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第15回釜山国際映画祭で観た、クルドを扱ったイラク映画の最新作3作品 [イラク]

第15回釜山国際映画祭では「Kurdish Cinema, The Unconquered Spirit」と題した特集プログラムで、ギュネイ、ゴバディ、ヒネル・サリームなどのクルドの作品が上映された。映画を通してクルドのアイデンティティーを主張する文化的姿勢が着目されていたわけだが、第15回映画祭では、この特集とは別で、クルドを扱ったイラク映画の最新作を3本ほど観たので、その記録のため、観た順に記憶をフラッシュバックしておこうと思う。

まずは10月9日にMegabox Haeundae 6で観た「Son of Babyion」(10)。国際交流基金のアラブ映画祭2006で来日した、バグダッド出身ムハンマド・アル=ダラージ(Mohamed Al Daraji)監督の最新作である。そのアラブ映画祭では、イラク戦争後に製作された2本目のイラク映画となった監督作「夢(Dreams)」(05)の上映のほか、イラク映画復興についてのシンポジウムにも登壇していて、ちょっとモジャモジャの髪の毛がすごく印象に残っている。そのとき今後の映画製作についても語っていたが、二作目となる本作がイラク・英・仏・UAE・エジプトと多くの国の合作となっているところから、資金調達に相当の苦労があったことがうかがえる。
イラク戦争開戦から3週間後の2003年4月、サダム・フセイン政権も、銅像が倒されるなどして事実上崩壊した。そのころ北イラクからAhmed少年とその祖母が、少年の父親を捜しにヒッチハイクで南の都市ナシリアをめざす。12年前に少年の父から届いたナシリアからの手紙が唯一の手掛かり。Ahmedの手にはまだ見ぬ父の残した笛が握られている。
何とかバグダッドまでたどり着き、そこで今度はナシリア行きのバスを探す。クルド語しかしゃべれない祖母にとってアラビア語しか通じないバグダッドは異郷である。
子どもと年寄りだけの二人旅は、出会う人々の人情に支えられていくが、所々では米兵が厳しく監視し、煙炎が上がり銃声が響き、道中には民衆の死体も転がっていて、勇敢なAhmedでさえ恐ろしくて眠りにもつけない。このクルド=イラクの悲劇を辿ることになるロードムービーは、かつてイラン映画の良質なそれを観た時の味わいを呼び起してくれる作風である。
辿り着いたナシリアでは父親が入れられていた刑務所は爆撃を受けていて、その後の行方、埋葬されているのかどうかさえわからなかった。二人旅に途中から加わり、それを親切に調べてくれたMusaという男は、かつてクルドを爆撃したフセインの軍に属していたという過去があった。そのことから、旅はまた少年と祖母の二人に戻ってしまう…。
民族和解の難しさも匂わせながら、空中庭園の伝説を残す古代都市バビロンが栄えていた土地から掘り出されるのは、過去の繁栄を示す遺跡などではなく、フセイン時代に犠牲となった国民の、身元も分からない無数の骸骨であることがわかるところが、この旅の哀しい結末である。

10月10日にはLotte Cinema Centum City 3で、Ebrahim Saeedi監督の「Mandoo」(10)を観た。これもクルドの人々のロードムービーであるが、一台のバンが目指す先はイランである。Shaho一家は、イラン=イラク戦争が始まって故郷を離れクルド難民として生きてきた老父が重病でもう老い先長くないことから、かつて老父が住んでいたイランへと向かっているのである。子どもの頃に両親と海外に逃げ、いまはスウェーデン国籍を取得して女医となった、Shahoの従妹であり老父の姪のSheelanも、フセイン政権が崩壊したことから老父をスウェーデンで過ごさせようと一時帰国してきたが、クルドの地で余生を過ごさせようというShahoたちのバンに同乗することになった。
老父はもう口もきけないし、歩くこともできない。この作品がユニークなのは、カメラワークの大部分が、車内に座らされた老父からの視線になっているところである。これがとても効果的で、外の世界に対する緊張を表現するとともに、車内のクルド家族としての一体感を高めている。途中でクルドの結婚式に出会い、宴の踊りにShahoたちが飛び入りする楽しい風景を車の窓越しに眺めることもあるが、戦火の爪痕を見せつけられたり、テロリストに襲われたり、地雷で立ち往生したりという旅は、故郷に辿り着くということの対価としてはとても厳しいものである。
Sheelanは「スウェーデンでもイラクでもない。クルドのアイデンティティーのために」と、医師としての仕事を全うするために、立ち寄った医療キャンプで旅から降りてしまう。
イランとの国境を目指す山越えのくねくねした曲がり道で、やっとカメラは、ミラー越しにこの老父の顔を初めて映し出す。この瞬間に作品を観ている我々は、まるで目的地がみえてきたかのような安堵を感じる。しかし…国境を目前にしてこの老父は、「Son of Babyion」の最後の場面の祖母と同じく、旅の目的を果たせずに絶命してしまう…。
この「Mandoo」は、英語タイトルとしてフィルム冒頭に「Exhausted」と付いていた。まさにそのとおりか、いや、クルドの人々の現実を、的確に言葉で言い表せるであろうか。この問いに答えを見出すことはできない。そういう点では、映画の持つ描写の力はほんとうに大きいと思う。
Ebrahim Saeidi監督は、映画祭カタログによるとイラン内クルド地域のマハーバード出身だそうだ。

10月11日にLotte Cinema Centum City 7で観たのは「The Quarter of Scarecrows」(10)。
イラクのクルド自治区アルビール出身の新人Hassan-Ali Mahmoud監督によるワールド・プレミアである。70分程度の短さで筋は極めてシンプル。皮肉も入った寓話であるが、ちょっと作りが稚拙な印象はぬぐえない。しかし兵士の屍を貪るカラスの大群は、誰がどうみても気色悪い。これらカラスの存在感で、この土地で生きることの不幸を表現しようとしている。
イラン=イラク戦争で荒れ果てた地を開墾するだけでもたいへんだが、農夫のHamaは、地主にカラスから小麦を守るように命じられる。村の女たちに作らせた案山子をびっしりと立てるが、これはカラスに無視され大失敗。次に兵士を配置し発砲で追い払うがこれも効果なし。Hamaはカラスに夜もうなされ、夢に案山子のお化けが出てくる始末である。
そこで今度は村の子どもたちを総動員し、空き缶に小石を入れた道具をカラカラ鳴らさせて畑じゅうを歩き回らせる。しかし子どもたちの頑張りも空しく、カラスの群れは広がっていくばかり。一人の少年がバラ線を越えて地雷の中に入り込んでしまう悲劇も…。
村への爆撃がひどくなり、村人たちは土地を離れていく一方で、Hamaじしんも地雷で片足を失ってしまう。しかし松葉杖をつきながらも、意地になってカラスを追い払おうとするHama。この彼の意地が、クルドの人々の平和に対する姿勢のシンボルとなっている。
人々が去って案山子だけの村になったこの地で、残された案山子たちが亡霊のように、そこにずうっと立っている。まるで強く平和を訴えているかのように。しかし、それを無視して黒い群れが頭上を舞う…。
(2010年12月14日)

キム・ジミ.jpg
第15回の釜山国際映画祭ではキム・ジミの特集も

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クルド人監督による、クルドの現実を描いた映画2作品 [イラク]

第14回釜山国際映画祭には、ワールド・プレミアのイラク映画が2本も出品されていた。どちらもクルドを描いた映画である。
2年前に同じ釜山で、クルドのヒネル・サリーム監督の、クルド人の逃亡を描いた作品「Dol」(07)が上映された時には、映画祭カタログでのクレジットはイラクとクルディスタン、仏、独の合作となっていたので、このホームページでも便宜上、クルド映画のカテゴリーで書いた。「Dol」はトルコ国内のクルドの村を舞台にしたものだったので、おそらくクルドのアイデンティティーについての強い主張も込められての映画祭での表記ではなかったかと推測する。
一方、今年上映されたのはイラク映画「Herman」とイラク映画「Kick Off」の2作品(カタログの表記から。ただし後者は映画祭公式HPの方ではイラクとクルディスタンの合作映画となっている)。
国際映画祭では映画の国籍を表記することが一般的だが、政治的な配慮が働かない限りは、出資にあたってどこの製作会社の作品かという点で仕分けられている。今回の2本については、何か意味があるのかあるいは特にないのかその背景も知りえないので、このホームページでのカテゴリーは映画祭カタログに合わせようと思う。
ちなみに今のイラク映画は大別するとアラブ系とクルド系に分かれるが(もちろんこのように分けることは適切ではないのかもしれない。クルドの映画人にはイラク映画と括られることに抵抗があるらしいとも聞くが)、イラクの作品じたいが国際映画祭の舞台に登場する機会が極めて少ないなかでは、海外に届いている作品はクルドものが中心である。もちろんこれは、今はまだ国全体のなかでクルド自治区の治安が比較的安定していること、クルド文化復興に力が注がれていることなどのためであろうから、将来的には全域でもっと映画づくりが盛んになっていく可能性に期待したい。
国際交流基金が2005年から4年間アラブ映画祭を開催したが、このなかではアラブ系の作品も多く紹介されて、とても貴重だった。
それではまず、10月10日にCGV Centum City 5で観たHussein Hassan監督の「Herman」(09)。クルドのダフーク生まれの35歳の監督の長編デビュー作だ。作品のリーフレットではクルド自治政府文化省映画部の製作と記載されている。
ベータカムによるデジタル作品で、冒頭からカメラワークを大胆に駆使して、若い男女の無音の水中撮影を試みたり、長いキスシーンを捉えてみたりと、恋人たちのイチャイチャぶりを野心的に映し出している。舞台は1988年のクルドで、青年の名はHerman、そのフィアンセの名はAdar。二人は結婚を控えていたが、Hermanが結婚準備で村を離れている間に、フセイン軍によるクルド攻撃が始まってしまう。
村人たちは村を棄ててトルコとの国境を目指す。Adar一家らも何とか難民キャンプに転がり込むが、そこでAdarが、行方不明になってしまったHermanの赤ん坊を身籠っていることが判明する。母親は恥だと嘆き、父親は一家の名誉のためにとAdarを殺そうとする。キャンプでは、常に過酷な生活が強いられる。
一方で軍の攻撃に巻き込まれたHermanも助けられていた。しかしクルドの抵抗勢力側に間違えられるなどして、なかなかAdarを見つけ出すことができない…。そのなかで、大きくなったお腹の中のHermanとAdarの赤ん坊は、クルドの人々の平和への願いの象徴として描かれる。
ドラマの中盤以降は、起伏が激しくなっていくのだが、どうもうわべだけの表現が目について、個々の場面としては迫るところもあるが、作り手の思いが空回りしてか、全体の流れがわかりにくいという感じもした。
上映後のQ&Aに立ったHussein Hassan監督は、質問に対して「名誉のために自分の娘を殺すという伝統は、いまもムスリム社会の中にある」と述べていた。
同じ10月10日にCGV Centum City 4で観た、イラク映画でもう一本の「Kick Off」(09)は、コンペ対象のNew Currents部門での上映で、結果として映画祭最終日に、今年のNew Currents賞(グランプリ)とFIPRESCI賞をみごとにダブル受賞した!
確かに着想がまず素晴らしい。物語の舞台は、クルドの都市キルクークで廃墟となったスタジアム。ここには家を失ったクルド人たちが住み着いている。主人公の青年Asuは、地雷で片足を失ってしまった弟を励ますため、そして貧しくて政情不安ななかで民族を越えて夢と希望を見出すため、このスタジアムを会場にした少年サッカーの親善大会を企画する。そして地元テレビ局のバックアップを得てついに実現、クルド系、アラブ系、トルコ系のチームが集まる。
ユニークな物語だが、一方でリアルな生命力が感じられ、主人公たちがサッカー大会をしようと動き始めるところで、すでにこの映画の魅力にハマってしまった。
まずはクルドとアラブの試合から始まる。まず誰が審判をするかでもめて、結局テレビ局の外国人カメラマンに任せることで一件落着。しかしスタジアムは家のない人々の住処を兼ねているため、試合の途中で馬が乱入したり、灯油の配給車が入って来たりしては一時中断。また、選手がけがをし、他のチームから応援を出したり、ひとつしかないボールの空気が抜けてしまったりしながら試合は進んでいく。けっこう笑わせるところも多い。
そんなときに、街の市場で爆発が起こる…。
釜山のカタログでは記載されていないが、これは日本との合作である。もっと正確にいうとNHK国際共同制作作品で、昨年11月の第9回NHKアジア・フィルム・フェスティバルでは「僕たちのキックオフ」という題で上映されて、今年の9月8日には早くもNHK・BSハイビジョンで放送もされている(NHKバージョンと釜山上映バージョンが同一のものかどうかはわからないが、釜山ではワールド・プレミアとして扱われていた)。
監督は、アジアフォーカスでデビュー作「砂塵を越えて(Crossing the Dust)」が上映されている、クルドのザホ出身のシャウキット・アミン・コルキで、これが長編第二作。やはり才能あふれる人物であったことに間違いはなく、脚本も、映像の描写力も素晴らしくて、New Currents部門の頂点(グランプリは2作品)に立ったことは納得である。
(2009年11月15日)

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映画「Herman」のリーフレット表紙
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