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17th BIFFから/アルメニア映画「If Only Everyone」 [アルメニア]

今年のBIFFの特集で焦点があてられた奇才セルゲイ・パラジャーノフ監督もアルメニア人だったが、10月8日にMegabox Haeundae 9にて、どちらかというと大衆的なアルメニア映画を観た。それは女流監督Natalya Belyauskeneの初の長編作品「If Only Everyone」(2012)。
明るさと重たさとが幾重にもかさね作られた作品である。「重たい」というのは、ソ連崩壊によってアルメニアとアゼルバイジャンがそれぞれ再び独立を果たした際に、アゼルバイジャンから見ての飛び地の帰属について、両国の間に勃発した紛争に絡んだ人々の想いが物語の根底にあるからである。
アルメニア人の母親と、20年前のこの両国間の戦争に加わったロシア軍兵士を父親にもつチャーミングな女性Sashaが主人公で、ロシアから来た彼女がアルメニアの空港に降り立つところからドラマはスタートする。彼女は連絡バスで街なかへと向かう。街角では風物詩の水掛け祭り(夏にNHKの「ほっと@アジア」でみた!)が行われていて、大人も子どもも無邪気にはしゃいでいる。Sashaもこれに巻き込まれていくのだが、何とも楽しそう。主人公にも作品の観客にも、冒頭でまずアルメニアという国に親近感を感じさせて、掴みはOKといった出だしだ。
Sashaの旅の目的は、前述の紛争で命を落としたロシア人の父親の墓を探し訪ねることである。そのために、つてを辿って、頭の禿げ上がった初老の男Gugoの元を訪れる。父の戦友だったGugoは最初迷惑そうな感じだったが、彼じしん墓のことは知らず、彼女を車に乗せて、当時の仲間たちを訪ねる旅に出た。
山村で養蜂業を営むHoso、人形劇の劇団員になったDeroを順に訪ねて行く。けれども誰も墓のことは知らず、娘Sashaとオヤジたち3人の、陽気で人情ある道中が始まっていく。描かれるアルメニアの美しい風景や、農村部の伝統的な風習、楽しそうな踊りや牛を捧げる儀式、ロバのレースなどが観ていてとても気を引く。アルメニア語なのだろうか、オヤジたちが名前の後に-janと付けて呼び合っているのが、まるで-ちゃんと言っているようで人懐っこく聞こえてならない。「明るさ」全開のロードムービー的部分である。
4人の乗った車はやがて教会へとたどり着く。建物には銃痕が生々しく、戦争の悲劇を今も伝えている。Sashaは神父から、お父さんに似ているねと言われ、父の墓は国境を越えたアゼルバイジャン側にあることを知らされる。Sashaは墓の傍に植えるつもりの木の苗を、ずっと持ち歩いて来ていた。夜中になって、彼女はその苗を持ち国境の向こう側へと進んでいく。そして、紛争で息子を失ったアゼルバイジャンの老人に出会う。老人はSashaに銃を構える…。
Sashaは幼い頃に、アルメニアの人々のために父親を失った。そのSashaと、父の戦友のアルメニア人たちとの出会いと交流は、「明るく」て、しかしじつは「重たい」ものであった。そしてそれは、懺悔と赦しの時間にもみえた。
目的を果たして帰路の車中の4人は、笑顔で溢れ楽しそうである。だが本当はこの車は旅のためにGugoが盗んだものだったため、途中で車の持ち主に捕まってしまい、4人は山の中に放り出されてしまう。しかし、そうなってもSashaとオヤジたちは大笑いするばかりである。その雰囲気を伝えるのが、作品のポスターの写真である。このハッピーな感じは最後までアルメニアという国に対する好感をもたらしてくれる。
(2012年12月8日)

If Only Everyone.jpg

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台詞が排除され、音と映像、牛の名演技で表現されたアルメニアの実験作「Border」 [アルメニア]

第14回釜山国際映画祭のWide Angle部門の上映作品「Border」(09)は、10月下旬の第22回東京国際映画祭映画祭のnatural TIFF部門にも「牛は語らない」というタイトルで出品されるため、そこで観ることもできたが、じつはこの作品、セリフがまったくないので、日本語字幕があった方がベターというような判断も必要ないだろうと思い、10月11日に南浦洞のシネコンDaeyoung Cinema 2で観た。
何よりもまず、アルメニア(オランダとの合作)の映画ということで、食指が動かされた。アルメニアと聞いて連想するのは、まずは映像作家のセルゲイ・パラジャーノフ。そして筆者の乏しい知識では、世界で初めてキリスト教を国教とした国、西隣トルコとの紛争(アルメニア人の大虐殺)、東隣アゼルバイジャンとの対立(アルメニアを挟んでアゼルバイジャンの飛び地がある)ということ。
トルコによる虐殺問題については、アルメニア系のアトム・エゴヤン監督が「アララトの聖母」(02)で取り上げているとおりで、現在は国外離散により国内人口の二倍のアルメニア人が海外に居住しているといわれる。余談だが、私はそういうアルメニア人のご夫婦のお宅に招かれてアルメニア・コーヒー(水から煮立てるトルコ・コーヒー)をごちそうになり、飲み終わった後のカップをひっくり返して底にできる残りカスの模様で、コーヒー占いをしてもらった思い出がある。気に入って、コーヒー煮立て用の専用鍋を買ってしまった後日談も。
で、話を戻すが、この「Border」を観終えてその晩に、100年近く対立を続けてきたアルメニアとトルコ両国が、関係正常化に向けて前日の10日に調印したというニュースを知って、何となくこの映画に巡り会った因果を感じたものだ。
上映劇場に集まった観客は少なく、およそ30人。半分ぐらいはロシア系だろうか韓国人以外の人々だ。筆者は、セリフが全くない実験的な作品と知ったうえで観たのだが、他の観客はおそらくそうではなかったのではなかろうか、映画が始まってそれほど経たないうちにゾロゾロと、最終的に半分ぐらいは途中退場してしまった。しかしまず強く言いたい、この作品「Border」は究極の映像芸術であり、希な傑作であると。
Wide Angle部門はドキュメンタリー部門。Harutyun Khachatryan監督の製作手法は実験的であり、主人公の牛は役者として名演技を披露していると思うのだが、いや確かにドキュメンタリー作品だ。しかしセリフがひとつもない。つまり、言葉という情報は排除されている。おまけに釜山映画祭のカタログにはわずかに2行「アルメニアとアゼルバイジャンの間の紛争後、救い出された一頭の牛の視点から語られる、小さな村の物語。村におけるこの牛の存在は、ソ連崩壊後の国々における信頼できない関係を映し出している」。
しかし、結果的にはこれだけで十分であった。
飛行機やヘリコプターの姿こそは映らないが、プロペラの音が響き、村のあちこちから煙が上がっている。果てまで有刺鉄線が延びている。国境付近ということだろう。通りかかったトラックの運転手が、沼に落ちて上がれなくなっている牛を見つけて救い出す。その牛は村の農場まで運ばれ、そこで他の家畜とともに育てられるようになる。村で生活するのは、アゼルバイジャン側から逃れてきたアルメニア人の難民たち。時々遠くに響く爆音を耳にしながら、日常の四季の営みが繰り広げられる。家畜をつぶして村人みんなで料理をして食べたり、乳しぼりやチーズづくりをしたり、男たちは石やレンガを積んで家畜小屋の建設を始めたり…。
繰り返すが、スクリーン上、音や音楽はあるが言葉はない。もしもこの映画の観客が主人公の牛の立場だったら、言葉があったとしても、理解できないので、ないのと同じだろう。まあ、牛になったような気分でもある。この牛はときどき国境を目指しては農場を脱走し、そのたびに連れ戻されてしまう。
そしてやがて冬。雪の季節だ。この地方もけっこう積もる。新年を祝うような食事が家々で行われる。深い雪の中、もう一度牛は村を飛び出す。張り巡らされた鉄線の手前で彼方をじっと見つめながら、悲しそうな鳴き声を響かせるのである。
雪が解けると春。祭だろうか、大道芸人たちによるサーカスのようなものが催され、教会では結婚式。宴が始まり、花婿たちは踊り出す。そんなときに牛小屋で火事が発生し、手もつけられないほどに激しく燃え上がっていく。何とか一部の家畜は避難させることができた。主人公の牛も、炎に取り巻かれた小屋を遠くから呆然とした眼で眺めるが、多くの家畜は焼け出されてしまった…。
消防車や救急車が駆けつけるなか、この牛はまた国境に向かって駆け出す。ついには、国境にたどり着き、子牛を産み落とす…。ガンガンガン、ゴンゴンゴンと響く効果音が、観る者を身震いさせるエンディングである。
非常に芸術性が高くて味わい深い作品で、言葉による直接的な情報はない代わりを、映像と音が十分に務めている。起伏あって飽きない映像展開も素晴らしいが、音や音楽の役割も、ここでは特に絶賛したい。
(2009年11月12日)

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