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21st BIFFから/「Diamond Island」 [カンボジア]

経済成長するカンボジアの若者の上京物語だ。プノンペンで建設が進む一大プロジェクト「ダイアモンド・アイランド・シティ」。テレ東の「未来世紀ジパング」でも紹介されていた中国資本の巨大プロジェクトだ。完成予想CGが劇中に登場するとおり、首都の発展を示す現実の未来都市計画、その現場を支えているのは農村部からの出稼ぎ労働者。軽装で危うい手つきの彼らの楽しみは夜。女の子たちと知り合い、ディズニーランドと比べてもはるかにショボい遊園地で都会の生活をエンジョイすることだ。それは昼間に過酷な労働を担う彼らがみることのできる最高に背伸びした夢であり希望であり、しかしそれはこの大都市にやがて立ち上がる高級マンションに比べるとはるかに小さい。
何年か前にやはり釜山で観たドキュメンタリー「Golden Slumbers」のDavy Chou監督による劇映画「Diamond Island」(2015)。音信不通だった兄との再会、女性との出会い、田舎に残してきた母の死、現場仲間の大怪我…、物語は若者たちのひとり、Boraの視点で描かれる。
何年後だろうか、カフェの店員となったBoraには、完成したダイアモンド・アイランド・シティを見上げている日がくる。その時、この街並みづくりに関わってきたひとりとして、青春時代の痛みが思い出されるのだろうか。急激に身長が伸びる成長期に起きるという成長痛、これは体に限らず、伸びゆく国、香港やシンガポールを追うように成長しようとしているカンボジアの人々の心にもあらわれる痛みだ。
カンボジア=フランス=ドイツ=タイ=カタール合作。
(2016年11月13日)
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アジアフォーカス2012/400字レポート⑥ 「飼育」 [カンボジア]

アジアフォーカス2012/400字レポート⑥
「飼育」(2011) フランス リティー・パニュ監督

15年以上前だと思う。ハワイの映画祭で、リティー・パニュ監督とのツーショット写真を撮ってもらった。その時にそこで上映されていたのは「Rice People」(94)という、ドキュメンタリーの巨匠と呼ばれる彼のフィルモグラフィーの中では珍しい方になる劇映画で、カンボジアの農民一家のどん底な悲劇に心を打たれた。
今回の「飼育」もまた同様に素晴らしい。作品の最初と最後はともに米軍機からの俯瞰で、爆弾が上空から次々と落とされる映像。冒頭はゲームのように楽しんでいる米兵の会話、ラストは魂を揺さぶるような悲しみに溢れた音楽。その間に置かれた1972年のカンボジアを舞台にしたドラマは、捕らえた黒人兵とその監視を命じられた村の少年団の関係が軸になるのはもちろんだが、ロン・ノル将軍側に寝返った裏切り者の父親を持つ少年ポンが、“飼育”による功績をオン・カー(組織)に認められて、同志としての地位を上げていくところが強烈で生々しい。子どもも貴重な労働力=戦力である。
私有財産を廃止し、新しい社会を実現せんとするクメール・ルージュの、村における、目座す革命のやり方も恐ろしく映った。
(2012年10月18日)


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16th BIFFから ~ カンボジア映画史を振り返るドキュメンタリー [カンボジア]

失われたカンボジアの映画史を辿る、貴重なドキュメンタリー「Golden Slumbers」(2011)を今年の第16回釜山国際映画祭で観ることができ、これは大きな収穫だった(10月9日:CGV Centum City 4/ワールドプレミア上映)。作品の中で語られる、記念すべきカンボジアの国産映画の誕生は1960年。そして1975年までに400本以上の映画が作られて黄金期を迎え、多くの国民から愛されたが、75年4月17日、クメール・ルージュ勢力によるプノンペン占領によりほとんどの映画フィルムが焼かれ、当時プノンペンにあった30の映画館はすべて破壊されてしまった。何よりも170万人もの国民が虐殺されている…。
あの楽しかった時代に観た映画は残っていない。しかしこれらが人々の脳裏では、今はもう取り戻せないものではあっても、いつまでもキラキラと人々の記憶の中で輝いている。本作は、映画界が直面した取り返しのつかない現実を、悲劇としてはもちろんだが、人々の甘美な回想としても、資料性高くまとめている。
監督は若手で、フランス在住のカンボジア人Davy Chou。これが長編第一作だが、この監督の祖父が、カンボジアの映画プロデューサーだったVan Chann氏。監督の母(Van Chann氏の娘)は、パリの地で、まず当時のことを振り返る。父の最初の作品は1964年で、当時カンボジアに映画プロデューサーは7、8人いた。メロドラマが中心で、自分も10歳のころ子役で出演した経験がある。いやな時代にさしかかっていたが、人々はそれを忘れるために映画館へと走り、70年代に入って映画は絶頂を迎えたと回顧する。
このドキュメンタリーは、Davy Chou監督が2010年にプノンペンに入って接触した、今も生きている3人の実績ある映画監督と、1人のトップ女優へのインタビューを中心に構成される。
フィルムが残っていないのが残念なのだが、カンボジア映画の一時代を見つめ、当時の製作技術の努力を語るのはLy Bun Yim監督。香港に行き来したそうだが、ナチュラルなライティングを確立したり、また人物を瞬時に消したり、同じ人物を何人も重ねて登場させたりというトリック的な特撮技術には、今でも、当時のレベルとしては自信を持っていると言う。
当時のスタジオ跡地を紹介してくれるのはYvon Hem監督。カンボジアで撮影された、仏のMarcel Camus監督の1962年の映画「Bird of Paradise」の現地スタッフとして参加したことが、映画監督への道の出発点となった(「Bird - 」の映像はこのドキュメンタリーで紹介される)。映画製作会社を興し、自分のスタジオには、あやかってバード・オブ・パラダイスと名付けた。69年には国王が国内映画祭を提唱して開催。最優秀監督賞と最優秀撮影賞を獲った授賞式が、Yvon Hem監督の一番の名誉だそうだ。
Ly You Sreang監督は女優と結婚した。75年以降、サイゴンに逃げて生き延びたが苦労が続いた。代表作に「The Sacred Pond」がある。この老監督を、Davy Chou監督らスタッフは当時のロケ地に引っ張り出す。王女と召使のシーンを、老監督は思い出しながら細かく説明し、その証言に基づいて、この若き映画人たちはそこでリメイクシーンとして撮ってみる。
カンボジア最初の有名女優Dy Saveth。今は若者たちを相手にダンス教室を開いている。Kim Novaなど女優仲間の名前を次々とあげて、当時映画館には長蛇の列ができていたことを振り返る。映画では歌やダンスでも活躍した。かつて映画館BOKORだった跡にはカラオケクラブができていて、そこでは今も72年の映画「The Sad Life」の主題歌が流れ、歌われている。フィルムソングにはラブソングやデュエットも多く、フィルムは消失しても、そう、メロディだけは人々に愛され、残ったのだ。現在ではホームページなどでも広がって、曲は人々の間で立派に復興している。
また、シネフィルの人たちが登場し、人気女優を間近で観た思い出を自慢し、映画の題名あてクイズをして懐かしむ。愛好家でなくとも、一般の人々も、ヒーローもの、怪奇物、悲劇メロドラマと、皆よく映画のことを覚えている。30回観に行ったからなと豪語する老人もいれば、自分は幼かったので観に行った親から聞かされた話とわざわざことわりながら、振り返る人もいる。「The Scream Gibbon」「Sneak Man」「Tears from the Mountain」…。ここで語られているのは、ポル・ポト政権以前、カンボジア国民を魅了した娯楽映画の数々なのである。
かつて映画館だった場所についても、このドキュメンタリーは巡る。それらは今、アパートやレストランなどに姿を変えている。そのなかのひとつを訪ねたラスト近くの場面で、窓から一筋の光が差し込むところがあった。それは、なぜかわたくしには映写の光のように、そして希望の光のようにみえた。ああ、映画万歳!
(2011年10月16日)

BIFF2011シネマセンター①.jpg
開幕直前に完成したBusan Cinema Centerにて

BIFF2011シネマセンター②.jpg
BCCは4,000人収容の野外劇場の他、4つの劇場を備える。総事業費約110億円
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映像フィルムと国民の記憶、両方の風化に立ち向かう若き学芸員の姿に感動! [カンボジア]

NHK・BS1で放送しているドキュメンタリー番組「アジアンスマイル」は、アジア各地の実情を、その地の若者たちの頑張りを通して描いているプログラムで、多様な話題を毎週提供してくれるので、わたくしにとっては放送曜日が変わっても、もう1年以上、日課ならぬ、週課である。だから、ときどきリピート放送だったりすると、ちょっとがっかりもする。
7月4日に放送された、カンボジア・プノンペンからのレポートは、どうしてもここにメモとして残しておこうと思う。
プノンペンに、今から3年前、フランス政府の支援を受けて「ボパナ」という映像記録センターが開設された。カンボジアの歴史に関する映像を収集、公開する機関である。現在1700点の映像資料が集まり、子どもたちを中心に、年に1万5000人が訪れるという。
しかしポル・ポト政権時代から30年たった今も、カンボジアの中学3年の歴史教科書にはポル・ポト時代のことが、わずか数行しか載っていないという。3年8か月に及ぶこの恐怖の時代、静粛と位置付けられた内戦で強制労働や大量虐殺が行われ、150万人もの人々が犠牲になったということは、このままではカンボジア国民にとって埋もれた記憶となっていく。
27歳のレアックは、ボパナで働く33人のスタッフのひとり。学芸員として、ポル・ポト時代の映像記録を掘り起こすという仕事を受け持つ。その彼の活動を番組は追う。調査に向かった政府のフィルム倉庫には、膨大なフィルム600巻あまりが残されているが、30年以上放置されていて、埃をかぶったまま、ひどく劣化している。放置されたままだったのが、政治的な事情か、経済的な事情か詳しくはわからない。しかし高温多湿のこの国に、このような倉庫というか物置はあちこちにあるらしい。“ポル・ポト首相の戦場視察”といった貴重な映像がそこで見つかるが、1899年にリュミエール兄弟が撮った、当時フランス植民地だったカンボジアの映像がきちんと残っているというのとは、あまりにも対照的である。
恐ろしい映画がつい最近発見された。ポル・ポト派の宣伝映画である。当時子どもたちは親子関係を否定され、家族とは切り離されて、貴重な労働力として活用されたのである。子どもたちに政治や思想をたたき込むことを正当化する映画である。繰り返すがとても怖い映画である。
ボパナを訪れた中学生たちが、ブースで、整理され公開されている映像を観ている。やはり動画は、貴重な歴史資料であると思う。
ポル・ポト時代よりも後に生まれたレアックは、閉ざされた自分の国の歴史に光をあてたいと、仕事が休みの日にも、当時の収容所跡に行って聞き取り調査したり、30年たった今年2月にやっと始まった、当時のポル・ポト派指導者を裁くための特別法廷の傍聴にも出向いている。ボロ家に住んでいて(失礼)、休みなく頑張っているカンボジアの若い学芸員の姿に、心から感銘を受けた。
(2009年7月11日)

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