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北朝鮮映画「愛の街」は、われわれの知らない愛にあふれていた [北朝鮮]

昼間に九州大学・大橋キャンパスで、日本の植民地時代の朝鮮のプロパガンダ映画「兵隊さん」(1944)を観た後、同じ7月18日の午後6時20分から始まる、福岡市民福祉プラザの視聴覚室での、福岡朝鮮映画を観る会が主催する上映会に足を運んだ。上映された作品は、2003年製作の北朝鮮映画でタイトルは「愛の街」。
まず、話の流れを整理してみる。
軍を除隊した青年・才赫は、軍から戻る途中に乗ったバスの社会的な役割に惹かれ、そのまま、路線バスの運転手として働きたいと運輸事務所の副技師長に申し入れて、めでたく二階建てバス503号の運転手となった。毎日、大国建設に向かって働く人民のためにバスを走らせる才赫。彼のバスの乗客として毎朝に乗り合わせる美鮮は、ビール工場の研究員として働くOLである。才赫が彼女の落とした手帳を拾って届けてあげたことから、二人の間柄は親密になっていく。
美鮮は何と、才赫の上司である副技師長の娘さんなのだが、その副技師長は、そのまた上の上司にあたる旧知の仲の運輸事務所の支配人との間で、お互いの娘と息子を結婚させようという約束をしているものだから、才赫と美鮮の間のことは認められない。じつをいうと才赫は、まさにその運輸事務所の支配人の息子なのであるが、その身分を隠して、父親が責任者である事務所の、いち運転手としてひたすら懸命に働いているのである。映画の最後には才赫の正体もわかって、恋愛ものとしてのストーリーはハッピーエンドで終わる。この骨となる部分は、映画としては結構しっかりと描かれている。副技師長のキャラクターや、そのコミカルなやりとりも味付けとして悪くはない。
一方で映画は、「人民に奉仕する」というスローガンの下で、バス運転手として汗水流す好青年・才赫の活躍ぶりを、これでもかこれでもかというくらいに見せつけてくれる。もちろん彼だって人間、失敗もする。正確な時間と安全運行という規定を順守するがために、毎朝大きな荷物を持って時間ギリギリに乗ってくるおばさんを見捨ててしまうこともあったのだが、すぐに反省して、自分の誤った考えを軌道修正する。本当に驚くほど素早い反省である。アイデアマンでもあり、車内に意見箱を設けたり、運転手同士でタイヤ交換競争を行って、互いの技術を高めようとひたむきである。乗客みんなから愛され、才赫も乗客一人ひとりを愛している。このような出来過ぎた青年にはめったにお目にかかれない!
運行中に、乗客の女性の一人が陣痛に見舞われた時には、規定を破って、大勢の乗客を乗せたまま、二階建てバスで病院まで乗り付ける。途中で異常を察したパトカーがバスの先導をしてくれ、無事到着した際には、乗客のおばあちゃんは、よかったよかったと喜びのあまりに涙を流しているのだ! 陣痛の女性を途中からパトカーに乗り移した方が問題解決としてはベターだと思ったりもするのだが、このエピソードは、一人のために多くの人々が一心になるという、この映画のクライマックスのひとつであろう。他にも、養鶏場拡張工事に従事する夜の労働者のための輸送計画を計画立案したり、冷え込みの激しい深夜に、バスのエンジンが凍りつかないように、高熱をおしてまで自主的に出勤してくる才赫の仕事に対する献身ぶりは、きりがないほどに劇中に登場する。
だけれども、驚くほどの道徳的デフォルメが鼻にもつかず、また見飽きることもないのは、これが触れる機会に乏しい北朝鮮映画であるためだろうか。スローガン的な歌も何度か出てくるし、それもまた興味深くて、映画としてのリズムはまあまあ良いのだ。
それからもうひとつ! 大変重要なことだが、それは総書記の存在である。フィクションなのか、ノンフィクションなのか、(われわれとしては)その境界線のはっきりしない点が不思議なところである。
才赫が運輸事務所に勤めるようになって、最初に、事務所についての説明ガイダンスを受ける。説明する女子職員は、金日成総書記の、路線バス事業に対する深い温情を、流れ出す涙をぬぐおうともせず、熱く語り上げるのだ。1973年の3月2日、総書記は実際に小型バスに乗り込んで、ピョンヤンの街を見回ったといい、その当時の写真が映画に何枚も登場する。あわせて、総書記の人民愛を物語るエピソードなどを、その女子職員はひとり感動しながら披露する。よもやこれはただの劇ドラマであろうものか。
またあるいは、才赫が、拾った手帳を届けるために、美鮮の勤めるビール工場を訪れる場面。美鮮はせっかく来たのだからと、才赫に工場見学を勧め、自ら案内役を買って出る。ここでも金正日総書記の御心が語られる。美鮮の頬には涙が幾筋も伝う。このビール工場は、外国訪問で世界各地の工場を見てきた経験を生かして、大国建設に汗を流す人民においしいビールを開発し、供給してあげたいという、総書記の御気持の結晶なのである。やはり工場建設時の総書記の写真が映画に登場する。
養鶏場拡張工事の話も総書記の指揮するプロジェクトであるし、そのほかにも、才赫のバスの乗客として、たぶん実在のフィギュアスケートのメダリストや、人気者コメディアンが登場する。
このように、ドラマと現実のあいまいな部分が時折、映画の中に現れては、それが妙に気に掛かるし、そこが映画の単調さをかき消すことにもなっているのだ。
さりげない演出もある。たとえば、登場人物が道端に落ちているごみを拾い上げる、ほんの数秒のシーン。この映画の登場人物は、本当にみんないい人たちで心温まる。
ピョンヤンの街は愛にあふれている。これは国民賛歌である。この映画を観て北朝鮮の人々の生活ぶりを知ったとは言わないが、その思想は知りえたと思う。
(2009年7月23日)

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