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Yosep Anggi Noen監督の最新作「Solo, Solitude」 [インドネシア]

何年か前の釜山国際映画祭で観た「Peculiar Vacation and Other Illnesses」(2012)の、心に染みいる男女間の機微が今も忘れられないYosep Anggi Noen監督は、その後には南城市をロケ地に沖縄県が製作して第7回沖縄国際映画祭に出品された短編「ルマ(Rumah)」(2015)の監督・脚本・編集も務めたそうだが、第69回ロカルノ国際映画祭では、最新作「Solo, Solitude」(2016)がワールドプレミア上映された。
先にシノプシスを読むと、民主化運動を封じ込めてきたスハルト独裁時代、活動家たちに大きな影響を与えたインドネシアの詩人Wiji Thukulについて描いたとのことだが、観終えて、なお前作同様に、男女の間にある、空気の流れのように眼にはみえない心のキャッチボールに深く感動した。
最初にテロップで、1996年に起こった民主化を求める暴動によって当局の取り締まりが激化し、Wiji ThukulはSoloの街から900km以上離れたボルネオに逃れたと説明がある。まずは社会派ドラマだろうかと思って観始める。Soloに残った妻子のところへも警察がやってくるだけではなく、日常を監視される。Wiji Thukulは避難先で名前を変えて詩を書き続ける。
男女間と書いたけれども、夫婦が揃う場面は最後にしか訪れない。それまでは別々の日々が過ぎるだけだ。それぞれの生活描写がまたいい。そして終盤に二人が旅館のひと部屋で密会する長回しの場面が、それがとくに感情的ではなくて日常のひとコマのようにさりげないのだけれども、かえって強く印象付けられる。この長回しの場面がエンディングとなって、ドラマは再びテロップの情報で締めくくられる。スハルト退陣時には、Wiji Thukulは行方不明になってしまっていたということ…。そうすると最後の場面がメモリアルのように思えてくる。
Soloという地名がそのまま英語題名になっているが、僕らが日ごろ単独、ひとりの意味で使う「ソロ」に重ねてみてしまうと、いっそう淋しくなる。
(2017年2月15日)


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アジアフォーカス2013/400字レポート ② 「聖なる踊り子」 [インドネシア]

アジアフォーカス2013/400字レポート ②
「聖なる踊り子」(2011)インドネシア=フランス イファ・イスファンシャ監督

◎結末を書いています
本作は、昨年10月に行った釜山国際映画祭で上映されていた。アジアフォーカスは明日開幕なので、過去の記憶を辿って書く。1960年代半ばのジャワの村を舞台にした、土地に根づいたならわしや時代のうねりに翻弄される男女の悲劇的宿命が、ジャワ舞踊の踊り手という特殊な生業から炙り出されていく。選ばれた者だけがなれるというこの踊り手には、村の安寧を守護祈祷するという側面と、女性が担うことによるジェンダーとしての側面があるらしい。聖なる恵みを分け与えるための売春行為を現在もなお行っているのかどうかは知らないが、そういう陰の部分を吹っ切るかのように舞い続ける踊り手の柔らかな笑みや艶やかさは、この主人公の女性が少女時代に憧れるに値した。幼い頃からのつきあいで、肉体関係にまで至ったその彼女が村全体の共有物となった時に、恋仲の男は村を去り、国軍に入隊する。やがて共産党の活動がこの村にも及び、彼女には党キャンペーンにおける赤い衣装の踊り手という新たな役割が生まれるが、かたや男の属する国軍には、その共産主義を抑えつける任務があった…。
人が一心に舞い踊っているとき、その頭の中にはいったい何が思い描かれているのだろうか。それともむしろ、何かを払拭するために熱狂的になっているのだろうか。男がやっと女性に再会する10年後、落ちぶれながら、一見廃人のような表情で踊り続けている彼女。彼女の胸には、恋人よりも舞踊の道を選択し、子どもの頃からの夢を貫いたということについての強い確信がずっと抱かれているのだろうか。
(2013年9月12日)

今年5月に福岡アジア美術館であったデヴィ夫人のトークショーに行った。スカルノ・コレクションなどインドネシア現代アートの数々についての、夫人のひとつひとつに対する審美的コメントの的確さに驚いた。この映画の背景となる時代や、ジャワの文化などなどについても、大統領夫人としてインドネシアの60年代を生きた、デヴィ夫人のお話をぜひ拝聴したいものだと思った。

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17th BIFFから/インドネシアからの新しい映画「Peculiar Vacation and Other Illnesses」 [インドネシア]

繊細なフィーリングが持ち味で、人生の苦みが心に響く小品だ。状況説明を急がない展開は、かえって、インドネシアの新人で脚本・監督のYosep Anggi Noenの世界にゆっくりと浸ることを可能にさせてくれる。
Ningという若く美しい女性が服の小売店を辞め、かなり立派なインテリアショップの販売員として働き始める。揃いのオレンジの制服を着て、ドライバーの男Murとペアを組み、家具の配達にトラックを走らせることになる。車中の二人の会話も最初は探り探り、ジャワ島の美しい農村風景がゆったりと流れていく。二人は寄り道を繰り返す。静かな女には固さがみられ、よく喋る男には彼女への関心がみられる。このソフトな空気のロードムービーと交互に、一人の男の物寂しい感じの日常が、何故なのか並行して描かれていく。
Ningが途中で架ける電話先がこの男で、彼女の夫だということがわかってくる。Murは「結婚してるの」と軽く尋ね、彼女もそうだと軽く答える。NingとMurは途中で宿泊するが、最初は隣り合わせの共同シャワー室でそれぞれ淡々と汗を落とす。そしてのちに二人は関係を持ったようなことがなんとなくわかる。一方でNingの夫は夜の街で売春婦を買っている。
Ning夫婦のことは、また、時折りに出てくる二人の過去の描写から感じ取るしかないところ。それらは場面としてはわずかしかないが、ベッドの上で求めてくる夫に対する生理中のNingの奉仕、それがもうあまりにも空虚で、観ていて二人のすべてを印象づけるのだ。それぞれの孤独感がヒリヒリとして止まない。
じつは、瀕死の子猫の映像からドラマは始まる。そして映画の中ほどには、インテリアショップへの出勤のために、Ningが夫のバイクの後ろに乗って走る場面がある。その時にバイクは子猫を轢いてしまう。エンディングには、「猫を轢いたの」というNingの声が流れ、スクリーンには、家具の配達も終わって空っぽになった、走るトラックの荷台が延々と映し出される。
そこには、今まで何があったのだろうか…。ここにこのドラマのそれぞれの抱える虚しさが、今さらのように感じられて止まらない。このインドネシア映画のタイトルは「Peculiar Vacation and Other Illnesses」(2012)。何とも文学的な題名であったことが、これもあとになってしみじみと感じられる。
10月6日、Lotte Cinema Centum City 9にて。
(2012年11月4日)

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ホラー映画の季節なので、インドネシアのゴア・ホラー「Macabre」に挑戦 [インドネシア]

インドネシア映画「Merantau」の日本でリリースされたDVDを買って観たついでに、それがクロージング上映された第13回プチョン国際ファンタスティック映画祭で同じく取り上げられた、同じインドネシアの「Macabre」(09)を観てみることにした。「マカブル~永遠の血族」という邦題で同じくDVDリリースされているらしい。
告白するが、一年に200から250本程度の映画を観ている計算になるわたくしだが、その大半はスクリーンで。もしくは入手したDVD、そしてWOWOWなどでの放送が残り。いわゆるレンタルショップを利用したことは、生涯でたったの一回しかない(その一回は、福岡では劇場公開されなかった、第66回ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞のイスラエル映画「レバノン」(09))。性格的に、借りたものを約束どおりに返す自信のなさの表れからなのだが、ついに生涯で二回目になるレンタルに挑戦した。(そんなに大袈裟に書くほどでもないか)
ゴア・ホラーというジャンルに入るらしい、インドネシア・シンガポール合作の「Macabre」は、2010年の第12回ジャカルタ国際映画祭のカタログをみると、そこでも上映(18禁で)されているようだが、Timo TjahjantoとKimo Stamboelの二人からなるThe Mo Brothers脚本・監督のデビュー作だそうだ。Mo Brothersという名前は印象的なので、昨年の釜山のAsian Project Market(旧PPP)にも、新作の「Killers」という企画をあげていたのを覚えている。おそらくこれもホラー?
アジアから世界へ、香港の「the EYE」(パン・ブラザーズ)やタイの「心霊写真」(パークプム・ウォンプム&バンジョン・ピサンタナクーン)が、ホラーの分野から、まずコンビ監督として、それぞれの力量を融合させながら見せつけてきたのと同様に、今度はインドネシアから新しい才能が現れた。
さて、ゴア・ホラーとは? “永遠の血族”と副題がわざわざ付けられているとおり、怪しい屋敷に住む不死身の一家と出会った6人の若者たちとの、チェーンソー、ボウガン、鎌、日本刀、鋭利な髪飾り…とあれこれ飛び交う、血塗られたデスマッチ・ドラマである。緩急をつけた気持ちいいくらいの緊張と工夫の演出は、決して凡庸ではなく、カメラも気が利いていて、あっという間の95分である。
夜、車でジャカルタの空港へ向かっていた6人組は、路上で困っている若い女性マヤを拾い、彼女の家まで送り届けることに。彼女の森の屋敷には、二人の兄と、どうみても姉くらいにしか見えない若い母親マヤがいた。お礼にと出された夕食には薬が仕込まれていて、気付くとそこは地下室で、この不気味な一家の手によって、一人ひとりの解体ショーが始まるのである…。
いったん逃れてはまた捕まって、6人の仲間は一人ずつ命を落としていく。もっとも6人の中にはアジと臨月を迎えたアストリッドという新婚カップルがいて、アストリッドは自らの命を犠牲にしながらも、新しい命を産み落とすのだが。
事態を不審に思った通りがかりの刑事が屋敷に立ち寄り、この屋敷の住人たち、つまり兄妹が幼いころから母親に人の殺し方を教わっていたこと、そして美しい女主人が百年以上その美貌を保っていること(1889年当時の写真から変わっていない!)をうすうす知る。しかしこの刑事も殺されてしまうのだ。
この時点で6人のなかで生き残っているのは、アジとその妹ナディア、そして産まれたばかりのアジの赤ん坊だけ。アジとナディアは、映画の冒頭では、両親を殺したのは兄さんよ!などと言い争っていた関係だが、こうなっては助け合って逃げのびようとする。
女主人マヤは、人を食することで永らく生きてきたようなことをほのめかす。ほら、おまえらも夕食で一緒に食べたでしょと…そして、美味しい獲物を見つけたかのように、赤ん坊を睨む。地下室の床には、無数に転がった小さな頭蓋骨が…。
最後に残ったナディアは、体がボロボロになりながら、必死で抵抗する。しかし、この屋敷の“永遠の血族”たちも、なかなか息絶えない。首を刈り落とすまでしない限りは!
相当の血を流しながらも、ナディアが、強い生命力をもって、最後の最後に女主人たちに打ち勝って、赤ん坊を抱いて屋敷を脱することができたのは、夕食で知らず知らずのうちに人肉をしっかり食っていたからではなかろうか。
プチョンでは、この生き延びた、体当たりアクションの女優ではなくて、不気味な女主人を演じた女優に最優秀女優賞が贈られている。
(2012年8月4日)

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インドネシア映画のアクションヒーローIko Uwaisに、遅ればせながら、驚いた [インドネシア]

「ザ・タイガーキッド~旅立ちの鉄拳~」という、ちょっとクサいタイトルの映画DVDが安売りされていた。ずっと以前にそれを一瞥したときにはタイのB級ムービーだと思い込んでいたが、わたくしは老眼なので、今回はケースの読めない超小文字を愛用の虫眼鏡でジーッと見ると、これは何年か前にプチョン映画祭で上映されていたインドネシア映画「Merantau」(09)のよう。しかしどこの国の作品などとパッケージには正確には書かれていない(ジャンル映画なのでそんなことにこだわるお客さんはいないのかしら)。まあ、劇場一本分よりもはるかに安いので、買って観た。
作品としては全体的に、国籍はみてとれるほどにははっきりしない。しかし、物語の最初と最後に、特別出演のようにして登場する主人公の母親役クリスティン・ハキムが、インドネシア映画のアイコンとして機能していて、この作品の格付けを確かなものにしている。
西スマトラの故郷の村に母や兄を残して、ミナンカパウ族の青年ユダは都会へと旅立つ。その地方では、成年になると経験を積むために親元を離れる“ムランタウ”という伝統があった。それに則ってジャカルタに辿り着いたユダは、インドネシアの伝統格闘技シラットの達人。その技能を活かしてシラットのコーチ業で稼ごうと考えていた。
しかし、ラトガーという西洋人の進める、売春を目的にした人身売買の餌食にならんとしている女性アストリを一度助けたことで、生身の体ひとつで、巨大な犯罪組織に立ち向かうことになる…。
ユダ役のIko Uwaisがとにかく、そのアクションがなかなか決まっていてスゴい存在感である。俳優である前にシラットの使い手だろうと思うが、ルックスがまあまあ良くて、過剰な演技はまったくないが、困っている女性アストリを見捨てられない、ちょっと寡黙なヒーローとして、われわれ観客には衝撃的な出会いがある。タイのジージャーの男子版といった感じか。しかし先行して賑わしているアジアのアクションムービーとも少し色合いが違っていて、決してひけを取らない。
ドラマ展開もコンパクトで、クライマックス近くの、エレベーターの箱を使った銃撃の場面は、アクションシーンの繰り返しのなかでもメリハリを狙ったもので、凄いというわけではないが工夫が感じられた。対立概念としての、生身の肉体vs道具(銃や刃物)という描写は、その演出力次第でドキドキするし、ハッとする。
そして…ユダの挑んだリスキーな闘いの決着は、とてもビターで大人の味がした。あとから調べてみたが、Gareth Huw Evans監督はインドネシアを拠点に活動しているが、英国出身のよう。
この「Merantau」がクロージングとしてワールドプレミア上映されたのは、2009年の第13回プチョン国際ファンタスティック映画祭だったが、プチョンでは同年に他にも、インドネシアから「The Forbidden Door(禁断の扉)」(09)、「Macabre(マカブル~永遠の血族)」(09)が取り上げられている。第15回には「Madam X(マダムX)」(2010)も。
そして第16回の今年は7月19日に開幕したが、娯楽系のインドネシア映画数本がまたまた上映されるともに、併催の企画マーケット「Network of Asian Fantastic Films」では、アジアのジャンル映画のメッカとしてインドネシアに焦点があてられるそうだ。石炭や天然ガスといった資源の宝庫であるように、インドネシアはまた、怪奇映画という資源にも富んでいる。その掘り起こしが始まるというのは願ってもないこと!
前述した作品はどれも、日本でも映画祭上映されたり、ジャンル映画としてDVDリリースされている。ホラーやアクションといったジャンルには一定のマーケットがあるので、今後も、来そうな予感がする。まず確定分としては、「Merantau」のGareth Huw Evans監督の、その次の作品でトロント国際映画祭観客賞受賞作の「The Raid」(2011)が日本でも配給が決まっているらしいので、楽しみ。何といっても「Merantau」のヒーローIko Uwaisと再び組み、約100分の尺のうち、85分がアクション場面だそうだから。
(2012年7月27日)


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16th BIFFから ~ ムスリムの礼拝をテーマにしたインドネシアのオムニバス映画 [インドネシア]

第16回釜山国際映画祭にて、10月8日にLotte Cinema Centumcity 10で観たインドネシア映画「Jakarta Twilight(Jakarta Maghrib)」(10)は6つのパートからなるオムニバスだが、どの短編も、イスラム教の“Maghrib”に結び付けた物語だった。“Maghrib”とは、イスラム教徒に義務づけられている一日五回の礼拝のうちの、夕方日没時の礼拝をいうらしいが、辞書的に述べるよりも、それぞれのパートの筋を辿った方が、ムスリムにとっての“Maghrib”の存在が理解しやすいかもしれない。
第一話は、ある若夫婦の話。生後4か月の赤ちゃんは不機嫌なのか、なかなか泣きやまない。妻は母乳を与えて寝かしつけようとするが、夫はその妻の胸元をみて、ムラムラとしてくる。もう1週間もナニをしていないのだ。夫は、歌ったりあやしたり、あの手この手で早く赤ちゃんを寝かせようと奮闘、そして、やっとのことでヤレそうとなった時に、夕方のお祈りの時間がきてしまう!
第二話。タバコ屋のおじいさんは、店の前のモスクの管理もしている。あるとき、酔っ払いが店の前をうろつき、子どもたちにちょっかいを出し始める。おじいさんは、タチの悪いこの酔っぱらいを諭し始めるが、その途中で息を引き取ってしまう。やがて夕方になり、反省した酔っ払いは、このおじいさんに代わって、モスクでアザーンを唱えだす。
第三話も夕方。路地が舞台。家々からひとり、またひとりと表に出てくる。どの家庭もAkiという人物を待っている。お隣さんたちは、待つ間に雑談を重ね、互いを知り合う。彼らが待っているのは、絶品の焼き飯をつくる、Akiという男の、流しの屋台だということが、観ていてやがてわかってくる。しかしAkiよりも先にお祈りの時間がきてしまい、皆、諦めて帰ってしまう。
第四話は小さなゲームセンター。放課後になり少年はすぐに駆けつけるが、目当てのゲーム台は、もう4つともふさがっている。お祈りに行かないとおばけが出るぞ!と作り話で脅かして、他の子たちを追い出すことに何とか成功する。しかしすぐに夕方のお祈りになって、街にアザーンが響き渡る。恐くなって店を飛び出した少年は、家路まで始終ビビリまくり。
第五話は、若いカップルが主人公。車を運転する男は、助手席に座る、義理の妹となる女性の道案内で、花嫁の両親のところまで、結婚式の打ち合わせに向かっているようだ。けれども、渋滞を避けたり、近道をしたりが裏目にでて、なかなか家に近付けない。お祈りまでに到着しなければいけないのに、車内での口論はしだいに激しくなり、とうとうアザーンが聞こえてくる。
最後のパートで、それぞれのストーリーの登場人物たちは、自然と交錯していく。それまでの物語をつぶさに観てきた者だけが味わえる、納得の、ある意味で至福のエンディングである。
と、こんな風にインドネシアのムスリムの日常を、夕方の礼拝の時間という視点から切り取ったのは、これが初監督となる新人のSalman Aristo。小説家でもあり、リリ・リザ監督作品「Rainbow Troops(虹の兵士たち)」(08)、「The Dreamer(夢追いかけて)」(09)などのシナリオも担当してきた人物だそうだ。短編オムニバスなので、演出の粗さよりも発想の良さの方がむしろ目立つ、ちょっと小粋な作品である。
(2011年11月28日)


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インドネシアの、キッチュでポップなカルト・ムービー「Madame X」 [インドネシア]

インドネシアのカルト・ムービー「Madame X(マダムX)」(2010)。ファンタスティック映画祭、クイア映画祭あたりでは、引っ張りだこになりそうな、トランスジェンダーのヒーローアクションものである。スラップスティックなB級映画というひとことだけでは片づけられない、それなりの工夫と遊び心、確信的な美学に満ち溢れた出来栄えである。Lucky Kuswandiという監督は新人なので馴染みがないが、「分かち合う愛」などで活躍する女流監督Nia Dinataのプロデュースと聞けば、これはもう期待せざるを得ない。
おまけに、筆者お好みのインドネシア女優Shanty(好きなことは前にも書いたけれど)がクレジットされているではないか! Shantyは、Kinky Amaliaなるゴシップ・スターとして最初こそ華々しく登場するが、主人公の敵役であって、残念なことに出番は少ない。
肝心の主人公は、それこそまるでKABA.ちゃん似のAdamである。彼は女装のセクシャル・マイノリティーで、ヘアドレッサーをしている。誕生日を祝って、同じクイアの仲間たちとクラブで踊っているところを、BOGEMというグループに襲われる。キャーッ!いやーん!である。奴らはAdamたちのような性的倒錯者たちを街から消し去ろうとしている、闇の保守的政治結社である。
BOGEMによって、Adamの親友Aline(マツコ・デラックスほどではないが、デカい。なぜならこの親友役は、何と「ジョニの約束」の監督Joko Anwarによる怪演だからである!)は殺され、命拾いしたAdamは、Lenggok Dancerの集団に助けられる。しかし、老ゲイカップルに率いられたこの劇団の本当の使命は、何と、悪から国を守ること! Adamはここで、妖しい腰つきのダンスを学ぶことで、武術を会得していく。
彼らの敵は、BOGEMと繋がった、国民道徳党(National Morality Front)の党首、Mr. Storm。ダンススタジオの焼き討ちに遭って、ついにAdamは、憎きMr. Stormと対決するために立ち上がる。この老ゲイカップルが開発していたスーパーボティースーツを身にまとい、胸には、誕生日にクイア仲間たちからもらったXのブローチを付けて、Adamはトランスジェンダー・ヒーロー(ヒロイン?)Madame Xへと変身するのだ。
劇中に、伏線として「Adam & Harun」というミニドラマが並行して連続するが、これはAdamが少年時代にときめいた、Harunという男の子との間の悲しい初恋の過去を語るもので、そのHarunこそ、Mr.Stormだったという種明かしが最後にある(Mr. Stormの胸には証拠となるX字の刃物の切り傷)。悪人Mr. Stormとその妻たちとの激闘の果てに、正義のMadame Xは勝つが、クイアの敵たちが完全に死に絶える場面はないので、続編もありといったところか。
この映画のポイントは、型どおりとはいえ、女装のセクシャル・マイノリティーを見事に演じ切ったAdam役のAminkだが、エンドクレジットによると、Adamのキャラを創り上げたのはAminkじしんだそうだ。筆者としては、Shantyの変貌ぶりが、「ヤッターマン」で深田恭子がドロンジョを演じたとき以上の衝撃だったけれども、じつはMr. Storm役にしてもインドネシアのポップシンガーのMarcellがやっていて、けっこうな大物たちが顔を揃えて、馬鹿馬鹿しくも楽しみながら撮った異色作ではないかという感じである。
正直言うと、ベタなシーンも多いし、CGによる完全無欠なアクションというわけでもなく、手作り感のある発展途上なヒーローものである。しかし、豪華な配役や、遊び心やパロディ精神などで、マニアックに楽しめるものである。音楽も非常に良かった。
つい最近に、ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノの自伝「デヴィ・スカルノ回想記 栄光、無念、悔恨」を読み終えたばかりだが、それからしても、インドネシアも(日本もだが)時代が変わったというところである。
第25回の福岡アジア映画祭(2011年7月1日~10日)で観た。
(2011年7月12日)

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アジアフォーカス09試写室レポート:インドネシア映画「虹の兵士たち」 [インドネシア]

この「虹の兵士たち」(08)を観てしまった後では断言できる。これほどに時代性、国際性、普遍性、商業性、すべてにわたって、押さえるべきツボを押さえた、コンプリートな映画製作ができる実力派の監督は、リリ・リザをおいて他には思い浮かばないと。いや正直に言うと観終わった直後、その手腕の鮮やかさにただただ感服して、一過性の健忘症になってしまったので、大げさに書いてみた。
リリ・リザは、国際映画祭に引っ張りだこである一方で、ここ10年のインドネシア映画界の興業成績ベストテンに、この「虹の兵士たち」を含め、監督作プロデュース作3本を入れている。観客、批評家の両方から評価を得ているわけだが、「永遠探しの3日間」のような感度の高い作品もあるが、今回は、名工職人のように唸らせる映画を撮っているわけである。
みどころはまず学校である。カトリック系、仏教系といった学校は日本でも身近だが、イスラム学校はさすがに見当たらない。イスラム学校の姿を、明快に描いたところがわれわれの関心事である(現代の物語ではないが、学校の精神というものは不変なものだろう)。インドネシア映画では以前に、イスラム学校がテロ戦士の養成所のような誤解を受けてしまう悲劇を描いた「Pesantren」といった作品を観たことがあるので、このリリ・リザの新作が今年3月に国際交流基金で日本初公開されるまでは、イスラム学校の生徒が兵士とは何と大胆な題名だろうと勝手に誤解したものだ。
舞台となるのは、ブリトン島の1974年の新学期から。老いたハルファン校長が守ってきたイスラム学校、ムハマディヤ小学校である。教科ももちろんだが、心を重んじ、イスラムの道徳を貧困層の子どもたちに熱心に指導している。蛇足だが授業の場面では、インドネシアの建国五原則、スカルノが投獄されたスカミスキン刑務所といった、自国の歴史教育がきちんとたどられており、私にとっては興味深い内容が次々と出てくる。教室にポスターが貼られているように、ダンドゥットの創始者ロマ・イラマの取り上げ方も、当時の人気を感じさせるものだ。
ブリトン島は世界有数のスズの産地としてインドネシア独立後に鉱山が国有化され、当時多くの島民は社会の底辺として、漁師でなければ採掘をして生計を立てていたそうだ。子どもたちも働き手として期待されており、学校に通うことも難しい。
歴史あるムハマディヤ小学校も廃校の危機にあり、新入生が10名以上集まらないと教育委員会が開校を認めないというところから物語は始まる。何とか人数を揃え、若く熱意ある女性教師ムスリマを中心にして子どもたちの新生活がスタート。
彼女は、海に架かる虹をクラス全員で見て、夢と希望に向かって誓うのである、皆は“虹の兵隊”だと。“ボロは着ていても、心は錦”といったところだろう。
クラスの子どもたちは、個性豊かな面々で、5年生になるとそれぞれのキャラクターが明確になっていく。劇中の学校生活は多くのエピソードの積み重ねなので、筋として細かく紹介はできないが、店先で美しい爪先だけを見て、その持ち主の中華系の少女アリンに恋をするイカル、遠く離れた浜から遠距離通学している成績優秀なリンタン、音楽が好きでラジオを持っていて、面白いことが好きなマハル。この3人を中心に、“虹の兵隊”たちは未来に向かって成長していく。
そんな彼らが大好きだから、ムスリマ先生は学校経営が苦しくなって給料が止まり同僚のバクリが辞めていっても、仕立ての内職を続けながら、子どもたちの成長を見守っている。
対比する形でときどき登場するのは、同じ島内の、スズ公社の附属小学校である。生徒たちはきちんと制服を着ている。イカルたちが計算棒を駆使している一方では、電卓の使い方を学んでいるのである。
物語のクライマックスのひとつは、小学校対抗クイズ大会である。リンタンを中心とするチームが、附属小と対決する。クイズとはいっても計算能力や知識を問うものであるが、子どもたちの日頃からの教養に対する関心や学習努力が表れてくるものである。
自宅からの道の途中に大きなワニがいて、怖くて怖くて大会に遅刻しそうになったりという子どもっぽいところから、出題側の解答ミスを指摘してチームを優勝に導くに至るまで、リンタンの非凡な魅力がキラキラと輝いたエピソードだ。
鮮やかなストーリーテリングが魅力のイギリス映画「スラムドッグ$ミリオネア」では、主人公が自らの人生経験からクイズの正解を繰り出すというものだったが、出題の内容がドラマ展開の都合に符合させようとした不自然なものだったところが鼻についてちょっと嫌だった。それに比べ、この「虹の兵士たち」のクイズ大会での成功は、子どもたちの日常を基礎とした爽快なさわやかさがあり、その後にリンタンが直面する悲しい出来事にもつながっていくのだ…。
エンディングでは、学園もののひとつのパターンとして、その後の物語が語られる。詳しく書くのは遠慮するが、1999年のイカル、リンタン、マハルがそこにはいて、われわれはホッと息がつけるのである。
ついでに書くが、附属小の裕福な子どもたちが悪く描かれているわけでは全くない。また登場人物のキャラクター設定は、隅々にまでわたって絶妙であると思う。メイン以外でも、イスラム学校の支援者ズルや、附属学校の先生など、それぞれにふさわしい魅力が味付けられていて、ステレオタイプと呼ばれそうな危険性はうまく回避されていた。そういうこともあって、冒頭にコンプリートと書いた。
(2009年8月25日)

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部屋でひとり観る、稚拙でお粗末なインドネシアのホラーに、どうリアクションしたらいいものか [インドネシア]

インドネシアのホラー映画「Rumah Pondok Indah」(06)の DVDも、やっと観てみようという気になって封を切った。ジャカルタ国際映画祭では、その年に製作された国内の映画すべてを対象にしたコンペを実施していて、製作本数も毎年増えているところがインドネシア映画界の好調ぶりであるが、大人向けのドラマは少なく、やたらホラー、アクション、恋愛などの若者向けが目立つことは東南アジアに広くみられる特徴だろう。
映画の製作本数が増えていることは、製作者にとって機会が回ってきていることの証であって好ましいことであり、それらのうち、どうしても出来の良くない作品がかなりを占めてしまうことも割合としては仕方のないことである。けれども、評判のいい作品ばかりをピックアップして観る一方で、とにかく一網打尽に観ていくことも、研鑽であると自分に言い聞かせてみる。
と言い訳ばかりだが、ホラー「Rumah Pondok Indah」はひどかった。きっとインドネシアの若者たちも、スクリーンの前で苦笑するしかなかったのではないか。
英語字幕もあったし、最後まで観たので、一応、記録として筋だけは残しておこう(オチまで書くけど、これからこれを見ようなんて人は誰もいないでしょう)。
ある有名な彫刻家の屋敷が借受人を募集していて、小学生の坊やを持つ若夫婦が住むことになった。しかし坊やには女性の幽霊が見え、それをきっかけにして坊やは感電死、その坊やを病院に運ぼうと車を走らせた夫婦は事故であっけなく死んでしまう。このあたりの出だしから本当に観ていて苦笑するしかない。
続いてそこに住むことになったのは、大学生くらいの兄Ian と妹Elsi、その母の三人。Elsiはこの家の異変を感じ、やがて霊に祟られ、身体までも乗っ取られてしまう。家族は有名な祈祷師に除霊を依頼したところ、この屋敷の家主を今すぐここに呼べと言われる。霊のとり憑きからこの祈祷師の登場までの一連の流れもあまりにも順序立っていて、演出に工夫がなく筋に盛り上がりもない。そして映画も終盤になって、突然、彫刻家 Prasetio Adigunaの物語になる。 彼にはMayaという恋人がいて妊娠もし、一方的に結婚を望まれていたが、その関係がこじれたため、彫刻家はMayaを殺し、製作期限の迫っていた女体彫刻の土台として、Mayaの遺体をその中に埋め込んだのだった。突然に言い訳がましい種明かしが語られていくのである。
その女体彫刻は、ずっと屋敷の中に置かれていたわけで、やって来た彫刻家は、霊に復讐されて絶命。これによって屋敷の怨念も解け、壊された彫刻の中からは頭蓋骨がコロンと出てきて物語はおしまい。
この屋敷で長年仕えてきたという女中Minが、住人が変わろうと何処からともなく現れて、その度に雇われるわけだが、物事の秘密を知っていそうな顔をしていながら、ほとんど展開に絡むことはなく、最後の最後でがっかりさせられる。
監督はIrwan Siregarという。
当然だが、DVDの箱は、裏側のシノプシス含め何もかもインドネシア語なので意味はわからない。ただし表の一番下に、囲みでそこだけ英語で「Pregnant Women & The Faint Hearted Should not See」(妊娠している方や心臓の弱い方はご遠慮ください、ということ)。それだけが唯一の情報で観る前から気になっていたのだが、観終えた今は、ただひたすら滑稽なだけである。
(2009年7月11日)

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エドウィン監督の短編は相変わらず痛快!~イメージフォーラム・フェスティバル2009から [インドネシア]

今年のイメージフォーラム・フェスティバル2009。東京、京都に続いて、6月3日からは福岡会場(福岡市総合図書館映像ホール・シネラ)でのプログラムがスタートした。
海外作品部門は今回「20世紀は終わらない」というテーマで括られていて、短編ばかりを集めたプログラムにはアジアの作家の作品が3本あった。そこではタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の連作「ブンミおじさんへの手紙」「ナブアの亡霊」が上映され、その独特の空気に酔いしれたけれども、今回取り上げたいのは、インドネシアのエドウィン監督の短編「Hulahoop Soundings」(07)の方。
前にこのサイトでエドウィン監督の長編劇映画デビュー作「Blind Pig Who Wants to Fly」(08)のことを書いたけれども、これはその後、今年3月に行われた大阪アジアン映画祭2009では「空を飛びたい盲目のブタ」というタイトルになって日本でも紹介された。
このとき「エドウィン短編集」として、彼の2002年から08年にかけての短編6作品もあわせて上映されていたが、その時のひとつがこれ「Hulahoop Soundings」である。「Blind Pig」は今年の第38回ロッテルダム国際映画祭で国際批評家連盟賞をみごと受賞したが、「Hulahoop」の方はその前年のロッテルダムで、同胞リリ・リザ監督の「3 Days to Forever」とともに上映されているのである。
ラナは165cm、41kg、胸のサイズはマアマア、色白で黒髪で、ピンクのセーラー服の良く似合う魅力的な女性だ。…とニコ(インドネシアの人気俳優ニコラス・サプトラがこんな役で!)は感じている。ビルの屋上で挑発的に腰を振り続ける彼女に、ニコはただただ一方的に恋をしている。自分のBFのニコを奪われたヘイディは、ラナのことを魔女のように思って嫉妬している。
そのラナは、じつはテレクラで稼いでいる看板娘だ。電話越しに、彼女の誘惑的な言葉とともに“カク、カク、カク”と悩ましく聞こえてくるノイズは、彼女の腰から離れることのないフラフープの奏でるリズムだ。悩ましいその音に、お客さんたちは皆メロメロなのである…。
ジョエル・コーエン監督のニューヨーク大学時代の学生映画のリメイクらしいが、エドウィン監督の型破りな7分間には眼を剥くばかり。本当にエドウィン・ワールドは要チェックである。
(2009年6月6日)

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インドネシアで語られるイスラム修行生たちの青春ドラマ「3 Doa 3 Cinta」 [インドネシア]

今年のPIFF、10月6日にPrimus Haeundae 7劇場で観たインドネシア映画「Pesantren(3 Wishes 3 Loves)」(08)はワールド・プレミアということもあってか、上映後は大勢のゲストによるティーチ・インがたいへん豪華な顔ぶれだった。Nurman Hakim監督のほか、昨年は釜山に監督作「The Photograph」を出品していて本作ではエグゼクティブ・プロデューサーのナン・アハナス監督、主演のイケメン人気俳優ニコラス・サプトラに、名作「ビューティフル・デイズ」の女優Dian Satrowardoyo(今回はダンドゥット・シンガーの役)も。なんだか楽しそうなやり取りをしていたようだが、インドネシア語=韓国語の通訳なので、トークの内容は分からずじまい。
映画の舞台は全寮制のイスラム学校という、たいへん興味深い場所である。ニコラスをはじめ、卒業を目前とした17,8歳の3人の修行生には、それぞれに願いがあった。Huda(ニコラス)は優等生で、老師(校長?)のKyai Wahabから気に入られていて、娘のFarokahと結婚してほしいと思われている。…Hudaは孤児であった。11歳の時に学校に預けられ、母とはそれっきり会っていない。1年前に届いた手紙が最後で、差し出した住所はジャカルタ。母を何とかして探し出したいと思っている。Hudaは、駆け出しのダンドゥット・シンガーDanaに母探しを依頼する…。
Rianは家業の写真館を継ぎたいと考えている。事業をさらに発展させて、結婚式のビデオ撮影といったビジネスも考えている。それほどまで亡き父の写真館のことを考えているのに、母親の再婚話はショックだった。夜市の映写技師Tohaに弟子入りし、そのまま町を出る決意を固める…。
Syahidもまた悩んでいる。父が重病で入院していて、治療費を捻出するためには一家の財産を処分しなければならない。米国やイスラエルから敵視され、パレスチナやイラク、アフガンで多くのムスリムが殺されているではないか、そう考えた彼は、ムスリムとして戦いたいという想いを、Rianのビデオに向かってひとり熱く語った…。
悩みがあり、願いがあるHuda、Rian、Syahidの3人は、その気持ちを部屋の壁に書き付けていた。
ある日3人は食堂で偶然、NYの9.11同時多発テロのニュースを目にした。世界のムスリムに対する目が変わるなか、老師はノン・ムスリムも尊敬しなければならないと説く。
しかし、この世界的事件が3人の運命を変えようとは…。警察の調査が学校に入り、Syahidが語る録画テープが押収され逮捕される。イスラム過激派のテロリストだと見なされたのである。
…そして数年後。老師はもう亡くなっていた。しかしこの日は何か祝い事のようだ。Hudaの結婚式である! Rianがビデオカメラを回している。出所したSyahidも遅れて顔を出す。青春グラフィティー的なエンディングにほっと息をつく。壁に再び、願いか何かを書き付ける3人。さてさてどんなことを記したのだろう…。
われわれの眼には、宗教の色あいのたいへん濃い作品だと映るが、実際インドネシアにおいてはどう受け取られるのだろう。本筋は青春ドラマでその要素が結構あって、それがイスラム学校というシチュエーションで語られていくところが、筆者にとっては関心事であった。インドネシア映画らしくダンドゥットもでてくるし、何といっても、主演が「ビューティフル・デイズ」「Joni's Promise(ジョニの約束)」「GIE」「3 Days to Forever(永遠探しの3日間)」のニコラス・サプトラではないか!
DVD上映で、字幕のプロジェクターが何度も途絶えては上映が中断し、画質もとても悪く、音もひどかった。それが残念だった。
(2008年12月28日)

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前から気になっていたインドネシアの短編作家Edwinが、タノシイ長編劇映画第一作を発表 [インドネシア]

インドネシアからのフレッシュな新作「Blind Pig Who Wants to Fly」(08)の、PIFFでのワールド・プレミア(10月5日/Megabox Haeundae 9にて)。Edwin監督の待望の長編劇映画のデビュー作である。Edwin監督については、これまでに切れ味のいい短編を何本も観てきた一方、長編ドキュメンタリー「Nyanyian Negeri Sejuta Matahari」(06)では、いずれは長い劇映画も撮ることになるだろうと予感はしていた。このドキュメンタリーは、2004年末のスマトラ沖地震とその津波で甚大な被害を受けたアチェ地方の子どもたちに、児童映画「Untuk Rena」(リリ・リザ監督が「GIE」と「3 Days to Forever」の間に発表した作品)をみせて、映画を撮らせるというユニセフのワークショップを映像で追ったものだ。子どもたちのいきいきとしたいい表情を捉えた、希望を感じさせる作品だった。
ところで、今回の長編劇映画第一作は、英語題を直訳すると“空を飛びたい眼のみえないブタ”。何だか哲学的で、ひっかけがありそうである。訪韓したEdwin監督が上映後のティーチ・インで明らかにしたところでは、Blind Pigとは中国系インドネシア人を暗示しているのかという地元韓国の観客からの質問に対して、「ア・カインド・オブ・パラノイア」(小生にはそう聞こえたのですが…)だそうだ。まあ、深読みしたくなるヘンな映画である。
まず長いバドミントンのシーンが黙々と続く。インドネシア対中国のゲームである。それを見ていた少年が叫ぶ、どっちがインドネシアなんだよ!と。この瞬間、この女性選手は引退を決意する。
テレビ番組に取り上げられるのは、火のついた花火をサンドイッチにはさんで食べてしまう少女Linda。小学生のころ仲良しだった中国系少年との別れ、そして差別を受けてきた過去が彼女をそんな奇行に走らせていた。
その父、盲目の歯科医は、サングラスをかけて熱唱しながら患者を治療する。曲は決まってスティービー・ワンダーのナンバー「心の愛(I just Called to Say I Love You)」。ムスリムになってインドネシア名に改名することを夢見ている(妻はこの元バドミントン選手)。
Lindaのおじいちゃんは夜な夜なプールバーに通っている。この歯科医の患者である二人の男(職業不明)はゲイの関係である(ことがわかる)。テレビ局で編集の仕事をしている日本好きの少年Cahyonoは、Lindaの子ども時代に別れた友だちのようだ…。そしてブタも登場する! 風の強い荒地にロープで繋がれて!
Edwin監督はクセのある人物たちをいろいろと登場させて、非現実的な光景ばかりを繰り返す。断片的短編的なモザイク(しかし全体を貫く人間関係とストーリーはある)から、インドネシア社会が抱える民族差別というカオスを浮き上がらせようと試みているのだ。
しつこいくらい何度も何度も歌われ、流れるのは、名曲「心の愛」。歯科医が繰り返し歌うのはもちろんのこと、劇中のプラネット・アイドルなるテレビ番組でも、Cahyonoが編集するカラオケビデオ(映像が98年のスハルト退陣要求デモ!)でも。エンドロールにさえ、アカペラで登場してくると、もう圧巻というしかない。劇場から出ても耳から離れない。
作品名を「I just Called to Say I Love You」にすればよかったのではと勝手に思って観ていて、ブタはついに、繋がれていたロープが切れて駆け去っていったのである!
映画祭というシチュエーションだと、観る側もついついあれやこれやと想像、妄想してしまいがちだが、複雑だがシンプルで、タノシイ作品であった。
(2008年10月25日)

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同じく釜山で観た、ナン・アハナス監督のお久しぶりの新作「The Photograph」 [インドネシア]

5,6年前の第15回東京国際映画祭で上映された「ベンデラ~旗」(02)― 失くした国旗を捜す冒険にでる子どもたちを描いた児童映画だった ― を観て以来のナン・アハナス監督だ。彼女は、98年にリリ・リザ監督とともにオムニバス映画「Kuldesak」を監督した4人のひとりであるが、NHKと「囁く砂」(01)を合作したインドネシアの女性監督といった方がほうがわかりやすいだろう。第4回NHKアジア・フィルム・フェスティバルでは、主演の大女優クリスティン・ハキムらとともに来日した際にお会いもした。しかし、名前が浸透している割に監督作は少ない。
そんな彼女のこの最新作は2001年のPPP(プサン・プロモーション・プラン)の企画だったというから、6年越しの作品ということになる。当時の釜山国際映画祭は、上映劇場や映画祭のメイン・センター、ゲストラウンジなどすべてが南浦洞地区に置かれ、いまの海雲台地区中心の雰囲気と比べても、何となく猥雑だったことを思い出す。
さて「The Photograph」は、10月6日にPrimus Haeundae Cinema 1で観た。インドネシアでの題名もこの英語題のとおりだ。カラオケ・バーのホステスをしている若い女性Sita。彼女はまだ小さな娘を田舎に残して出稼ぎをしているが、チンピラとのトラブルで追われ、初老の男が営む写真館の2階に転がり込む。この写真館の主人は癌に侵されていて、彼は命のあるうちにと自分の後継者を捜している。Sitaは、家賃を支払う代わりに家政婦として働くことになっていたが、やがてその後継者探しを手伝うことに。Sitaは次第に写真に関心を持ち始めていくが、主人から見ると、女性である彼女はその対象にはならないようだ。まともな後継者はなかなか見つからない…。
淡々として命を繋ぎとめているこのチャイニーズ・インドネシアンの写真館の主人と対比しても、眩い生命力がそのしなやかな肢体から溢れているかのような女性Sita。どこかで見たような、と気にしながらスクリーンを見つめていたが、後になって思い出した。前にこのホームページでとり上げたニア・ディナータ監督のオムニバス「分かち合う愛(Berbagi Suami)」の第二話に出ていたShantyという女優だ。カタログで見ると確かに名前も一致する。「分かち合う愛」では、まだ若くて進学を考えていたのに叔父から三番目の妻として迎えられ、“先輩”の妻たちと交流を重ねていくうちに遂には自立していく女性を演じていた。
正直、演技力の光る女優さんとは言えないが、ビジュアル的にはとっても好きだ(小生のタイプということです)。でも作品の出来としてはちょっと物足りなかったなあ。
(2007年11月21日)


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インドネシア映画「分かち合う愛」~AQFFから [インドネシア]

これも、フィリピン映画「マキシモは花ざかり」同様によくぞ福岡で上映してくれたというべき傑作である。一夫多妻制度に焦点をあてたインドネシア映画で、“クイア”とくくってしまうと何だかとてもきわどいものと思われてしまうかもしれない。第26回ハワイ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞し、昨年の東京国際映画祭でも上映されたが、残念ながら観る機会を逸してしまっていた。ご当地の第8回ジャカルタ国際映画祭においてでさえ、リリ・リザ氏から“「分かち合う愛(Berbagi Suami)」は絶対に観ておくべき”と言われながらも、タイムテーブルの都合で見逃してしまっていた。AQFFではDVD上映だったことに不満が残るが、観たいときに観ること、観ることができることが大切だ。
作品は3話からなるオムニバスドラマで、ジャカルタで暮らす女性たちのそれぞれの、“一人の男性と複数の女性”というわれわれから見るといびつと思えるスタイルにおける戸惑いと葛藤を、明るくそしてたくましく、さらには爽やかに描いている。世界最大のイスラム教徒人口を有するインドネシアでは、男性は一人の妻で満足できない場合は三人まで妻を持つことを許されている。われわれにはピンとこないこの形態が制度としては有効なのである。さて映画に登場するのは次の女性たちだ。
政治家である夫に自分以外にも妻と子がいることを後年知り、ショックを受けながらもそれを受け入れていく女医。まだ若くて進学を考えていたのに叔父から三番目の妻として迎えられ、“先輩”妻たちと交流を重ねていくうちに遂には自立していく女性。妻がちゃんといるレストランの店主(中華系のようだ)から求婚される、女優志望のウエイトレス。
映画のなかで三人の生活シーンは微妙に交差する。その交差が現代インドネシア社会の抱える問題として、その普遍性や共通性を感じさせるのである。そして彼女たちの強い生き方に素直に感動した。
さて愛とは公平に分け与えられることができるものなのだろうか。たとえば長男、次男、三男と子どもが複数いるとして、ひとは、子どもたちそれぞれが僻むことなく同等に接するということができるのだろうか。イスラム世界の一夫多妻制度は“公正な婚姻関係を結び、妻を同等に扱うならば”ということらしい。“同等”がミソのようだ。もちろん不倫はご法度(懲役刑らしい)なのだが、第二妻、第三妻を正式に迎えるまでの彼女らとの交際期間は不倫にはあたらないのかしら…と素朴な疑問が頭に浮かぶ。“クイア”の話になってしまうけれど、AQFFの「既成概念を壊し、軽やかに生きるセクシュアル・マイノリティたちのことをクイアと呼ぶ」というテーマを、このイベントのなかでは一番リアルに感じることができる作品だと思う。
監督は女性のニア・ディナータ。3作目の監督作だそうだ。おととしプサン国際映画祭で「ジョニの約束」というよくできた楽しいインドネシアのコメディ(東京国際映画祭でも上映された)を観たが、彼女のプロデュース作だった。
(2007年9月9日)


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ダンドゥット映画への想いは熱く [インドネシア]

小生にとって“エイジアン・ポップス”“ワールド・ミュージック”のバイブルといえるのが、篠崎弘・著『カセット・ショップへ行けば、アジアが見えてくる』(朝日新聞社/1988年刊)と、別冊MUSIC MAGAZINEの位置づけで発行されていた季刊『ノイズ』(80年代末から90年代初に刊行)だった。特にノイズ6号(1990年夏号)のインドネシアの音楽特集号は、貴重な資料としていまも手元にある。そのころから貪るが如く聴いていたのが、日本盤CDが続々とリリースされたエルフィ・スカエシ、デティ・クルニア、ヘティ・クース・エンダンといったインドネシア歌謡の女王たちだ。久保田麻琴氏プロデュースによるチャンプルDKIやメリアナにもはまったなあ(昔から買い揃えてきたオリジナルのアジア音楽のうちCD化の遅かった国々のものはかなりがカセットテープなので、いまや眠ったままになっている)。
当時から音楽史は素人ながら、インドネシアが音楽の宝庫であることはわかっていた。ガムラン、クロンチョン、ポップ・スンダ、ポップ・ジャワ、ムラーユ、ダンドゥットと多様。1万数千もの島々、200もの民族から成る国なのだから、本当に音楽の底なし沼なのだ。
そして、それからおよそ20年…。訪れたジャカルタで、再び鳥肌が浮き立つことになるとは思いも寄らなかった。ダンドゥットだ! ルディ・スジャルウォ監督の傑作ダンドゥット・ムービー「Mendadak Dangdut」! この映画に出会って以来、頭から離れないビートがゴキゲンな気分を維持させ、帰国後も、買って来たサントラCDを何度も繰り返して聴いては体内の血が沸騰し、VCDはシーンを飛ばし観て、MTVのようにして楽しむ。この映画については別項で改めて語っているので、ここでは音楽中心にいきたい。
ダンドゥットとは(ここからはかなりが昔に聞きかじった知識になるが)、庶民の音楽だ。インドやマレー、アラブなどの様々な民族音楽の要素が交じり合って、濃縮されて濃厚な味になった。それをダンドゥットと名づけたのは第一人者のロマ・イラマだといわれている。1969年デビューの彼は数多くの主演映画もある伝説のカリスマだ。しかし一方では、ダンドゥットは低所得層の音楽だと蔑まされてきた。映画「Mendadak Dangdut」においても、ダンドゥットを歌う羽目になったロックシンガーの主人公Petrisは、“どうして私がダンドゥットなんかを歌わなきゃならないの!”だ。
劇中では、リズムは打ち込みで、主演のTiti Kamalはキーボードの伴奏ひとつで、ダンドゥット特有のコブシを炸裂させる。彼女は女優業のみで歌手のキャリアはないというが、映画もOSTも彼女自身の声だ。健闘していると思う。ダンドゥットは、もともと伴奏のビート部分の擬音からきた言葉(韓国のポンチャックも同様の語源)。その、ノリのいいビートと庶民の心情を語る歌詞が、どっぷりと波を打つようなコブシ回しで目の前で繰り広げられれば、たいていの人は踊らずにはいられない。いや、これは踊るための音楽なのだ。われわれ日本人も歌の意味がわかれば、自然とくねらせてしまう上肢に、もう少し力も入るのかもしれないのに…。
(2007年8月18日)

サントラCDもビデオCDも、明るいパッケージデザインだ


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インドネシア映画界の寵児、ルディ・スジャルウォ監督 [インドネシア]

インドネシア映画界は急速に活況を回復してきている。年間の製作本数は、2003年以降14本、22本、32本と上り調子だ。その先頭に立つのが、ミラ・レスマナとリリ・リザのプロデュースで「ビューティフル・デイズ」(02)を発表し、それまでの国内興行記録を塗り替えるという鮮烈なデビューを果たした監督ルディ・スジャルウォである。世に出た作品すべてを網羅しているという「Katalog Film Indonesia 1926 - 2005」(JB Kristanto著)というインドネシア映画の分厚い名鑑があるが、それでみても、毎年数作品をコンスタントに監督している売れっ子監督だ。人気と実力を備えていなければ、そうそう新作は撮れないだろうと思うのだ。
実際彼は、第8回ジャカルタ国際映画祭のインドネシア長編映画コンペ(05年11月から06年10月までに封切られた31本中の28本が出品された)で、最優秀監督賞を獲得した。同コンペには、監督作「9 Naga」(06)と「Mendadak Dangdut」(06)のジャンルの全く異なる2作品がエントリーされた(その後も06年に新作ホラーを、07年に入っても2作品を監督している!)。
受賞の対象になったのは「9 Naga」(2006年12月16日/ジャカルタDjakartaXXI劇場にて鑑賞)。幼なじみとして育った3人の男たち。殺しの仕事を請け負っている彼らは、誤って仲間の一人を失ってしまう。自責の念から主人公のDonnyはギャングのボスを襲って、未払いのままになっていた報酬を取り戻して車椅子生活の妻や幼子に残すと、復讐のためにギャングたちに拉致された仲間Lennyを救おうと、命を投げ出す…。貧しさから抜け出そうと、危険な仕事に手を染めてきた男たちの哀しい運命が静かに語られる。審査員の評価は“過度のダイアログを避け、映画的言語と想像力あふれるカメラでストーリーを語る、才覚に満ちた監督”だ。
インドネシアの検閲は厳しく、この「9 Naga」のポスターは主人公の男の上半身裸の姿がビジュアルとなっているが、へそを隠すよう求められて、貼り出し後にその部分に赤テープが貼られたという(その後リリースされたDVDパッケージも同様の処理)。
なお蛇足だがインドネシアの検閲については、最近NHK・BSで「証言でつづる現代史~封印された映画」というドキュメンタリーが放送された。1973年に、日本軍政下のインドネシアの苦難を描いた映画「Romusha(労務者)」が日本政府の介入によって上映中止になったという疑惑の真相を描いた番組である。この場合は政治的な検閲であって「9 Naga」のケースは宗教的なところからくるものであるが、検閲を考える点で参考になる番組だった。
さてさて、話をルディ・スジャルウォ監督に戻す。個人的にはもうひとつのエントリー作品「Mendadak Dangdut」(2006年12月17日/ジャカルタeXStudioXXI劇場にて鑑賞)も大好きだ。喜劇的でもり、アクションもありで、起承転結のストーリーを明快に楽しめる音楽映画だ。主人公のロックシンガーが麻薬所持の濡れ衣を着せられ、マネージャーと二人で逃亡を続けるなかでやむなく、ダンドゥット歌手をする羽目になる。そして泥臭い歌曲と軽蔑していた彼女が、次第にダンドゥットの魅力に目覚めていく。多作な監督ではあるが、これもまた、軽やかにしかし上手に撮られたエンターテインメントだ。
(2007年4月22日)


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リリ・リザ監督の待望の最新作「3 Days to Forever」が完成 [インドネシア]

昨日で第8回ジャカルタ国際映画祭も閉幕し、この日は、予てから楽しみにしていたリリ・リザ監督の最新作「3 Days to Forever」をみせていただくことになっていた。宿泊しているホテルまで車で迎えに来てもらい、試写室へと直行する。詳しくはここでは書けないが、あるヨーロッパの有名映画祭のプログラマーのためのフイルム試写に同席させてもらった形だ。なので席にはリリ・リザ監督を含め3名。仮英語字幕での上映である。
予備知識として持っていたのは、前作「GIE」主演の好青年俳優Nicholas Saputraと魅力的な女優Adinia Wirastiの二人がほとんど出突っ張りのロードムービーだということ。
そして…途中何度か上映が途切れながらも試写は終了。観終えてランチをしながら、監督自身からこの最新作について話を聴いた。こちらの感想はひと言でいうと、イイ感じ、イイ雰囲気の素敵な映画! インドネシアのフォーク系バンドFLOATのオリジナル音楽も何ともここちよい。
インドネシア料理を囲みながらの話題の中心は、ずばり劇中に登場するドラッグとセックスだ。撮影中も自分らスタッフはドラッグをやってたよ、という監督のジョークで盛り上がる。またセックス描写(日本映画であればたいして問題のないシーン)は、今後の国内公開を睨めばこちらとしては大変気になるところだが、検閲に通るのかなんて無粋な話はここでは持ち出さない。しかし第8回ジャカルタ国際映画祭でも「Jakarta Undercover」(監督:Lance)という、ストリッパーを描いたかなり過激なインドネシア映画がプレミア上映されたが、スクリーン全面ぼかしの繰り返しで、検閲の非常に厳しい国だけに、これは果たして劇場公開されるのかと気になったばかりだ。
ストーリーを簡単にまとめる。題名どおり“特別な三日間”についての物語である。大学生のYusufは、従妹である19歳のAmberと二人きり、ジョグジャカルタへと向かって自動車を走らせる。Amberの姉の結婚披露宴に使うアンティーク食器を後ろに積んで。目的地には二人の到着を待っている親戚たちがいるというのに、道に迷って途中の街バンドンで寄り道してしまったあたりから、彼らのドライブは一日で終わらなくなってしまう。道中の二人はドラッグをやり、結婚やセックス、人生について語り合い、口論して、仲直りして、そして親密になっていく。YusufとAmberはジャワ島のいろいろな人々や見慣れない風景と出会い、さまざまな経験をすることで、自分自身の人生と正面から向き合うことになる。
セックスやドラッグといった題材はインドネシア映画ではタブーに近いだろう。けれども、セックス経験のない男子大学生と、ドラッグも男性も経験済の19歳の女性。その眩くも繊細な二人の若さが、旅先のトラディショナルかつエキゾチックな“インドネシア”と融合することで、適度な緊張感を作り出し、精神的な揺れをうまく表現しているのだ。
デビューからつねにインドネシア映画界の時代の扉を開けてきたリリ・リザ監督は、また、インドネシア映画史に記しづけられるべき格別の一作を撮りあげた。
(2006年12月18日/ジャカルタ)


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明日から開幕の第8回ジャカルタ国際映画祭が待ちきれない [インドネシア]

かつて映画大国であったインドネシア。現在2億もの人口を抱えるこの東南アジア最大国では、1980年代にシュマンジャヤ、トゥグ・カルヤ監督ら(主要な作品は福岡市総合図書館に所蔵)を中心に映画黄金期を迎えた。しかしインドネシア映画製作協会(IMPPA)の統計によると、民間テレビ局の相次ぐ開局やハリウッド映画の躍進などの影響で、国産映画の製作本数は90年の112本をピークに91年は半減、92年以後は毎年30本前後に激減していく。そして97年に同国を襲った通貨危機は、映画界に決定的な大打撃を与えた。その後数年の映画製作本数は数えるほどとなり、当時の若手のリーダー、ガリン・ヌグロホ監督が孤軍奮闘して、国際映画祭の舞台で、インドネシア映画の存在をアピールするにとどまっていた。
しかし近年、インドネシア経済の回復と平行して、若手プロデューサーや監督が手がけた作品によって、インドネシア映画界は、力を取り戻してきている。新しい世代のインディペンデント作家たちによる長編劇映画や、新しい才能による短編やドキュメンタリー、アニメ……。そしてインドネシアの観客たちも自国の映画に対しての興味を再び持ち始めてきた。
2000年、当時30歳の新鋭リリ・リザ監督による「Sherina’s Adventure」は160万人を動員してこの年「M:I-2」を凌いで興行収入1位を記録。観客を国産映画に取り戻す分岐点となった。そして02年のバレンタイン・デーに封切られた、新人ルディ・スジャルウォ監督の「ビューティフル・デイズ」(日本でも恵比寿ガーデンシネマ他で劇場公開)の登場でクライマックスを迎える。この作品は国内で250万人の観客動員を記録してインドネシア映画興行記録を塗り替え、長らく低迷していたインドネシア映画界は息を吹き返す。その牽引役となったのは、これらの作品を製作したプロデューサーを務めたリリ・リザとミラ・レスマナ。傑作「GIE」(05)の監督&プロデューサーのコンビだ。
このふたりに、ナン・アハナス(「囁く砂」をNHKと合作)、リザル・マントヴァニ(ホラー映画「Jelangkung」が02年にメガヒット)を加えた4人のヌグロホ門下の新鋭監督によって98年に製作されたオムニバス映画「Kuldesak」で、インドネシア・ニューウエーブは、幕を開けたといわれている。彼らをキーパーソンに、今日復興の兆しを見せているインドネシア映画界。
アジアを襲った通貨危機後、韓国やタイの映画界は新世代が台頭し新たな黄金期を迎えた。続いて注目すべきはインドネシア映画ではないだろうか。
インドネシア映画界に関心を持って、今回初めてジャカルタ国際映画祭に参加してインドネシア映画の最新作に眼を通す予定。インド滞在後、12月13日からインドネシアに入ることになるが、その都度記録をまとめていきたい。
(2006年12月7日)


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