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アジアフォーカス2012試写レポート:バングラデシュ映画「わが友ラシェド」(2011) [バングラデシュ]

最終的に大学では地理を専攻することになるのだが、わたくしは小さいころから地図好きで、お絵かき帳に日本列島や大陸の輪郭を数えきれないくらい模写したり、国旗や首都名の丸暗記をしたりしてひとり遊んでいた。それは、毎週日曜の兼高かおるの番組(のちには「世界の子供たち」も)と、小学校入学前に親から買ってもらった地球儀や地図帳がきっかけだったが、当時の世界地図では、インドの南の島はセイロン。そして飛び地になっていて、インドを東と西から挟んでいたのが、パキスタンだった…。
この映画は、まさにわたくしが小学一年生にあがったころの時期、バングラデシュがパキスタンから独立する直前の1970年9月11日から物語が始まる。
東パキスタンの小さな村の中学校に、謎めいた少年が転校してくる。級友たちの投票で、彼の名前はラシェド・ハサンと決められる。彼は「二年続けて落第すれば学校に来なくてもよくなる」とうそぶき、腕っぷしも強い。優等生のような雰囲気ではない。しかし、西が東から搾取している、東の分離独立を恐れたヤヒヤ・カーン大統領が議会を開こうとしない、バングラデシュには自治権が必要と、やたらと内政情勢に詳しい。独立後のバングラデシュの旗を持ってきて級友たちにみせるなど、ラシェドは同級生たちとは明らかに異なる存在だった。
東側では「Joy, Bangla!」と、ムジブル・ラーマンを指導者として独立を求めるデモ活動が活発になり、まもなくパキスタン軍がダッカを攻撃し始めた。村にも軍がやってきて、殺戮が始まった。インドへと逃げる人々も出始めた。村の少年たちは、ラシェドの影響を受けて、パキスタン軍に抵抗する解放軍の活動に、子どもながらにかかわっていくことになる。
本作は、児童映画と呼ぶとちょっと語弊があるかも知れないが、演出的にはジュブナイル仕立てである。少年たちの行動は、タッチやリズム、音楽効果にしても、勇気ある冒険のように描かれる。少年4人で銃弾を隠密に輸送したり、銃撃戦の応援をしたり、またトリックを使って子どもたちだけでパキスタン軍から捕虜を救出したり! 村の人々は、しかし救出劇のヒーローを少年たちだとは考えもしない。大人たちの反応をみて、少年たちはニヤリとする。このあたりのくだりは、バングラデシュ独立戦争という厳しい状況を背景にしているものの、なかなか痛快な展開である。だがしかし、ドラマはこの後、あまりにもビターな方向へと進んでいく…。
映画は出だしから、バングラの代表的俳優ライスル・イスラム・アサード演じる、イブという中年男性の回想という形で進行していく。イブは少年時代に過ごした村へと列車で向かっている。転校生ラシェドに出会い、彼に影響を受け、ともに解放軍の手助けをしてきた、あのころの自分のいた村へ。それは、一家でインドへ避難することになり、捕虜救出劇の数日後にはラシェドのもとを離れた、あの日以来である…。
俗な例えで恐縮だが、2010年のシングルCD売上げトップテンを「嵐」と「AKB48」のふた組が独占したように、これまでアジアフォーカスのバングラデシュ枠は、国際的にも傑出した二人、モルシェドゥル・イスラムとタンビール・モカンメル両監督のためのものとなってきたところがある。モカンメル監督には二年ほど前にお会いし、バングラデシュ映画研究所所長を務めていること、年に60本ほど作られる映画の大半が相変わらずボリウッドのコピーであることなどをお聞きしたが、イスラム監督の方は、この新作「ラシェド」を含む近年の製作活動の充実ぶりから、いまもバングラの芸術映画界を牽引されていることがうかがい知れる。
奥ゆかしいお人柄で、そのソフトな話口調とはうらはらに、イスラム監督の作品には社会をシャープに描いたものが多い。福岡で「苦難の大地」(97)というサイクロンに度々襲われるバングラの人々の暮らしを描いた作品が上映されたときには、観客から「あなたはバングラの災害対策をどう考えるか!」とまるで国会のような質問が飛んできて、監督が「私は大臣じゃないんですけど…」と遠慮がちに小声で答えられていたことが思い出される。お客さんにとっては、映画を通して初めて知ったバングラデシュの姿、そして眼の前には初めて出会うバングラデシュ人。おそらくそういうシチュエーションから素直に出たクエスチョンだったのだろう。そんな風に、イスラム監督は、15年も20年も前から、映画で世界にバングラデシュをアピールするという役割を果たされてきたのだ。それは、天然でタメ口のテレビタレント・ローラが語る母国像よりもずっとリアルだ。
一方でイスラム監督は、「転校生ディプー」(96)、「ぼくはひとりぼっち」(04)といったジュブナイル作品の傑作も撮ってきた。クラスに転校生がやって来て、名前のことでひとつ騒動があって…という出だしの「わが友ラシェド」は、「ディプー」に通じるところもあるが、そのどちらも小説の映画化で、原作者はMohammad Zafar Iqbalという作家だそうだ。
とにかく定評ある職人的な手腕で、少年の眼をとおして母国独立の時代の人々の様子を素直にわかりやすくみせてくれるイスラム監督の新作は、やっぱりバングラデシュ枠に最もふさわしい作品だと思う。
(2012年8月28日)

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バングラデシュ映画「アリ地獄のような街」を観た [バングラデシュ]

2010年2月13日付でこのホームページに書いた、バングラデシュの映画「アリ地獄のような街(Je Shohor Chorabali)」(09)。東京でこそ渋谷のアップリンクで劇場公開されていたものの、福岡ではやっと有志の方々によって、バングラデシュ支援講演会のなかで上映された。8月7日のことである。
福岡といえば、この映画を撮ったシュボシシュ・ロイ監督が、若き映画人としておそらく初めて国際映画祭に参加した地である。(1998年のアジアフォーカスで、子役として出演した「転校生ディプー」(96)の上映のために来福!)しかしながら、今回は支援イベントの中での上映なので、その点は語られていなかった。
しかし、さて、肝心の映画の方は、何と言えばいいのだろう。優れた映画を鑑賞することが、およそ2時間の心地よいドライブだと例えるならば、このたびは、えらく調子の悪い車に乗せられて、下手な運転に付き合わされたという感じだった。製作者たちの志は高いので、とても残念!
走るドライブコースの景色(映画なのでこの場合はテーマ)は素晴らしいのだけれど、運転が下手。悪路を悪路と感じさせない華麗なテクニックがない。石ころがあれば石ころありますと、その上をまっすぐ走り抜ける感じで、展開になめらかさがないのだ。そのくせ、運転手(監督)は同乗者への心配りに躍起になっていて、凝ったつもりでBGMを流し続け、景色を観る間も与えないほどにあれこれと一生懸命おしゃべりを繰り返す…。張り切り過ぎて、ドライブの初デートに失敗しちゃったよね!っていう感じだった。
…でも、これは真面目ゆえの失敗で、彼が見せたかった、ダッカに生きるストリートチルドレンの実情は、ちゃんとフロントガラスの向こうにあった。乗り心地こそ悪い運転だったが、バングラデシュの案内(描写)はやはり現地の人にしてもらうに限るのだ。
プロジェクター上映なので、夜のシーン、暗いシーンは再現力が非常に弱かったのも、重ねて残念。もっともDVD素材だからこそ、地方で映画専用でもない施設を使って何とか上映会を可能にできるという、裏腹のメリットもあるのだが。(今はミニシアターになるとフィルム作品を平気でDLP上映するので、エンドロールは文字がつぶれて読めないなどひどい状況にある)。
で、どのような映画だったのか、最後に簡単な筋を。孤児の少年ラジュも、少女ククも、それぞれ生き延びるために大都市ダッカに来た。しかしダッカには、彼らのようなストリートチルドレンたちをアリ地獄のように飲み込んでいく闇の世界があった。二人は、路上の子どもたちを裏の商売のために操っている男イアシンと出会う。そして彼の片棒を担がざるを得なくなってしまい、危険な生活からはもう抜けられなくなる…。
支援イベントという枠組みであるので、この映画は社会派作品であるという眼鏡で観ざるを得なかった環境が、本作の評価をさらに厳しいものとした。
(2010年8月13日)

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シュボシシュ・ロイが監督として撮ったバングラデシュ映画があるらしい [バングラデシュ]

「アリ地獄のような街(Je Shohor Chorabali)」(09)というバングラデシュ映画が、上映会の形ではあるが、日本国内で配給されていることを知った。九州では1月23日に佐賀で上映されたそうだが、所用で行けず、いま現在未見である。
かつて日本で、バングラデシュの映画が映画祭上映以外で上映されたことはあっただろうか。知る限りでは、モルシェドゥル・イスラム監督の1997年の「苦難の大地」。これが、デジタル・メディア・ラボの出資によって日本との合作作品となったことが、“公式”に日本で取り上げられた唯一の例ではなかろうか。
ところでこのイスラム監督は、日本でもバングラデシュ映画界の代表的存在として最もよく知られたひとりといえるが、それはおもな監督作がアジアフォーカスで紹介されてきたから。(それが合作のきっかけにもなった)
「車輪」(93)のようなちょっと知的な作品もあれば、「苦難の大地」(97)のような社会の現実をまっすぐに見つめたものもあり、またいくつかの児童映画も手掛けていて、それらも含めて福岡映画祭では上映されている。
1998年のアジアフォーカスでは、監督作「転校生ディプー」(96)が取り上げられた。転校生とクラスのガキ大将の交流を描いたもので、このときには、主役を演じた二人の子役も、イスラム監督に連れられて映画祭にゲスト参加している。その二人の少年のひとり、シュボシシュ・ロイ(転校生役ではなくてガキ大将の方)が、何と現在は映画監督として活動していて、この度日本国内でも配給されることになった、この「アリ地獄のような街」の監督なのである!
子役としての来日はもう12年も前のことだった。当時福岡では、青少年交流事業でアジアからホームスティに来た高校生が姿を消すというできごとがあった影響で、バングラデシュから、役者とはいえ、未成年が保護者の同伴もなく日本入国査証を取得することは極めて難しかった。
貧しい国からやってきた子は、働いて金を稼ぐために逃げ出してしまうのではと考えられていたわけで、バングラデシュは特にマークされていたのだが、国の事情はいまも変わっていない。「アリ地獄の」は、ストリートチルドレンたちをアリ地獄のように飲み込んでいく、大都市ダッカの闇の世界を描くことで、バングラデシュの子どもたちの過酷な社会環境を訴える作品となっているそうである。
バングラデシュといえば、偶然にも、バングラデシュからの出稼ぎ労働者を描いた韓国映画を最近2本観た。ひとつは、昨年11月に東京の「韓国映画ショーケース2009」でも上映された「バンドゥビ(Bandhobi)」(09)。登場人物ふたりの温かさが、心に優しく沁みてくる映画だ。その後、第31回ナント三大陸映画祭コンペティション部門でグランプリを獲得したことも納得である。
片親である母は恋人と奔放な交際を続けていて、孤立した生活を送っている女子高生Min-suh。彼女は偶然、バングラデシュから出稼ぎに来た青年Karimの財布を拾ったことで、彼の生活にかかわるようになる。彼には不法入国者という弱みもあって、賃金が1年分も未払いの状態である。Karimに頼まれ、Min-suhはその取立てに係わるようになるのだが、文化の違いこそあれ、孤独という共通の境遇から、二人はそれとなく心を通わせていく…。二人を引き裂くKarimの強制送還のシーンはショッキングだが、ラストは、自立したMin-suhが、ふらりとバングラデシュ料理店に入って、Karimがかつて作ってくれた味を思い出しながら、噛みしめるように食べる場面で終わる。
彼を追ってバングラデシュに渡るわけでもない、ましてや再会するわけでもない。それが変にドラマチックでもない現実。国際的な格差の事実と、単なる日常のひとコマに過ぎない食事の中で思い出す異邦の味…、感傷的な場面なのに、ひとの温もりをさりげなく感じさせる、印象的でうまい終わり方である。
もう一方の「Where Is Ronny...」(09)は、テコンドーの道場の師範をしている主人公のKim In-hoが、不法労働者だった青年Ronnyを探してバングラデシュに渡るところから物語は始まる。
街の自警団をしているIn-hoは、外国人たちが治安を乱していると感じている。そんなIn-hoはテコンドーの大会で、突然現れたバングラデシュの青年Ronnyに一発でのされ、赤っ恥をかいてしまう。じつは露天商をしていたRonnyは、In-hoら自警団に難くせをつけられ、恨んでいたのだ。
大会で負けたうえにテコンドー道場の経営も危なくなり、In-hoはRonnyを見つけ出して復讐しないことには気が済まなくなる。同郷だという男Duhinを見つけ、彼を使ってRonnyの行方を追うが、このDuhinがとても風変わりな男で、In-noとうまくかみ合わない。やがて、Duhinとの出会いの中から外国人労働者たちの実情が見えてくる…。
残念ながら「Where is Ronny...」は、「Bandhobi」と比較せずとも、明らかに不完全燃焼なドラマだった。しかし、このふたつの映画が韓国社会の実情を映していることは間違いなく、外国人の不法労働者を扱った韓国映画は過去にも観たが、今回はどちらもバングラデシュに関係していたのでちょっと気になった。これらには、Mahbub Alam Pollob、Robin Shiekといった、ハングル語を流暢に話すベンガル系(バングラデシュ?)の俳優がでている。韓国芸能界の情報には疎いので、プロフィールなどどういう人物なのかよく知らないが、どちらも良いキャラクターである。
(2010年2月13日)

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ちょっと変わった、バングラデシュ映画「Third Person Singular Number」 [バングラデシュ]

10月8日に開幕した第14回釜山国際映画祭に今年も足を運んだ。もうこれで12年連続になる。気になったアジアの映画を、いくつか取り上げようと思う。
今年の釜山映画祭は世界最大のデパートだという、センタムシティ地区の新世界百貨店の上のシネコンがメーン会場のひとつ。オープン後の今年の春に一度来ていて、どこにコーヒーショップがあるとか、中の構造や周囲の環境は知っていたので、映画と映画の合間も快適に過ごせる。
さて、10月10日にここのCGV Centum City 7で観たのは、バングラデシュ映画「Third Person Singular Number」(09)のワールド・プレミア。監督はMostofa Sarwar Farooki。英題の意味は“三人称単数形”。さて、誰が、どうして三人称単数なのか。
映画はいきなりドキュメンタリー風に始まる。夜の街中を一人さすらう女性。いやらしく執拗に迫ってきたり、また絡んできたり、また追ってきたりする男たち。やがて女性は警察に保護されるが、女性がこんな時間に歩いていては、どうも娼婦としか思われないのだろう。以前、バングラデシュのAbu Sayeed監督の「Forever Flows(Nirontor)」(06)を観たとき、水商売の女性を扱っていて、バングラデシュ映画としてテーマの新鮮さを感じたことがあったが、この「Third Person - 」の出だしは、それ以上のインパクトである。
しかしこれ以降は、ユーモアを盛り込んで、ロマンチックな歌も出てくるドラマへと一転する(ただしスピリチュアルな面もある)。主人公の女性の名はRuba Huq。NGO活動をしている同棲相手の男Munnaが逮捕されたために、住むところも仕事も必要となった。
姉の嫁ぎ先はあてにできないが、かといってバングラデシュでは、女性の一人暮らしには、部屋も貸してもらえない。
Rubaは、はっきりとした物言いで、この国ではススんだ考えの女性である。交渉相手の雇い主も家主も、若くて美しいRubaに対して好色に接してくるばかりで、彼女の家探し、働き口探しはじつにコミカルに描かれる。
ついに仕事と住む場所が見つかる。広告代理店に勤務することができて、仕事では男性社員を追いぬかさんばかり。そして住む場所は高級マンション。彼女の友人Topuはバングラデシュで大人気のポップスターで、彼に頼みこんで、偽装結婚による同居が始まったのだ。Topuは我々からみてイケメンではないが、心優しく親切、しかしその親切心は、どうもRubaに気があるからのようだ。言い寄ろうとするがなかなかうまくいかないところは、ちょっと上品な滑稽さがある。このTopuが劇中で歌うバングラ・ポップスはなかなか気になる良さのある曲である。エンド・ロールでみる限り、Topuは実在のミュージシャンで、本人役をこの映画では演じているようだ。こうしたキャスティングからも、この「Third Person - 」は、バングラデシュではメインストリームなのかもしれない。
さて、Rubaの方も、Topuとイチャイチャしたりして恋人気分である。しかし、心はTopuの方を向いていても、同棲していたMunnaがいずれ出所してくることになる。ティーンエイジの頃の過去の自分が現れて、現在のRubaと口論を繰り返すスピリチュアルなシーンを経て、いつも強がっていた主人公Rubaが涙を見せるシーンが出てきたときには、観客のひとりとして何だかホッとする。
新たなライフスタイルをみせながらも、それがまだまだ熟成可能な社会ではない街ダッカが、この映画の舞台である。だから、バングラデシュという土地で、女性としての生き方を確立しようとする主人公の、強くたくましい場面ばかりをみせられたとしたら、それはただの理想主義でしかなかった。
Rubaとふたりの男性TopuとMunna、三人がそろう不思議な雰囲気のラストシーン。それぞれが複雑な心境を抱いて、それぞれがそれぞれの人生の途上に立っていることがよく伝わる。
バングラデシュ映画としては全体的に垢抜けている感じがするし、最後までたいへん面白がって観た。しかし、ドキュメンタリー、社会派、コメディ、実験と様々な要素がまるで細胞分裂するようにして姿を見せるのだが、うまく消化されておらず、映画そのものとしては荒削りで中途半端に崩れてしまっている。けれども、誉めていいのか、その崩壊のし方が妙に面白い。Mostofa Sarwar Farooki監督は、今後も要注意かも。
(2009年11月4日)

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