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異色の移民ドラマ「The Last of Us」 [チュニジア]

これまで、アフリカや中東から命がけでヨーロッパを目指す人々を描いてきた多くの映画のように、この作品「The Last of Us」(2016)の主人公も、アフリカから地中海の向こう側の世界へ渡ることを試みる。チュニジア=カタール=UAE合作だが、これが劇映画第一作のAla Eddine Slim監督がチュニジア出身であることから、おそらくこの主人公の若い男はチュニジアを離れたいのだろう。推測が必要なのは、この作品には全くセリフがないからで、登場人物も数えるほどだ。
映画は砂漠から始まる。男は仲間と砂漠地帯を越えていくが、その仲間とはそうそうにはぐれてしまう。密輸か何かのトラックに便乗して移動、海辺までたどり着くと、小舟を盗んで出航する。会話が一切なく、風や自動車の音といったノイズだけが強調されて聞こえ、男の行動が、いっそう、秘匿な不法行為にみえてくる。
小舟は難破してしまったらしく、動物捕獲用の罠に引っかかったことで男は意識を取り戻し、自分の居場所が迷い込んでしまった林の中であることに気付く。彼はそこで狩猟をして暮らしている野生人の男と出会い、その弟子のような形で,おそらく期待していただろうヨーロッパ世界での生活とは全く異なる原始的な暮らしを始めることになる。もちろん無言のままで。その師匠が命を落とし、最後に彼は,滝を前にして意を決したように丸裸になる。そして、彼の身体はしだいに自然風景の中に溶けて消えていく。主人公がたどりついたこの密林の世界は,彼が抱いてきた夢に対するアンチテーゼだったのか,それとも遭難した彼が迎えた死後の世界だったのか…。曖昧にして不思議な余韻を残す異色作だ。
第73回ベネチア国際映画祭で、優れた新人監督に贈られる未来の獅子賞を獲得したそうだ。
(2017年2月22日)

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チュニジア=ベルギー=フランス=UAE合作「As I Open My Eyes」 [チュニジア]

第72回ベネチア国際映画祭でEuropa Cinemas Label PrizeとBNL Audience Awardを受賞したという、チュニジア=ベルギー=フランス=UAE合作「As I Open My Eyes」(2015)を観た。撮ったのはこれが第一作となるチュニジア出身の若手女性Leyla Bouzid監督。
新聞テレビで報じられない日はないだろうシリア情勢を絶えず見聞きしているが、ISも絡んだ中で、この先どう決着するのだろうか皆目見当もつかない。自由を求めて、各国で民衆が立ち上がった「アラブの春」の中で、成功を収めたのは、アラブの激動の出発点となったチュニジアだけだと聞く。確かに、2015年にはチュニジアの市民団体が、前年のマララさんに続いてノーベル平和賞を受賞している。
いわゆるジャスミン革命で、20年以上も強権体制を敷いてきたベンアリ大統領が早々に国外逃亡し、そのうねりはエジプトへと飛び火したものだから、僕にはチュニジアの人々の苦悩への理解が圧倒的に不足していた。この作品は、そういうチュニジアで革命が起きる直前の2010年夏、ベンアリ独裁下を時代背景にしていて、当時の街の空気が興味深く描かれている。
高校を卒業したばかりの18歳の娘Farahと母親Hayetの絆が軸のひとつになっている。父親は別の街で働いているようだが、女中もいて、暮らしぶりは豊かなようだ。進学を望む親心とは裏腹に、Farahはリードボーカルとして、アンダーグラウンドなバンド活動を続け、メンバーのひとりとつきあってもいて、暗がりでは唇を重ねている。酒場を出入りする娘のことを親の方はけしからんと思う一方で、娘じしんは自由奔放であり、表面的には親世代へ抵抗する若者の姿とみえてくる。
しかし、彼女の歌う詞には政治的な主張が込められている。英語字幕で読む限り、大空へ自由に飛び立とうみたいな、比喩的な表現にしかみえないが、アラブ世界ではとくに詩が大切にされているというようなことを聞いたことがある。ISのプロパガンダにおいても、詩集が重要な役割を担っているという雑誌記事を先日に読んだばかり。2016年新春からの朝日新聞の連載「世界は歌う」でも、体制批判で人気を博すセネガルのラップグループを取り上げていた。音楽も社会的メッセージを伝えるメディアのひとつであることは周知のことだが、僕は、この作品の見方を振り返ると、紙面に例えれば記事の内容よりもデザインレイアウトの方に眼を向けていたのかもしれなかった。
劇中でFarahたちの奏でるサウンドは、伝統楽器も取り入れたとてもユニークなもので、正直に書くと、字幕を眼で追うよりも耳でリズムを感じる方に熱心になってしまい、彼女らのメッセージを具体的に理解できたわけではなかった。けれど、当時のチュニジア社会の嫌な抑圧感、その中で生きる若者たちが何と魅力的に写ること。重たいばかりの作品ではない。
しかし終わり近くで、ゾーッとするような出来事が描かれる。母親と一緒に外出していたFarahの姿が、まるで神隠しにあったかのように忽然と消えてしまう。娘の行方を必死に捜す母親だが、じつはFarahの言動は常に警察に監視されていて、取調べのために拘束されていたのだ。そういうことが、革命前には普通に起きていたということだろう。
そういう状況に萎縮しなかった民衆の力で、チュニジア社会は変わったということを、等身大で学ぶことができるフレッシュなフィクションだ。
(2016年2月27日)



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チュニジアの短編「父親」 [チュニジア]

※ネタバレあり

6月24日〜26日にユナイテッドシネマ福岡で上映された「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2015」特別セレクションは、今年の受賞作品5本のパッケージ。そのなかで、インターナショナル部門・優秀賞「父親」(2014) も観た。チュニジア映画で、ロットフィ・アコー監督。
チュニスの街でタクシー運転手をしているヘディは、雨の夜、ある店先で女主人から、産気づいた若い妊婦を押し付けられる。呼吸法を大声で指導しながら、病院を探してハンドルを握るヘディの姿はユーモラスであり、彼の人の良さを感じさせる。しかし無事に送り届けた翌朝、彼は警察から召喚される。昨夜の妊婦が、何とヘディに子の認知を求めているというのだ!恩を仇で返すのか! 女主人は『これも神の思し召しよ』と言うが、妻子もいるヘディが、そんな運命を受け入れるはずもない。
果たして…DNA鑑定の結果、未婚の妊婦が咄嗟についた嘘であることが判明したが、一方で悲劇的な事実があぶり出されてしまった。ヘディは無精子症だったというのだ! では、自分の娘は、妻と隣家の男との間の子? 予想外の展開にこちらもびっくりしている間に、ヘディは、生まれてきた赤ん坊を引き取ることをわりと短時間のうちに(短編作だから)決意する。やっぱりこれは、神の思し召しだったのかしらと考えると、ショートショートでありながらも、深い作品だ。優秀賞という価値観をもって観た次第だが、それに値すると思う。
(2015年7月26日)

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