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16th BIFFから ~ 特集「アジアン・ウエスタン」からは、ウズベクの西部劇を推す [ウズベキスタン]

今年の第16回釜山国際映画祭での特集プログラムのひとつに、「Asian Western: Men of the East」があった。ウエスタン・シネマ、つまりいわゆる西部劇と比較して観る価値のあるアジア各地の珠玉の作品がコレクションされているのだ。フィリピン映画界のキング、フェルナンド・ポー・Jr.の作品に、インドの名作「Sholay」、日本からは「ギターを持った渡り鳥」。近作ではタイの「怪盗ブラック・タイガー」に、韓国の「グッド・バッド・ウィアード」など、1950年代以降の多様な11作品が揃っていた。
このなかからわたくしは、10月9日にCGV Centum City 2にて、Ali Khamraev監督による1972年の作品「The Seventh Bullet」をたいへん面白く観た。というのもこれは当時、東西冷戦中の旧ソ連下・ウズベキスタンで、西側の西部劇を模して製作されたと思われるもので、馬に乗ったガンマンのヒーローが、社会主義の解釈で果たしてどう描かれたのかが、たいへん興味深かったからである(旧ソ連映画だが、Uzbekfilmの製作なので、ウズベキスタン映画と呼んで差し障りないだろう。BIFFでも、そう分類されていた)。
出だしから、もう西部劇の世界そのものだ。舞台はロシア革命後の1920年代のウズベキスタン。ソビエト連邦の政治の力が中央アジアにまで進出した時代である。砂塵が舞う廃墟の街に立つひとりの男Maksumov。チャールズ・ブロンソンあたりを連想させるこの男は革命軍の司令官で、銃を片手に馬に跨っている。何者も恐れないこのヒーローが倒すべき相手は、アイパッチをした反ソ連の悪党の頭Khairulla。
「革命のために戦う勇気」「アラーを信じるか、革命を信じるか」といったセリフから想像できるとおり、白人がインディアンを駆逐した西部劇の対立構図と同様のドラマが、ウズベクの風俗を背景にして、赤色革命の思想を主役に繰り広げられていく。砂漠や平原、馬車、投げ輪、派手な銃撃戦と、出てくるものはすべて西部劇の型どおりである。
勇敢な司令官Maksumovは一人で、盗賊のキャラバンに一旦捕えられ、ゲルのようなキャンプを転々とする。そしてKhairullaにその身を売られようとして山越えしたところで、盗賊の内紛によってできた二つのグループの銃撃戦に巻き込まれる。Maksumovはここで男臭いスーパーヒーローぶりを遺憾なく発揮する。「俺が助けてやるからこの縄をほどけ」と劣勢のなかから、大逆転を呼ぶ。そんな彼に恋心を寄せるのが、盗賊と行動を共にしているAigulというまだ若い娘。民族衣装をまとったなかなかのウズベク美人である。不死身でニヒルなMaksumovも満更ではない様子だ。
いくつものハラハラドキドキのアクションを経て、ドラマはクライマックスへ。終盤で娘Aigulは、敵Khairullaの妻であることがわかる。投獄されたMaksumovをAigulが救おうとするところから、ドラマは三人の関係もクローズアップしていく。最後は司令官Maksumovと、敵のボスKhairullaの一騎打ちである。
最後にはヒーローが勝つ、すなわちソ連がウズベクの野蛮な反抗勢力に勝つようになっている。それも作品タイトルが示すとおり、Maksumovが帽子に隠し持っていた“7つ目の銃弾”によって。しかし一方で…、駆けつけた革命軍の銃がAigulの胸を撃ち抜いてしまい、これまで冷静沈着だったMaksumovの慟哭が、ウズベクの空に虚しく響くという衝撃のラストが用意されていた。勧善懲悪の枠だけではおさめていない、タシケント出身Ali Khamraev監督の、ウズベクへの愛情、同情の眼差しもきちんとそこにはある。
フィルム巻が換わるごとに、英語字幕の書体が変わっていくところから、貴重なプリントの寄せ集めとみた。そこがまた、この作品のありがたみを高めるのである。
エンターテインメントとしても、今もって色褪せていない傑作! タイムスリップして、このような歴史背景を持つ「ロシアン・ウエスタン」に出会えることが、レトロスペクティブの醍醐味だ。
(2011年12月23日)

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16th BIFFから ~ ウズベクのジャンキーたちのドラマ「Hanaan」 [ウズベキスタン]

(ストーリーの結末にふれています)
韓国で映画製作を学んだ、ウズベキスタン出身のコリアン、Rustan Pak監督・脚本の長編第一作「Hanaan」(2011)。ウズベキスタン=韓国の合作になっているが、台湾で映画製作を学んだミャンマー出身のMidi Z監督が、母国でデビュー作「Return to Burma」を撮り上げたのと同じような関係になるだろうか。舞台はウズベキスタン。簡単にいうと、ジャンキーとドラッグ売買、暴力に溢れたハードでビターな世界のドラマである。これまで観てきたウズベキスタン映画の世界と異なるのは、監督の、ウズベクの社会をみる角度が少々違っているからだろうか。
監督は、現実性よりもむしろドラマとしてのスタイルを強く意識して撮っていて、力強い語り口で観客を最後までぐいぐい引っ張ることを仕組んでいて、想像を越える展開を荒っぽく次々にみせていく。ちょっと大袈裟に言って、ヤン・イクチュン監督の「息もできない」を観たときのように、作り手に弄ばれながら、スクリーンに惹かれていく自分がいた。
主人公の若者はStasというコリアン。両親はもういないが、スターリン時代にウズベキスタンに強制移住させられた朝鮮人の子孫であることは明らか。しかし歴史的なアイデンティティーを彼じしんは作品の中では強調していないようだ。チャイニーズなのかコリアンなのか分かんねえと言われて、ウズベクとタジクだって同じだろと言い返す程度である。
彼は、ドラッグをやったりして、コリアンやウズベクの悪友仲間たちとつるんでいる。ある晩、ウズベクの犯罪グループに復讐しようとした仲間のコリアンひとりが逆に殺されてしまう事件が起きた。Stasはその犯人Mahmudの顔を忘れはしなかった…。
そして6年後。ドラッグを常用しているかのようにみえたStasには、販売ルートの摘発という目的があったことがわかる! そしてついに捕えた売人は、あのMahmudだった。そう、Stasは警官になっていたのだ。しかし翌日、上司から金を渡されて、昨日のことは忘れろと言われる。その金と身分証をただちに叩き返してはみたものの、かつての仲間のひとりもドラッグ中毒に陥っている状態である。ついついStasも、いったん処分した押収物であるドラッグを再び拾い上げて、同じように常習するようになってしまう。それからは荒れた生活が続き、ドラッグを求めて彷徨う彼の姿をカメラが追っていく。そして客として行きついたのは、またあのMahmud…。
Stasは更生する決心をする。雪に覆われた山に登り、テントに籠った生活を続ける。ここらは結構、尺の長い描写で、彼の叫びがこだまする。そして…、駐車場の管理人として働くようになったある日、かつての仲間のコリアンShinに偶然再会し、韓国に行ってやり直してみては、と誘われる。なぜなら韓国には海があるから。(Shin役はRustan Pak監督じしんらしい)
映画も残り10分ほどになって、Stasはついに韓国へ。ウズベキスタンではあれほど存在感のあったStasが、ずいぶんと小さく見えるものである。しかし、Shinによって自分が韓国まで呼び寄せられた理由が、ドラッグを運ばせるためだったということを知って、Stasはそれらの袋を持って、何のためらいもなく海へと向かう…。ここで映画はエンドロールへと続いていくが、彼が袋を破って、ドラッグの粉を海へと撒く音だけははっきりと聞こえる。
90分弱のシャープな映画に相応しい終わり方である。この映画の題名である「Hanaan」とは、聖書でいう約束の地カナン(Canaan)のことだろうか。中央アジアに強制移住させられ、そこを理想郷と思うしかなかった朝鮮人の子孫が、時を経て、今度は朝鮮半島を理想郷と思わざるを得ない運命とその構図が、犯罪映画というカテゴリーとは別の次元で、横たわっている。
10月9日、第16回釜山国際映画祭のMegabox Haeundae 8 にて鑑賞。
(2011年10月23日)

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ウズベクの大地に根ざした映画「The Yurt」 [ウズベキスタン]

さてウズベキスタンの映画だが、これまでに観てきたわずかな経験の範囲では、散文的で芸術性を極めようとしているもの、民族的なものや伝統美を昇華しようとするものなど、異色なものが多かったようだ。
PIFFで10月5日、劇場はMegabox Haeundae 9で鑑賞した、Ayub Shakhobitdinov監督のウズベキスタン映画「The Yurt」(07)は、テーマこそ同じくPIFFで観たカザフ映画の「Together with My Father」同様に父子の関係を取り上げているが、心温まるという方向には観る者を導かない。ウズベクの大地に根ざした、父と息子の不思議な関係とその生き様が詩的な映像で描かれ、我々は刺激と驚きをただただ受けるのである。
この父と息子は、ウズベクの大自然の中にポツリとゲルのような家を建て、羊飼いをして二人で暮らしている。少年の母はどうも出産の時に死んでしまったらしい。父親は口数少ない頑固者で、しつけは恐ろしく厳しい。生きていくために必要なことはすべて、身をもって叩き込むかのようだ…。自然の中の生活では、父も息子もお互い、他に向き合うべき対象がない。息子は他に逃げ場がなく、父親に対してガップリと四つに組むしか術がないのである。やがて成長して青年となってから、息子は父に反発するようになり、一台のテレビを買う。それからは一人、テレビに釘付けの生活が始まった。テレビの世界に逃げ場を求めたのだ。しかし、大学に行きたいという夢もかなわず、息子は徴兵で軍隊へと送られた。とうとうテレビは父の手によって、地中深くに埋められてしまう…。
数年たって息子が兵役からいったん故郷へと戻ってきたとき、父親には嫁と赤ん坊がいた。聾唖の若い女Zainabを匿うため、羊二頭と引き換えに結婚したのだ。これには息子もさすがに驚いた。
そして7年後の1991年、再び故郷に戻ってきた息子は、アルコールと麻薬の中毒で身も心もボロボロになっていた。父と若い妻との間にできた娘は成長していて、たまたま庭を掘り返していて出てきた、ブラウン管が腐って抜けてしまったテレビの枠を取り上げんとしていた。少女がテレビのフレームを覗いたそのときに、戻ってきた息子の姿が、その枠越しに登場するという構図は見事に芸術的であり、象徴的である。
アル中でヤク中の息子は、父親によって、首から上を残して土の中に埋められる。何度も頭から水をぶっかけられる。そういえば昔も、よく頭から水をかけられてしつけられたものだった…。
ウズベクの大地が、ついに息子の心身を治してくれたようだ。映画は、家族四人の大縄跳びのシーンで終わる。物語展開も、映像も脳裏に焼きつくが、一方で独特のリズムを奏でる音楽も、耳に残って仕方ない。
(2008年11月15日)

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