っている。それは本当に重要な視点である。もちろん我々は、ユダヤ人もホロコーストの悲惨な犠牲者であることを知っている。そういう経験を持つ人々とパレスチナの人々との間で、何故、なかなか和平への糸口が見つけられないのかを、この作品を通じて我々はもっともっと考えなければならないと思う。
前に述べたとおり、先にサウンドトラックを聴いていたので、音楽のことも書くが、たいへん正統な映画音楽だと思う。作品の最初と最後、それと中盤に、それぞれのテーマとして使われている。家族や友人が犠牲となって命の尊さを知らされたはずの人間が、その大切な命を張って報復に出る…、そういう暴力の連鎖をなかなか止めることができない、人の運命の哀しさが心の奥深くにまで伝わってくるメロディだ。
イスラエルの映画で、つい最近公開された「迷子の警察音楽隊」という傑作がある。文化交流のために、イスラエルに招聘されたエジプトの警察音楽隊。彼らが目的地の町名を一文字間違えたことから迷子になり、言葉もよく通じない田舎の町で民泊する一夜の交流を、ユーモアたっぷりに温かく描いたものだ。かつては戦争を繰り返していたエジプトとイスラエルも、米国のカーター元大統領の仲介で(カーター氏は一連の平和外交でノーベル平和賞を受賞)、和平条約を結んだことから、のちのち、映画もここまで表現できるようになったようだ。そのカーター元大統領が、つい最近パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスの最高指導者マシャル氏とシリアで会談したのは、興味深い動きである。
いやとにかく、映画「パレスチナ1948・NAKBA」には、いろいろ学び、いろいろ考えさせられた。そして、5月14日という日の歴史は、頭から消えないだろう。
光州事件の現実を真正面から捉えた韓国映画「華麗なる休暇(原題)」も、時期を合わせて「光州5・18」という題名で封切られた。1980年に隣国で起きた軍と市民の衝突についても、この作品を観た我々は忘れない。邦題を付けるにあたって、5月18日という日付を取り上げたのはとてもよかった。作品ホームページに、当時の朝日・読売新聞の記事を掲載したことも、取り組みとして評価できる。
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今回は、記録映画「パレスチナ1948・NAKBA」が、九州では福岡ではなく佐賀のみの劇場公開であるため、佐賀まで足を延ばした次第である(高速バスで天神から片道70分900円)。劇場はシアター・シエマ。廃館になった佐賀市内の繁華街の映画館を継いで、昨年12月にオープンしたのだという。これがなかなか好感のコミュニティ・シネマだ。たぶん元々は3館あったのだろうが、うちひとつの空間をショップとカフェにしている。映画を観終わって出てくると、ちょうど調理コーナーでランチセットか何かを作っている。構造上むき出しだからでもあるが、いい匂いがしていて、何だか他人の家にお邪魔して、台所横を通り過ぎるような感じ。とにかくゆったりとしていて、身近なところに欲しいタイプの劇場だ。
ちょっと古いが、2003年に国際文化交流推進協議会が行った調査結果がある。その年の日本の封切映画総本数は洋画邦画合計で697本。その公開率は東京94%、大阪69%で、50%を越えたのは、この他に名古屋市(58%)と福岡市(53%)だけだった。県庁所在市の平均は27%。手元に数字がないが、佐賀も映画を鑑賞する環境としては、決して良くなかったと思う。ここシエマでは「ぜんぶ、フィデルのせい」「4か月、3週と2日」「サラエボの花」などの秀作も上映される。これまでだと、スクリーンで観るためには福岡のシアターまで来る必要があったのだろう。
筆者が観た「パレスチナ1948・NAKBA」の土曜午前の回は、数えると7名の観客がいた。これは筆者の当初の想像よりも多かった(失礼!)。何故なら、その数日前、福岡で観た高橋伴明監督の「丘を越えて」は筆者ひとり。しかも入替のために待っていたが、その前の回は誰も見当たらなかったから。
(2008年5月31日)

NAKBA.jpg
サウンドトラック盤


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