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アジアフォーカス2014「タイムライン」 [タイ]

「タイムライン(Timeline)」(2014)
タイ
ノンスィー・ニミブット監督

心から愛していた人がこの世を去ったのち、その愛しい人の思いを継ぐことで自分の残りの人生を生きていくことが幸せなのかどうかは、その本人が決めることだろう。先立つにあたって自分の思いを遺してしまうことが、残される相手の為なのかどうかということも僕にはわからない。本作は、夫が残した農園経営という夢に対しての、主人公テーンの母親マットの決心やその決心からくる苦しみが、誠実によく表れている物語である。若い頃から手紙を交わしていたこの夫婦にとって、そこに記される言葉は魂に栄養を与える永遠の泉のようなもの。夫が残した生前の手紙、女手ひとつでひとり息子テーンを育ててきたマットが天国の夫に宛てて問い続けてきた手紙、それらをみると、まるで年輪のようでもあり、いかにもこの夫婦らしい、時間の連続なのだと思う。
そのように両親がこだわる田舎を離れて「自分が何をしたいかわからない」と、バンコクの大学に進学したテーンは、都会で、まあ有りがちな恋愛エピソードを紡いでいく。その結果としてまだ若いテーンにも、この世を去った女子学生の思いが残されるわけだが、恋人未満で終わってしまった関係で、彼がそれをその後の人生で引きずるのか引きずらないのか、どちらに転ぼうと将来のことは置いて、瞬間瞬間がどうなのかというのが、タイムラインという概念なのだろう。瞬間の連続が人生となっていく。彼の母親マットはそれを引きずることを選択し、それでよかったと結論づけた。中盤に描かれる息子のキャンパスライフだけだと普通のラブストーリーだが、観通すと、心から愛するということを表わす行動について深く考えさせられる佳作だ。タイ語はたいへん心地よい響きをもっているが、そのタイの映画には、感じのいい清潔感にあふれたものが多くみられる。
さて、描かれる女性たちが皆魅力的であるのに対して、主人公が狂言回しのようにしか映らなかったのは、僕が同性だからか、それともこういうシチュエーションの宿命なのだろうか。
(2014年10月1日)

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タイ映画のDVDをまとめて5枚観ました [タイ]

どれも英語字幕なしだが、タイ映画のDVDをまとめて5枚ほど観た。
ひとつはバンジョン・ピサンタナクーン監督の「Pee Mak Phra Kanong」(2012)。もちろんタイ語はいっさいわからないが、Peeがオシッコではなくて、お化けの意味であることだけは、これまで観てきたタイ映画を通じて知っている。そしてこの作品は、ノンスィー・ニミブット監督の「ナンナーク」で一般的にも広く知られるようになった、タイでリメークを重ねられてきた定番の怪談物語の最新の映画化であることは、容易に気がついた。兵役から戻った夫を待っていたのは、妻と赤児の霊だった…という民話だ。
プラカノン河畔の水辺のしっとり感をもって、怪奇さを生々しくまとわりつかせるような映像美は見事だが、ホラーであることよりも、また夫婦愛を描くことよりもまず、全体としてコメディー調に整えたところが本作の特徴なのだろう。「Alone」「アンニョン!君の名は」と、ホラー、コメディー両方に傑作があるバンジョン・ピサンタナクーン監督の最新作なのだが、本作ではとにかく笑いの仕掛けの方がふんだんだった。
時代は19世紀の末か?20世紀の初めか?、どういう戦争に出征していたのかは不勉強でわからないが、喜劇展開上の主役は、夫でも妻でもなく、夫の帰省に同行する4人の戦友の方であることは明らかで、彼らは怪奇現象の客観的な証人として、とにかく良いアンサンブルをみせている。いちいちのリアクションがコメディーなら、戦友の妻に対してビビる4人と、妻を疑わない夫との対比もまたコメディーである。サイドだけを高く刈り上げた、それぞれに個性的をつけた彼らのヘアスタイルは、この4人を区別するのにも多いに役立つ。
ピーである妻までをヒントに駆り出すジェスチャーゲームに、夫妻まで乗った6人の、舟の上での騒動は、もうコントである。ピーまでがコントに参加しているのだから、本作のどこに恐怖があろうか。さて、この舟のくだりに重なるのが、オムニバスホラー「4bia」でバンジョン監督が担当したエピソードの中で、4人の若者の乗ったボートが急流に進む場面。あの若者4人とここの戦友4人はおそらく同じ役者たちだと思うし、ここだけに限って言えば、同じ状況設定は監督の自己風刺かもしれないな。
そういうことで、ストーリー上の主役を演じる夫マリオ・マウラーは割りを食っている感じだったが、最後はGTH社らしい純愛ムードで締めくくられたことで、マリオの面子も保たれた。

そのマリオ・マウラーの存在感が、やっぱりちと弱かったと思うのが「The Outrage」(2011)。2012年12月に開催された第4回京都ヒストリカ国際映画祭において「ウモーン・パー・ムアン 」の題で、日本語字幕付で上映されたようだ。
第一回福岡アジア文化賞の受賞者ククリット・プラモートが、黒澤映画「羅生門」から翻案した舞台劇、それをBhandevanop Devakul監督によって映画化。マリオが若い僧侶を演じ、出だしではその出家についても描かれている。舞台をタイに置き換えたことで、何らかの仏教的な視点が入っているのかもしれないが、残念ながらタイ語の台詞からは読み取れない。しかし、話は「羅生門」なので、プラカノンの幽霊話同様に、映像だけでおよその理解はできる。
盗賊が貴族を襲ってその妻を手籠めにしたという事件について議論を始めるのは、洞窟で出くわした僧侶、木こり、墓堀人の3人。彼らが目撃したという公開の裁きの場では、その貴族殺しの真相について、盗賊、妻、そして貴族の霊を呼んだ巫女が、それぞれ異なる証言をする。前述のマリオに、貴族役のアナンダ、妻役のチャーマーン・ブンヤサック、木こりのマムと、わたくしでさえも知る限りのスターが顔を揃えている。しかし、物語じたいに黒澤版と大きな違いはないものの、全体的に凄みに大きく欠けているところが、黒澤版と比較をされる運命にあって、指摘されるべきところ。
じつは貴族の霊を呼び込む巫女の姿が「Pee Mak Phra Kanong」の妻のピーよりも、はるかに怪奇的で、スゴ怖かった。

日本でも2013年5月に開催された第4回アジアンクィア映画祭の開幕作品として上映されたらしい「It Gets Better」(2012)も、タイ版のDVDで観た。
クィア作品なので、性的マイノリティーに焦点をあてていることは明らかで、パッケージデザインの、赤いスポーツカーにもたれかかったおしゃれな中年女性は、主人公のひとりとなるトランスジェンダー。複数のストーリーが場面ごとに交錯していく構成なのだが、このミドルエイジャーが山あいの村を訪れる話がまずひとつ。ラスト近くまで明らかにはならないが、この旅を通して彼女が辿っていく時間が、じしんの過去に絡んだものであることは察せられる。
海外で育ち、自分の父親の顔も知らない青年が、その父の残したショーパブの経営を譲り受けるというのがもうひとつの話。このパブの売りはオネエ集団のショーなのだが、どうも建て直しが難しいようだ。青年が、この店のアイドル的なカワイイ子と、トムボーイ的な子、両方に心ときめいていく展開が楽しいが、正直どちらのオネエの子にもすごく高いレベルの女性的魅力があって、これを見た後は「あまちゃん」のアキちゃんさえ、信じられなくなってしまうぐらいである。
山あいの村の中年の話とショーパブオーナーの青年の話が、ラストに向かって血縁という点で有機的に結びついていくというのが基本のストーリーであるが、それを単純にさせないのが、ゲイの志向があるために父親から僧として出家させられる少年のエピソードが挿入されてさらに交わっていくこと。台詞は理解できていないのだけれども、複層的に織り成されたシナリオには、決してイロモノではない、むしろ上級な志が感じられた。また、これら3つのエピソードには、母親が不在で全く登場しないことが気になった。

3つのエピソードといえば、「Seven Something」(2012)は、昨年のBIFFではソールドアウトで観損ねていたもの。GTH社の創立7周年記念に製作された、3本の短編によるオムニバス。7周年がお祭り騒ぎのようにして賑やかしいエンドロールがとにかく最高で、3人の監督によるそれぞれの恋愛物語は、エンドロールの賑やかさと、自社タレントと自社作品へのオマージュも込められていたこともあって、まあ、わたくしとしては御祝儀的に受け入れられたといえるかな。
さて話はどうも、7年刻みに恋愛を描いていっているようだが、しかし、ティーンのカップルを描いた一本目は、自分にはとてもダメだった。他愛ない日常をSNSに公開することについて、この二人が揉めるのはよくわかる。だけど、二人の日常の閲覧者が、うなぎのぼりに増えていくって、どゆこと? 世間はそんなに暇なのか? 自分の人生を演出露出するなんて、自意識過剰というよりも、むしろ惨めだと思うんだけどなあ。もう、若者心はわからないや。
恋愛なのだから多少仕方はないが、7年ぶりに共演せんとする女優と男優の元カップルを描いた二本目も、二人の世界に入り込み過ぎていているところが気になってしまった。
夫を事故で失った中年女性と、親子ほど歳の離れたイケメン青年との、マラソンを通じた交流を辿っていくチラ・マリクン監督による三本目が、その点では一番安心できる完成度。7年ごとに世代が順に上がっていく3つの短編は、わたくしの実年齢に近づくものほど、共感が高まった。
この作品は第8回大阪アジアン映画祭で上映されているが、どうもその後に日本語字幕版DVDがリリースされたらしい。タイ語DVDを観た後に日本語版の存在を知った。しかし残念だが、それをもう一度観直す暇はなさそう。

なぜかというと、もう次のDVDが待っているから。次のタイ映画は2012年の作品で監督名はよくわからないが、冒頭に出てくる題名は「Super Salaryman」。企業を舞台にした、まるで日本のテレビ局が自社ドラマを劇場版にしたかのような質感のコメディードラマだった。
飲料メーカーの社長や部長、チームリーダー、先輩社員、新入社員など、それぞれにクセのあるキャラクターたちが、冒頭でそれぞれサラリーが◯◯バーツとテロップ入りで紹介され、その額でその人物の格がわかる。熱血のリーダー、化粧品に散財するお局様的女性社員、倹約家のチーフ、奔放な新入り、遠距離通勤の社長秘書、会社の備品で私用を済ますおばさん…。社長から新商品ドリンクを!との命を受けた開発チームのデッドラインまでのご苦労を、社内恋愛や転職、プライベートなどの騒動を織り込みながら描いている。
この作品に限らず、最近の作品はSNSやメール(この作品ではオフィス内の連絡メモも!)が多用されてやりとりが行われるので、フェイス・トゥ・フェイスのやりとりであれば演技から推測できても、タイ語文字になると、もうだめ。
さてこの作品の結末は、スーパー・サラリーマンのタイトルどおり、万事うまくいく。そういうサラリーマンものだ。経済に勢いがあるから、こういう作品も生まれてくるのかしら。
(2013年8月26日)



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第24回福岡アジア文化賞にアピチャッポン・ウィーラセタクン監督 [タイ]

2013年の第24回福岡アジア文化賞・芸術文化賞は、アーティストとして、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン氏に贈られることが公になった。格でみると、ホン・サンス、キム・ギドク、ジャ・ジャンクー、ワン・ビン、ブリランテ・メンドーサ、河瀬直美といった各氏あたりも有力と個人的には思うが、美術家という側面からも差別化できること、アジアの風土が作品に感じられること、あまりいかがわしくないことなどが、アピチャッポン授賞のポイントだったかもしれない。
さて、氏の贈賞者経歴をみると、確かにそうそうたる作品群だ。わたくしも長編はほとんど観ているし、「プリミティブ・プロジェクト」の一部「ブンミおじさんへの手紙」「ナブアの亡霊」の短編も、イメージフォーラム・フェスティバル2009で幸い観た。しかし一般的に考えても、アピチャッポン作品は少々敷居が高い。いわゆるハイコンテクストなスタイルである。「映画は記憶の閃光。カメラはもうひとつの眼として、人とコミュニケーションしていく道具だ」(奈良で直接うかがった)と監督じしんが過去語っておられるとおりで、いちいち言葉では説明してくれないそれを監督と共有していくには、観る側にもそれなりの力が求められる。そうでなければ寝てしまう。知識人の方にとっては、喜々としてその解釈に戯れることのできる類の映像作品ではあるが。
で、プレスキットの贈賞者経歴から、監督作「アイアン・プッシーの大冒険」(2003)が割愛されていることに気付いた。もっとも共同監督で主演のマイケル・シャオワナサイの方の印象が強烈な怪作ではあるけれども。麗しのアイアン・プッシーの姿を、釜山国際映画祭製作のオムニバス「カメリア」(2010)で再び拝めたときには、ウィシット・サーサナティアン監督作品であることも其方退けで、歓喜したものだ。
さて、このキッチュでポップなトランスジェンダーのスパイヒーローものは、当時買ったDVD(タイ映画には珍しく英語字幕付き)を愛蔵しているので、久しぶりに再見した。確かに画面に登場する、女装の性倒錯者を演じるマイケル・シャオワナサイの存在感に押されてしまい、アピチャッポン作品であることは、いま観ても其方退けになってしまいがちだ。ちなみにマイケル・シャオワナサイはそういうことをしているアーティストらしいと当時から聞いている。女装してセルフポートレートを撮る美術家・森村泰昌氏のような感じなのだろうか。
眼鏡に坊主頭で剃った髭あとのちょっと濃いマイケルは、普段はセブンイレブンの店員(「カメリア」では魚屋の親父だった)だが、指令がおりてくると、女装のスパイ、アイアン・プッシーへと早変わりする。ルックスとしては、マツコとリリコをミックスしたようにわたくしにはみえるが、劇中では正真正銘の美女としての扱いだ。
彼女は何だか国際的な犯罪組織みたいなものが潜んでいる御屋敷に、そこのメイドの一人として潜入する。彼女はその組織のボスに好かれ、自分もその男を好きになってしまい、そこには任務とのジレンマが! ミュージカルのように登場人物たちの歌の場面が入り混じり、スリルとアクションもそこにはあり、全体はおバカ一色に塗られながら、タッチはレトロ映画のスタイルを極めていく。
しかし、この作品がアピチャッポン作品の原点から大きく外れていないのは「森」が舞台の一部となっていることだ。そのボスの母親が、孤児として育ったアイアン・プッシーを自分の子だと認め、ボスとアイアン・プッシーは双子であることが発覚する。その家族のつながりが明らかになるという状況が、アイアン・プッシーらが狩猟のために入り込んだ森の奥で、ということなわけだ。
まあ、とにかく、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督、受賞おめでとうございます。いまでこそ、監督の名前はためらいなく言えたり書けたりできるようになったが、「アイアン・プッシーの大冒険」が日本に紹介された頃は、カナ表記もまだぶれていたと思う。
(2013年6月16日)

アピチャッポン.jpg


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アジアフォーカス2012/400字レポート⑦ 「4月の終わりに霧雨が降る」 [タイ]

アジアフォーカス2012/400字レポート⑦
「4月の終わりに霧雨が降る」(2012) タイ ウイチャノン・ソムウムジャーン監督

熟しきれていないフルーツのようにまだ少々青い感じがしなくもないが、そのフレッシュなところが何とも心地いい作品。故郷にUターンした主人公の、現在と記憶と回想がランダムに並んでいる。しかしそれは観て進むにつれ、パズルのピースがはまっていくように、断片的だが、ある程度までの形をみせる。「誰かの人生を映画にすればいい」という劇中の助言の台詞そのままに、主人公ヌム=ウイチャノン監督なりのノスタルジーが、自伝的に映画としてまとめられていくという構造の美は、そういうテイストを好む者にとっては納得の共感にもなる。
とはいえ、観客を100%すっきりとした気分に導くエンディングとはいえないが、どうだろう、場面としてKidnappersのポップで軽快な名曲「Rain」で締められると、何となく幸せを感じてしまうのだ。この何となくの爽快感は「ブンミおじさんの森」のラスト以来だ。わたくしとこの「4月の終わりに霧雨が降る」とは、相性があったとでも表現すればいいのだろうか。
(2012年10月20日)

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講座「タイで受容される日本の小説、映画、サブカルチャー」ででてきた映画 [タイ]

「タイで受容される日本の小説、映画、サブカルチャー」と副題のついた、入場無料の講座があることをその前日に知って、別にあった予定を変更して行ってみた(1月13日・福岡市文学館)。タイにおける、小説・マンガ・映画・アニメなど日本文化の消化吸収のされ方からみて、我々の知らないもうひとつの「日本」に迫ろうというものだ。
前半は、チュラーロンコーン大学の日本語講座講師を務めるナムティップ・メータセートさんによる日本語のトーク。日本語が非常に堪能なのは、彼女が「リング」や「博士の愛した数式」といった小説のタイ語版翻訳者であるからでもある(70年代に日本のアニメ「キャンディキャンディ」「アタックNO.1」などに触れて育った世代だそうだ)。
講座の主催が福岡市文学館だから、話の多くはまず文学になる。1980年ごろまで、タイでは三島、川端、太宰、夏目などの作品が紹介されていたが、それは英語などヨーロッパ言語からの重訳で、かなり歪曲されたものだったそうだ。2000年ごろになって、日本の現代小説が直接タイ語に翻訳される形で登場する。村上春樹や赤川次郎、宮部みゆきなどの作家の他、話に出てきた作品名を列記すると前述の「リング」「-数式」に加えて、「キッチン」「冷静と情熱のあいだ」「きらきらひかる」「世界の中心で、愛をさけぶ」「電車男」「OUT」「DIVE」「インストール」「蛇にピアス」などなど。注意してみると気づくことだが、どれも映画化されているもの。これらの小説がタイに輸入されていることはよくわかったが、はたして映画版はどうなのかというところまでは、残念ながら言及されなかった。
文学に限らない日本のポップカルチャー受容の流れを簡単にいうと、80年代までは消費、90年代は模倣、2000年ぐらいから創作という風に変遷していくのだそうだ。特に90年代以降は、インターネットで情報がリアルタイムで伝わるようにもなった。影響を深めることにより、文学界ではプラープダー・ユン、マンガではタムくんといった才能が出現した。いまではライトノベルもタイの作家によって書かれるようになり、コスプレショップもできて日本に逆輸入もされているらしい。
この手の講演は、喋りばかりだと退屈になってくるので、映像を用いることがよくある。ここでやっと映画の話が少し登場した。日本と結びつくものとして、最新のタイ映画からトレーラー2本をみせてくれた。
ひとつは「アヨータヤのサムライYAMADA」(2011)。山田長政を描いた作品で、国際マーケットを意識したと思われる格闘アクションがでてくる。日本のサムライが主役であるというのに、「マッハ」のようなムエタイものの印象。山田長政ゆかりの地・古都アユタヤの日本人町跡の記念碑がある公園を、過去訪れた思い出が蘇った。
もうひとつは、黒澤明監督作品「羅生門」が元になっている「Outrage」(2011)。タイの元首相で作家のククリット・プラモートが、芥川の小説ではなくて黒澤映画から翻案した小説を1966年に発表し(これこそ初期の日本文化受容)、それがさらに71年に同氏の脚本で舞台化され、それが映画となったわけだ。
ククリット・プラモートといえば、1990年の第一回福岡アジア文化賞を授賞され、来福している。そのときの授賞式で筆者もなまで見たことのある人物だが、じつはそのときに黒澤明監督も授賞(確か授賞式には黒澤久雄氏が代理出席したと記憶しているが…)。お二人の因縁の深かったことが今になってよくわかった。
映画はこれまた、香港映画のようなアクションもので、スター、アナンダ・エヴァリンハムの顔もみえる。登場人物それぞれの視点からドラマが語られる「羅生門」の話を今更ここで振り返る必要はなかろうが、この「Outrage」はその舞台をタイに置き換えていて、僧侶の存在が大きく描かれているそうだ。
まあ、「YAMADA」もこれもトレーラーをみせて軽く解説された程度なので、詳しいことは観てみないことには書けない。黒澤生誕100年記念のときのように、東京国際映画祭でこの「Outrage」を紹介いただければと勝手に思う。
さらに、映画についての補足を、後半の講演者・久保田さんのお話からお借りする。日本を描いたタイ映画の名作として1988年版の「メナムの残照」(ルット・ロンナポップ監督)のワンシーンをみせた後、日本映画に登場するタイとして、タイロケを当時敢行した、大映映画「山田長政~王者の剣」(1959)と、小林旭・渡り鳥シリーズの中の「波涛を越える渡り鳥」(1961)が取り上げられた。どちらも国際交流基金のタイ映画祭2003で上映されていたので、知識としては持っていたが、今回の講演では、どちらも映像のさわりを映した。「王者の剣」では、日本映画だったら馬であるべきところを、それを象に代えての合戦シーン。豪快のひと言である。
市川崑監督の「ブンガワン・ソロ」(1951)を観たとき、ジャワの村人たちを日本人俳優が演じていて(おそらくすべて日本国内での撮影)、真面目な話なのに苦笑した記憶があるが、こちらでは現地ロケであるのに市川雷蔵がタイ人を演じているところが珍である。
ついでに書くと、その後に映して紹介された「ハヌマーンと5人の蟻マン」という、子ども向けの実写ヒーローものが興味深かった。タイの“蟻マン”は、ビジュアル的にも日本の仮面ライダーを踏襲したというか、パクったもので、それも5人もいて戦隊を組んでいるらしく、バイク5台で並走するシーンはとても強烈。これをみていて思い出したのが、昔みたフィリピン映画の人造人間のヒーローもの。ペケ・ガリャガ監督だったと思うが、それこそ、仮面ライダーのように悪の組織によって人造人間に改造されるのだが、その描写が微に入り細に入りで、目ん玉を引き抜いたりとかフィリピン映画らしくてあまりにリアル、こりゃあ、R指定になってしまって子どもは観れないぞと当時思ったものだ。いかん、脱線してしまった…。
久保田さんが紹介されていた、近未来のバンコクを舞台に、エミコという日本人女性の名を持つアンドロイド少女が登場するというSF「ねじまき少女」を、今度読んでみようと思う。
(2012年1月21日)

タイで受容の日本文化.jpg

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16th BIFFから ~ コンディ・ジャトゥララスミー監督の、映画祭向けの野心的な作品 [タイ]

第16回釜山国際映画祭の手元に残った半券チケット。10月8日、Megabox Haeundae 8の券で「P-047」と書かれているが、これはチケットぴあのコードナンバーではない。タイのコンディ・ジャトゥララスミー監督の最新作の題名(英語題)だ。
コンディ監督といえば、「Midnight My Love」「Handle Me with Care」「Happy Birthday」など、われわれ大衆の心に共振するような商業映画をつくってきた脚本家であり映画監督。いつもひとひねり利かせたコンディ・ワールドのなかで、職人芸のように描かれる男女の切ない運命には、何度涙を流させられたことだろう。
しかし本作は、これまでとは全く異なるアプローチで製作に取り組んでいる。脚本・監督はコンディ監督だが、大手映画会社の製作ではない。つまり今回は商業映画からは距離をおいて、自らプロデューサーも務めて製作しているのだ。そのスタンスから、自分の撮りたい欲求に正直な作品になったのだろうことは観る前から予知できたことだが、そうすると、大衆受けする感動をむかえないことは明らかなので、一抹の寂しさを覚えるかもしれないということを承知の上で、映画を観始めることとなった。
出だしのシチュエーションは、ちょっとキム・ギドク監督の「うつせみ」に似ている。長髪のKongと、長くはないLekは、それぞれ映画製作スタッフ(作家志望の?)と、合鍵屋として出会った。この青年二人は、留守宅に忍び込むことを日課としている。鍵を開けて侵入し、そこの服を借り、レコードをかけ、飲食をし、そこの住人であるかのように振る舞うことをただ楽しむのだ。借りるだけであって決して盗みは働かない。そして入室時に撮ったデジカメ写真に照らし合わせて、室内を元どおりに復元して去っていくだけ。そういう行きつけの家を何軒ももっている二人である。
ある日二人は、いつものように忍び込んで、部屋のPCを使って住人の元カレと勝手にチャットをしているうちに、帰宅してきた男と鉢合わせになってしまった!
この次の瞬間、Lekは病院のベッドで眼を覚ます。このあたりから、ドラマはいきなり整然とした姿をみせなくなってしまう。病院ではLekは、相棒のKongとして扱われる。病院の屋上で、嗅覚で過去を思い出すという女性患者Oyと会い、Lekからは子どもの頃に行ったホテルのにおいがするといわれる。
と、なぜなのか孔雀が現れて、再び、帰宅した住人との鉢合わせの場面に戻る。一発の銃声はLekが住人の男を撃った音。撃たれた男はゲイで、元カレと雨降る森で愛し合ったことを思い出しながら死んでいく。KongとLekの二人は殺しの現場から逃げ去るのだが、ここでまた登場する二羽の孔雀の伝説をはさんで、看護婦の話から、Kongは森の中にいるところを発見されたらしいことがわかる(これはLekではなく、長髪のKongのことか?)。
ここからフラッシュバックを重ねながら、相棒KongのアイデンティティーをLekがたどるような話になるのだが、渾然とした場面、場面の連続となる。
LekはKongの家に戻る。そこで、Kongが書いたらしい妄想のような小説に出会う。Kongの元カノとのエピソードの回想や、Kong とLekの出会いの記憶。観ていて、もはや物語の整理はできなくなってしまう。そこの住人になりすますという行為から幕を開けたこのドラマは、いまみているスクリーン上の男じしんがKongなのかLekなのかさえ、もうわからない。LekはKongという男になりすましているのか…。その答えを監督はなかなか用意してくれない。
最後に、それがKongなのかLekなのかどちらなのかは置いておいて、長髪の男は映画館から出て、赤い傘の女性を見つける。彼女はKongの元カノのNook。ロビーのテレビには孔雀が映し出されていて、「あなたの名は?」という問いかけでもって、この「P-047」は終わる…。
コンディ監督が撮りたかった新たな映画世界とは何だったのか、それがうっすらとはわかるエンディングで、そういう意味では、物語全体とその終わり方は、観ていて心地よかった。しかし面白く観たとはいえ、本作については、十分に理解できなかったことを、開き直って自慢するしかないのかしら。いや、不思議な気分のなかで、振り切られることなく何とか物語についていけたこと、そしてそこそこに胸が震えたことの方を自慢するべきなのか。
最初に戻るが、英語題の「P-047」(2011)って、どういう意味だったのだろう? 観ていて謎ばかりが残る、いわゆる映画祭向きの作品だけに、ティーチ・インがなかったのが非常に残念だった。もっとも、タイ語=韓国語で行われても、とてもついてゆけないが。
(2011年12月9日)

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大阪アジアン映画祭2011のタイ映画「アンニョン! 君の名は」は良かった [タイ]

今年の大阪アジアン映画祭2011(3 月5日~13日)では、国境、国籍を越えた作品、恋愛を扱った作品が多かったようだと前回書いたが、その続きで。
シンガポール映画「いつまでもあなたが好き好き好き」(10)はウィー・リーリン監督の新作だが、もうひとつの出来だったと思う。
日本の女性芸人が演じたりしたらハマるかもしれない、妄想狂の女ジョイ。結婚を推進する機関W.E.D.に務める彼女(この設定は出生率の低いシンガポールらしさを意識したか)は、婚姻促進キャンペーンのプロモーションビデオに自ら出演し、そこで共演した、台湾から来たイケメン青年ジンに恋してしまって、相手に婚約者がいることもお構いなしに、ひいちゃいそうなくらい猛烈にアタックしまくる。そのストーカー行為は、ホラー色もあって怖いくらいで、しかし所詮そこまでのラブコメディなのかと思っていたら、物語の着地のところで、映画の後味が変わってしまった、それも良くない方へ。
解釈という点では、観客に委ねられた謎なのかもしれないが、ハッピーエンディング的な場面を迎えて「私、薬を飲み忘れたのかしら」と呟くジョイには、わたくしとしてはもう悲壮感しか観てとれなかった。“ドラえもんの物語は、植物状態ののび太の夢”という悪ふざけのオチと、同じくらいに哀しい…。
一方で、タイ映画「アンニョン! 君の名は」(10)は、GTH社のいつもの、胸キュン・ラブロマンスという定番路線でありながらも、舞台が韓国ということでちょっと新機軸的なところも示していて、十分に満足させてくれた。「こんな映画が観たかった!」賞(勝手に書いてるが)をあげたいと思っていたら、実際にコンペ部門で、来るべき才能賞とABC賞を受賞した。業界的にも、フィルムコミッションの教科書として秀作ではなかろうか。
ホラームービー「心霊写真」「Alone」「4bia」のバンジョン・ピサンタナクーン監督の作品で、脚本は、韓国ツアーに紛れ込んでソウルに渡ってしまった主役の男を演じるチャンタウィット・タナセーウィーによるもの。(二人が映画祭ゲストで参加)
簡単に書くと、旅先のソウルの街で偶然に出会ったタイの男女が、時間を共有していくうちに、お互い気づかないうちに恋に落ちてしまうという話だ。細かくみていけば、ありえないシチュエーションの連続。しかも、掴みどころがなくいい加減なキャラのこの男が、異性から見て魅力的なのかどうかの疑問もある。だが、韓流オタクでカメラ片手に一人旅を続けている女性との組み合わせが、羨まれるような世紀のカップルというわけでもないので、それほど詮索せずに、観客は、笑いの絶えない二人のやりとりを温かに見守ってあげられるのである。
劇中では韓流ドラマのネタも随所に楽しめるが、韓流以上にドラマチックな展開が、この映画の先には、じつはある。まだ終盤ではない、この段階で? というところで二人は口づけを交わすが、ここから物語は急旋回していく。その後の展開を書くような、デリカシーのないことはしないでおくが、とにかく、互いの事情はしだいに紐解かれていきながらも、自分の名前を明かすことはどちらもしない。そのことを邦題「君の名は」は示している。
二人は結局バンコクにそれぞれに戻って、もうひとつエピソードがでてきて終わる。ラジオDJの相談コーナーという、心憎い仕掛けがラストに用意されているが、ここではもう書かない。思い出すと涙が出そうだし…。
いまだに洋便器の洗浄水を顔に浴びるドジを踏むような発展途上的なベタなギャグと、奥底に秘められた心の繊細さを垣間見せる切ない表現が、ひとつの映画のなかに同居するという奇妙さは、じつに何ともタイ映画らしい。日本のあちこちの映画祭は、つまらないものを上映するくらいなら、このプリントを借りたら良い。
(2011年4月20日)

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とにかく観るべし! タイのダーク・ヒーロー映画「The Red Eagle」 [タイ]

アジアフォーカス2010の業務試写でタイ映画の新作「10月のソナタ」を観たときに、約束の日10月8日に毎年再会しようとする男女の愛の事情よりも、その二人の出会いのきっかけとなったタイ映画界のスーパースターMitr Chaibanchaの1970年10月の不慮の死のことが気になって仕方なかった。それも映画撮影中にヘリコプターから落下したのだから。そのことは、前にこのホームページに書いたけれども。
今年の第15回釜山国際映画祭で幸運にも、俊英ウィシット・サーサナティアン監督作品で、当代の人気スター、アナンダ・エヴァリンハムを主役に据えた最新作「The Red Eagle」(10)のインターナショナル・プレミアに足を運び、怒涛の衝撃を浴びることになった! それも、Lotte Cinema Centum City 7でのプレミア上映の日10月10日は、ちょっと半端だが、Mitrの没後40年と2日ではないか! 以下、まず、映画祭カタログと映画祭のデイリーからごく簡単に引用する。
- 本作はタイの1960年代の人気シリーズのリメイク。シリーズ最終の10作目となる「The Golden Eagle」の撮影中に事故死したMitr Chaibanchaはタイ国民の伝説のスターとなった。ウィシット監督は40年ぶりに、21世紀のイメージでRed Eagleを蘇らせた。今年5月、政治的騒乱により焼かれたバンコクのショッピングモール内のSFワールドシネマでは、「The Red Eagle」が10月4日、5か月ぶりに映画封切りされ、タイ映画業界の復興を祝った。 -
ウィシット監督は、デビュー作「快盗ブラック・タイガー」(00)で「地獄のホテル」(57)で知られるタイ映画の先駆ラット・ペスタニー監督に献辞しており、強烈な個性を発揮する映画手法をもって、先人にリスペクトするスタンスは今回も同様。前作「The Unseeable」(06)は独特の美的感覚こそ漂うものの、謎解きの要素が多過ぎるホラーでちょっと疲れたが、今回は40年前のヒーローものを、21世紀型活劇にみごとにアレンジした。
舞台は2013-16年、近未来のバンコク。タイの首相となったDirekは、かつてのNGO仲間であり婚約者でもあった女性Vasanaを裏切って核開発に着手する。ヒーローが渇望されている世の中、アナンダ扮するRed Eagleは、麻薬取引のギャングたちや、陰で児童虐待している政治家などの犯罪者を暴力的すぎるやり方で、単身で成敗する。剣を使って、ターゲットとなる者の手首や首を切り飛ばす。赤い鷲のカードを現場に残し、Red Eagle参上のしるしとするところは、ヒーローというよりもまるでサイコキラー。アクションシーンはちょっとみもので、瞬間の場面が赤に染まったり、腕を折ったりする場面がレントゲン写真のようになったりして、パルプコミック調でもある。
警察で新たにRed Eagle担当に任命されたのは、若きChart刑事と、その助手に長身インド人のコンビ。二人はもちろんRed Eagleの正体を知らないというか、身近にいることすら気づいていない。
Red Eagleの正体を知っているのは、Vasanaただ一人。知性も美貌も兼ね備えた彼女は一年前、Red Eagleをつけ狙う殺し屋Black Devilから、Red Eagleの正体である、怪我を負った男Romeを救って以来の関係となった。しかしこのときのRed Eagle(Rome)の傷つき方も凄すぎた。Black Devilによって右眼を貫通されたのだ…。
ともかく、このような人間関係のキャラクターが、息を飲みっぱなしの人間離れしたアクション劇を中心に交錯していくので、あとは本当に観てのお楽しみだ。特に、これまでしつこいぐらいタイ映画の恋愛ものに登場してきたアナンダが、クールでかっこいいこと、しきり!
日本人から見ればルックス的には忍者赤影の残酷バージョン(国際的には快傑ゾロか)と言いたくなるような本作は、大阪アジアン映画祭あたりで取り上げられれば、絶賛されること間違いなし。
釜山から帰って、ウィシット監督とは同年齢であることに気付いた。ウィシット監督がEagleシリーズを観ていたという同じく40年ほど前にわたくしは、東映の「赤影」、それも赤と青のセロハンメガネを使った3D映画を幼児期に体験し、それがわたくしの人生で初映画館、初映画でしたが、今回はそれ以来の興奮となりました!
(2010年10月20日)
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アジアフォーカス2010試写室レポート:タイ映画「10月のソナタ」 [タイ]

映画の最初と最後、思い出の海辺にひとり立つ女流作家。その女性セーンジャンが、ついに結ばれることのなかった、最愛の男性との過去について振り返る回想で成り立ったドラマである。まず意地悪な書き方をしてとても申し訳ないが、彼女の主観的な視点に寄り過ぎていてあまりにも美化しているように見えてしまう作り方が、映画を甘ったるくて、後味を悪いものにしてしまっている。「私たちはこんなにも悲運でした」ということを、本人の証言に基づいて波乱万丈にデフォルメして再現したドラマのようだ。おまけにラフィーというその男性は、“星の王子様”的な枠組みでしか描けていない。
運命のいたずらでいつもすれ違ってしまう男女、というのはロマンチック映画の定番であるが、それが観ていて感動に結びついていくには心の琴線にふれるような気の利いた仕掛けが必要であると当時に、登場人物たちのナチュラルな感情が、観客に伝わって共感を呼ぶような表現が重要であると思う。
セーンジャンは、ファンだった有名俳優の葬儀をきっかけにして、次の日から海外留学が決まっているラウィーと出会う。それが1970年の10月8日。そして約束した2年後の10月8日、3年後の同日と、セーンジャンはまるで織女のように、年に一日しか巡ってこない10月8日に再会することを試みる。
4年後にやっと再会するまでは、ちょっと甘いが映画としては適度な盛り上がりを見せる。しかしその時には彼女はもう、別の男性リムと結婚しているので、5年後のその日にラウィーと会う場面で彼女がみせる笑顔はおそらく一生で一番のものなのに、不倫妻が夫のいないところでみせる笑顔だと思うと、ちょっと男心ではすっきりしない。男心ついでに書くと、リムの方は自分の気持ちに正直であるというキャラがはっきりしていて、彼女と別れたその後が安心できる終わり方でよかった…。
物語は引き続き、悲劇に向かって、1984年までほぼ毎年の10月8日という一日を定時観測のように、非連続的に描いていくので、登場人物たちの心はとうとう、ナチュラルには追い難かった。
さてところで、非常に気になったのは、頻繁に出てくる10月8日という日。ラフィーに初めて出会ったセーンジャンが、自分はドンターンビーチに行きたいと言うが、二人が出会うきっかけになったタイ映画界のスター、ミット・チャイバンチャーは、映画撮影中のヘリコプター事故により、そのドンターンビーチで若くして不慮の死を遂げた。そのミットの命日である。ミットは1950年代後半から60年代のタイ映画界の黄金期を支えたスーパースターだと映画史で読んだ。そんなミットだから葬儀には、セーンジャンのように、大勢の人々が押し寄せたのだろう。ミットが映画で演じる正義の味方は、共産主義者という悪党と戦うのが常だったそうだ。
もうひとつ。タイ近代文学の父シーブーラパーもでてくる。今年3月にアクロス福岡で行われた国際交流基金主催のアジア作家講演会でほんのちょっとだが知識を得ていたので、ニッコリしてしまった。
(2010年8月24日)

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タイのホラー映画には、Jホラーという背後霊が取り憑いていた [タイ]

今年も暑い夏が来ている。寝苦しい夜が続くと、風物詩的にホラーのDVDでも…と短絡的に思ってしまう。で、暑いからというわけではないが、南国タイに行った気分で、タイの映画を2本続けて観た。
GTHの「Coming Soon」(08)は、「心霊写真」(04)「Alone」(07)に脚本家のひとりとして参加しているSopon Sakdapisitの監督デビュー作だそうだ。ジャケットデザインに登場する、首吊りにされた、まるで落ち武者のようにもみえる女の幽霊のビジュアルがインパクト大で、実際、この幽霊のこの場面が、劇中で重要になっている!
まず特筆すべきは、この作品はタイ語が理解できなくても、何の字幕なしでもほぼストーリーをつかむことができるということだ。それだけストレートなドラマということである。ドキリとする瞬間も、もちろんときどき現れる。ストレートと言い切れてしまうということは、演出がホラーとしてはあまりにも標準的すぎるということ。かなり好意的にいえば、脚本が無駄のないシャープでものであるということ。まあ、優れた作品とは呼べないが、タイホラーという枠の中では駄作というほど悪くもない。娯楽としては及第点だ。背後に「女優霊」「リング」といったJホラーの存在があることは、容易に想像がつくのだけれども。
ホラー映画を扱うホラー映画という、入れ子的な構成になっていて、冒頭からしばらくは、あるホラー映画のクライマックスシーンが続く。眼を刳り抜かれた子どもたちの屍が並んでいる屋敷の中で、最後に生き残ったひとりの少女と女幽霊の追いつ追われつが繰り返される。危うし、というところで子どもたちの親たちがその場に駆けつけ、無事に少女を救出。その女幽霊は退治され、首吊りにされてしまう…。といった映画を上映しているシネコンが舞台で、主人公はそこの映写技師である。
この劇場内で、海賊版の制作のためにこのホラーを違法撮影していた男が忽然と消えてしまい、スクリーンを撮っていたビデオカメラだけが残される。そのビデオに撮られていたテープを繰り返し見た映写技師は、そこに映り込んだ事実に凍りつく。スクリーンの中の存在であるはずの女幽霊が現れて、撮影していた男を襲ったのである! 
ここから主人公の悪夢が始まる。ホラー映画の世界と、彼が生きている現実の境い目がなくなっていき、上映映画の中の物語展開じたいが変容していく。彼は、女幽霊を演じた女優が撮影中の首吊りシーンで実際に命を落としてしまっていたという事実に辿りつき…。
幽霊がみごと退治されて、めでたしめでたし、とはならない終わり方は、個人的には好みだけれども、それは気の利いた演出であれば、の話。本作の場合は、ひとつのパターンに陥ってしまった感じがある。
もうひとつは、アナンダ・エヴァリンハムとカレン・モクが共演した「The Coffin」(08)。DVDジャケットに、インド国際映画祭コンペ参加作品、ロッテルダム国際映画祭公式上映作品などと、うやうやしく書いていると期待もするわけだが…、映像としては、美的に感じるところもあったけれども、これはちょっとがっかりなものだった。英語のダイアローグが多いのは、プラス。(設定を変えるとカレン・モクの声がタイ語に吹き変えられてしまう)。
題材じたいは海外受けするだろうし、実際にとても興味目深い。タイには、災いを取り払うために、生きたまま棺に入る信仰儀式があるそうだ。この映画はそれを扱っている。
アナンダは、難病の恋人マリコ(渋谷亜希という日本の女優が演じる)のために、一方で香港から渡ってきたカレン・モクもまた病気のために、棺へと入る。
この儀式では蓮の花を握らされて、両手首を縛られ、真っ暗闇の狭い棺の中に閉じ込められる。身動きの取れない状態にされての闇の世界というのは、想像するだけで、もう恐怖。この儀式場面は映像的にも説得力があって、告白すると、わたくしにとっては、生きたまま棺に入るという行為が、想像するだけでも一番怖かった。
アナンダもカレン・モクも、その後に幻覚の世界に陥っていくのだが、そこから先での経験は、物語的にも、前述の題材のインパクトに比べると衝撃は弱かった。
監督のエカチャイ・ウアクロンタム(Ekachai Uekrongtham)は、日本でも「ビューティフルボーイ」(03)で知られている。オカマのムエタイ選手パリンヤー(格闘技界では当時ちょっとは知られた存在)の半生を描いた作品で、日本の女子プロレスラー井上京子も本人役で出演した。偏った知識かもしれないが、渋谷亜希は知らなかったけれども、パリンヤーと井上京子は知っていた。
(2010年8月7日)

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政情不安が続くタイの平和的解決を祈りながら、タイ映画を観るこの頃 [タイ]

なかなか収まる兆しを見せないバンコクの騒乱。タクシン派が占拠する都心部では、有名なショッピングモール「セントラル・ワールド」が火災に遭い、黒煙を上げている新聞の写真記事をみて、とても驚いた。ここのシネコンで映画を観たこともあるし、「キング・ナレスワン」の公開時には展示イベントもあったし、シリヤゴーン・プッカウェート(ウム)の公開イベントも行われていたし。何より、昨年9月の第7回バンコク国際映画祭も、ここで開催されていたはずだ。
いったいタイはどうなっていくのだろうと案じながら、タイ映画のDVDをまとめて観た。ほとんどが昨年のバンコク映画祭のタイ・パノラマ部門で上映された、昨年の代表作だ。そのなかから…。
いや、しかし。またまた、コンデイ・ジャトゥララスミー脚本のラブストーリー「Happy Birthday」(08)には泣いてしまった…。今回の作品のプロットはシンプルで、涙を誘発すること見え見えなのに、みごとな作術である。
アナンダ・エヴァリンハム演じるイケメンのカメラマンと、チャーヤナン・マノーマイサンティパープ演じる観光ガイドは、互いに出入りしている大型書店で、写真集に書き込みをすることで出会い、意識し合うようになる。二人はタイ北部に旅行に行ったりして親密になっていくが、彼女がバースディ・プレゼントを渡そうとして、彼の目の前で交通事故に遭ってしまい、もう二度と意識は戻らず、脳死状態となってしまう。
明るくてちょっとコミカルでもあるここまでが映画の前半部分で、後半は、アナンダが残りの人生を彼女の世話に捧げるという、愛ゆえの美しいドラマに仕上がっていく。もちろん、時にはストレスに耐えきれず、アナンダの感情が爆発したりもする。恋人ではあったが妻ではない彼女を引き取って自分の家で面倒をみることについて、彼女の両親から訴えられもする。
観ていて特にせつないのは、手術のために剃り上げられた彼女の頭に、少しずつ少しずつ髪の毛が伸びていく時間の経過である。決してアナンダの言葉に反応することはないのに、彼の眼の前には、生命があるのだ。坊主頭の彼女の表情があまりにも美しいだけに、この現実がアナンダに重くのしかかるのである。アナンダの献身的な看病場面と、車いすの彼女を連れてのショッピングやデートの幻想場面、二人の過去のデートの回想場面が絶妙に交錯した後で、ラストのさりげないシーンにはハッと息をのむ…。
監督は「ミー・マイセルフ 私の彼の秘密」のポンパット・ワチラバンジョン監督なので、「ミー・マイセルフ」に続いて、脚本家、監督、主演の二人が再び顔を揃えたということになる。(女優チャーヤナン・マノーマイサンティパープは、とても私の好みなので、眠ったままの後半の存在感も、ややミーハーですが、充分に感じました)
こんなロマンチックな映画を、のんびりと映画館で楽しめるような街の平和がバンコクに再び戻ってくるのに、あとどれくらいかかるのだろう。
(2010年5月22日)

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アジアフォーカス09試写室レポート:タイ映画「カティの幸せ」 [タイ]

親子の絆を描いた作品を続けて2本観た。ひとつは台湾の「あなたなしでは生きていけない(不能没有你)」」(09)。かつて付き合った女ミンシウとの間にできた7歳の娘と二人で暮らしている無免許の潜水作業員ウーシュン。娘メイの戸籍はミンシウとその夫の方に入っていて、ウーシュンには養育する権利がないことが発覚する。ウーシュンは、これまでどおりのメイとの生活を望み、役所や国会議員の間を奔走する。しかし血の繋がった親子であるにもかかわらず、法律が支配する社会は、冷血にも二人の間を引き裂く…。
埼玉で毎年行われているSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2009の長編コンペで最優秀作品賞を受賞していることからもわかるとおり、よくできた作品で、あちこちで称賛の声を聞く。モノクロの画面を通してみる世界はあまりにも冷たい。そのなかで、信頼しあう実の親子の絆が、不思議なことにしっかりと見えてくるのだ。
監督はレオン・ダイ(戴立忍)だが、監督作を観たのはデビュー作以来。
かたやタイの作品で「カティの幸せ(The Happiness of Kati)」(09)。監督はジェーンワイ・トンディーノーク。筋肉が萎縮する難病ALSを患う母パットと幼い時から離れて祖父母と暮らしている9歳の少女カティ。母の死が近まり、海辺で療養している母と最後の時間を過ごし、カティは、母のことや聞かされていない父の存在、そして母の想いを知る…。
原作小説の日本語翻訳が出ていることを字幕監修者さんに教えていただいていたので、あらかじめ読んでおいた。クレジットを見る限り、この原作小説の作者が脚本にも参加しているようだが、映画化にあたっては、小説のリズムをそのまま映画に持ってきてしまったことがあだになった。それだけでなく、人物キャラクターも、物語は些細な設定から小さなエピソードに至るまでがあまりに忠実に映画に持ち込まれている。原作の中の重要なセリフなどは、そのまま日本語字幕として出てくるので、我々の場合、小説と変わりなく眼で読めてしまう。この作品が海外に持ち出されて字幕付きで上映されるなどとは監督もそれほど考えていなかっただろうが、下手をすると映像はセリフの挿絵程度の存在となってしまうのだ!
前半部分のカティの日常生活ぶりは、それでも悪くはない。美しい風景もあって、まあ活き活きしていた。しかし舞台が海辺の家に移ってからの、母との別れという後半部分は、どうもスパイスがなくて淡すぎた。
カティを育ててきた祖父に「これまでは大人が決めてきたが、今度はカティが自分で考えなければならない」といったような言葉があったが、これがおそらくこの作品のテーマだろう。だがそれを、この映画では、言葉以外の形で語って欲しかった。
自分の父親のことを知った少女カティは、じつは終盤で重大な選択をする。それが先ほどのテーマに通じることなのだが、たとえば映画では、もう少しこの部分を際立たせてもよかったのではないか。静かな展開は原作の持つ魅力だが、それを利用するだけでは、映画の方は輝かない。
小説の方を前もって読んでいたからそれと比較して評価しないというつもりではない。逆にもしも読んでいなかったら、予備知識もないので、淡々としすぎているためにもっと曖昧にしか見えなかっただろうところもあった。
一方で原作では見えてこなかった、映画での新たな発見もあることには、あった。それは母の世話をしてくれているドーンおじさんがたぶんゲイだったことだ。
(2009年9月7日)

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夏ですし、タイのオムニバス・ホラー「4BIA」は、PHOBIA(恐怖症)がたっぷり [タイ]

四方田犬彦氏が最近、2002年からの東南アジア各地の調査をまとめた著書「怪奇映画天国アジア」を上梓されたので、すぐにアマゾンで購入した。確か筆者の記憶では、2003年福岡において、氏はアジア太平洋センターの招きにより市民カレッジのなかで(だったと思う)、その研究の一端をレクチャーされていた。この度の新刊は、氏の一連の調査の集大成というべきとても分厚いもので、それを読んでは私も触発されて、まだ未見のまま手元に置いていたいくつかのホラー映画のDVD、VCDを、箱を包んだセロハンをビリリと開いて、観た次第である。
今年のロッテルダム国際映画祭でも上映されたタイのオムニバス・ホラー「4BIA」(08)は、封も切らずに放置していたことを後悔させる、まあまあの出来である。とはいってもVCDには字幕がないため、今回、各パートの題名や監督情報などについては、製作会社のカンヌ向けの情報を参考にした。
いずれも幽霊に絡んだ、4つの独立した短編からなるのだが、そのうちのひとつ、パウィーン・プーリットパンヤー監督の作品(第2話)は、最も秀でていると思う。だからかどうか、「ティット・フォー・タット:報復への恐怖」という邦題で、昨年の第3回 札幌国際短編映画祭で上映されている。たぶん短編としてばらした4作品の中で唯一の日本公開作である。
学園ものである。肌が黒いことでクラスの不良グループからあまりにも残酷ないじめを受けていた少年が、生前に手を染めていた呪いの魔術の力により、“眼には眼を”的な復讐劇を繰り広げていく。リズム感のある斬新な映像で、ショッキングな場面が連続。視覚的な満足度もたっぷり。パウィーン監督は長編ホラー「Body」(07)も同年のロッテルダムで紹介されており、タイ・ホラーの新旗手か。青春映画「早春譜(Seasons Change)」で来福経験のあるウィタワット・シンラムポーンは復讐される側の不良役で出演している。
共作で傑作ホラー「心霊写真」(04)「Alone」(07)を発表しているバンジョン・ピサンタナクーン監督とパークプム・ウォンプム監督も、今回それぞれ一話ずつ単独で撮っている。
第3話はバンジョン監督の「In The Middle」。4人の若者たちが、レジャーなのか、山中でひとつのテントに寝泊まりしてキャンプを楽しんでいる。彼らは夜になるとテントで何かおしゃべりをして楽しんでいるが、その内容は解釈できない(おそらく怖い話をして盛り上がっているのかしら)。それが一転してホラーになっていくのは、昼間急流でボートが転覆し、仲間を助けようとしたひとりが行方不明になってしまってから。夜になってぐっしょりと濡れた彼が3人のもとへ戻ってきたとき、普通の観客ならば“ああ、よかったねぇ”などとは思わない、だって、どうみたって幽霊なんだもん。
パークプム監督による第4話「Last Flight」と、ヨンユット監督の第1話は、どちらも閉ざされた空間で恐怖におののくヒロインの一人芝居という点では共通だ。そしてどちらも小生好みの美人女優さんである。
「Last Flight」では、青春映画「ミウの歌(Love of Siam)」(08)で主人公の姉とバンドのマネージャーの二役を好演したチャーマーン・ブンヤサックが、何と幽霊と二人きりのフライトを体験する客室乗務員役である。その彼女が“ユア・ハイネス”と英語でお世話しているからには、この気位の高い乗客は、架空なのかどこかの国の王女様なのだろうが、その王女様がただひとりだけ乗った専用機に、CAとしてたったひとりで担当することになったのがチャーマーンである。しかしアレルギーのある機内食を食べた(食べさせた)ためだと思われるが、この王女様は急死してしまう! そのためチャーマーンはリターンフライトで、この王女の遺体を送り届けなければならなくなるのだ。チャーマーンと遺体、二人だけの客室で、どのようなことが繰り広げられるかは、はい、そう、ご想像のとおりです。ホラーですから。
ただし、技術的には充分に怖いのだが、状況が何だかヘン。全身をピッチリと白い布で覆われた復路の王女様のご遺体は、往路同様、客室最前のファースト席に、生きているかのようにして座らされている。そんな状態にしておきながら、付き人も誰も同乗せず、CAとしてお世話するような業務も何もなかろうに、どうしてチャーマーンがたったひとりで担当するのだろう。彼女が幽霊と対峙するシチュエーションを無理につくっているようにみえるのがちょっと残念だ。
そして4人の監督の中で、一番キャリアが長いだろうと思うのが、第1話「Happiness」を担当した、「アタック・ナンバーハーフ」(00)のヨンユット・トンコントーン監督だ。ただしおそらくフィルモグラフィーからみて、ホラー作品は初めてなのではないか。
みどころは、ヒロインが「親友(Dear Dakanda)」(05)のマニーラット・カムウワンだということ! 彼女は交通事故で足を怪我してギプスをしているという設定で、アパートの高層階の部屋から外に出ることができない。そんな彼女の携帯に、見知らぬ誰かからメールが入ってくる。それに返信していくうちに、恐怖の世界に引きずり込まれていく。舞台は室内だけで彼女しか登場しないので会話もない。やりとりされるタイ語のメールが読めないことが、困るといえば困るが、30分間通して観ると、ストーリーの上辺の部分は何とか推測できる。
しかし、ハリウッド映画ならば、最後に幽霊を退治して主人公は生き残るというパターンも多いのに、そういう展開を許してくれないタイのホラー映画においては、幽霊の地位は揺るぎなく高いもののようである。今回の「4BIA」、英語字幕などで、幽霊の持つ怨念や祟られる側の事情などがもっと詳しく理解できれば、怖い怖くないの上辺の楽しみを越えた見方をすることができて、観終えた後の☆の数を増やすこともできたけれども。
(2009年7月5日)

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アナンダの出演作を続けて3本観た(下)~タイの国際派監督の作品にも出ている [タイ]

続けて観た、タイのイケメン俳優、アナンダ・エヴァリンハムの出演作のあと2本。どちらも、国際映画祭では常連といえる監督の作品である。
まずはノンスィー・ニミブット監督のブロックバスター大作「Queens of Langkasuka」(08)だ。昨年の第13回釜山国際映画祭で野外上映されていた。ということは、オープンエアーにも耐えうる、アクションあり、ファンタジーあり、冒険ありの、キャッチィな作品ということだ。ノンスィー監督といえば「ナンナーク」(01)「THREE/臨死」(02)「ジャンダラ」(03)など、エンターテインメント性の滲み出る話題作ばかりなので期待大。そして期待どおりにエンジョイできた。
舞台は400年ほど前の、ランカスカという、マレー半島中部で今のタイとマレーシアの国境にあった王国。西洋や中国大陸、そして日本(ヘンな日本人が映画に登場してくる!)などからも来航があり、貿易で栄えていた土地のようだ。実在のこの国で、統治していた女王、王女たちと、その富を狙う海賊集団たちとの抗争を、美しく雄大な自然を背景に描いた、スケールの大きな物語である。アナンダが演じるのは、両親を海賊に殺されて孤児として育ち、海を自在に操るという不思議な魔法を持つ青年パリ。まあ、この程度の状況説明で、アナンダがこのドラマのオイシイ役どころであることがわかるだろう。
とにかく、マレー半島史に疎いのでどの辺までが史実なのか理解できないし、ロケ地じたいもマレーシアかタイかはよくわからないけれども、美しい海の風景がとても印象的だった(まさか、ここまではCGではないでしょう)。
もうひとつは、ノンスィー監督とは同世代になるペンエーグ・ラッタナルアーン監督の「Ploy」(07)。ペンエーグ監督は、97年のアジアフォーカスでデビュー作「ファン・バー・カラオケ」(97)が紹介されて以来、「6IXTTYNIN9」(99)「わすれな歌」(02)「地球で最後のふたり」(03)「インビジブル・ウェーブ」(06)と、監督作は日本でも常に紹介されてきた(日本との合作もあるが)。
しかし、アナンダも出演しているこの「Ploy」は、いまだ日本未公開作である。ペンエーグ監督らしいユーモアがあって、個人的には楽しめる作品なのだが、ちょっとエロチックだからかなあ…。ドラマの主軸は、倦怠期を迎えた一組の中年夫婦である。宿泊しているホテルのバーで、夫の方は、ストックホルムから戻る母を待っているというティーンエージャーの少女Ployに出会い、自分たち夫婦の泊まる部屋に招き入れる。そして少女と夫婦は3人、同じ部屋で夜を過ごす。妻は、夫の自分に対する愛情に不信感を持ち、部屋を飛び出してしまう(夫とPloyに性的な関係は何もない)。
この夫婦の様子と並行して対照的に描かれるのが、同じホテルのメイドとバーテンダーのカップル。こちらの方の男女は、ほとんどセリフを交わすこともなく、空き部屋を使って奔放にセックスを繰り広げていく。じつは、このバーテンダーの男がアナンダだったことを、1年ぶりぐらいでDVDを観直してみて気が付いた。最初に観た時は、メイドの方しか観てなかったのかなあ…。ちょっと恥ずかしいことです。
罅の入った中年夫婦の関係を浮き彫りにするための若いカップルという、ストーリーの上では重要なポジションではあるが、アナンダだけでなく女優の方もそうだが、特別なキャラクター設定もなく、肉体以外のものをペンエーグ監督からは求められていないのでは?
「心霊写真」を含め、筆者が観た役者アナンダの、その良さがうまく引き出されたベスト作は、ゲイ役にも挑んだ「ミー・マイセルフ 私の彼の秘密」(07)かしら。
(2009年5月10日)

IMG_0273.JPG Queens of Langkasuka

CCF20090418_00002.jpg Ploy
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アジアフォーカス08試写室レポート:タイ映画「サイアム・スクエア」(07) [タイ]

“ボーイズ・ラブ”の要素も持った、バンコクの渋谷であり原宿である、サイアム・スクエアを舞台にした男女4人の高校生の青春映画。そういう認識で観ると、それだけでは終わらない、家族の再生というサイドストーリーもうまく盛り込まれている上質な作品であるということがわかって、若きチューキアット・サックウィーラクン監督の手腕には感心するところである。
小学生の時分親友だった二人の少年、ミウとトンは、トンが家庭の事情で引っ越すことになってそれ以来別れてしまうが、高校生になって偶然再会を果たす。ミウは小さい頃からの音楽の才能を開花させ、高校生バンド・オーガストのリーダーとしてCDデビューを果たすなどプロとして活躍、近所の女子高生ジンからは密かに想いを寄せられている。一方、トンにはドーナツというガールフレンドがいる。この4人の関係が絡んでいく青春ものらしいということは、明るくポップな公式サイトやポスターなどのビジュアルからも明白である。
一方でこれに対して、B面的な物語が展開される。トンがどうして子どもの頃に一家で引っ越すことになったのかというと、姉テーンが旅先で行方不明になってしまうという事件があったためだ。事故なのか、犯罪なのか…。とにかく幸せだった一家から、年頃の娘が忽然と消えてしまったのだ。ロマンチックな青春恋愛ムービーのなかでは、ちょっとギョッとする異質なエピソードである。最愛の娘を失ったトンの父は、それ以来酒浸りの生活に。
この家族の再生の鍵を握るのが、音楽プロダクションでミウのバンドを担当する女性マネージャー・ジューン。自暴自棄になった父を励ますためにと、ジューンは、自分と瓜二つのテーン役を演じるというアルバイトを家族から任されるのである(二役を演じているこの女優がとても魅力的だ)。ジューンという若い女性の素性がはっきりしないから、ドラマ上、ちょっとミステリアスであったりもする。ジューンは、自分がテーンであることを信じ込ませるために、父に対して、“旅先で事故に遭って記憶を喪失したの”とポーラ・テイラー主演のタイ映画「メモリー~君といた場所」のストーリーを借用するが、ここはこの「メモリー」を観ていればニヤリとするところである(「メモリー」についても、このホームページで以前に紹介)。
とにかく、姉の失踪というヘビーでシリアスな事件に比べると、トンとミウ、二人の少年の間の気持ちの高まりは衝撃的というほどには映らず、かわいらしいティーン時代の一時の迷いとみえた(親にとっては、そうみえないが)。
トン一家はカトリックという設定なので、フィリピンの家族ドラマかと見間違うような場面もあり。クリスマスが時間軸の節目になっていて、そこに向かってストーリーは進行していく。ここがまたロマンチックだ。ついでにいうと、ミウが率いるバンド・オーガストの曲が素敵だ。
物語にA面とB面がある分、150分という長さだが、それがまったく気にならない。
(2008年9月10日)

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しなやかな筆致と静かな抒情に満ちた才気~いま注目の コンデイ・ジャトゥララスミー監督 [タイ]

一枚のタイ映画の新作VCDを目の前にして胸の鼓動が否応なしに高まる。コンデイ・ジャトゥララスミー監督の2008年の作品(英語題が「Handle Me with Care」という)だ。主役の男女が抱擁するカバー写真。そして見ていてやがて気付く、抱きしめるその男性の腕が3本あることを! 生まれつきに腕を3本持つ青年Kwanが、旅先で出会った女性と繰り広げるロマンチックなロード・ムービーという、ごくごく簡単なシノプシスだけが頼りだ。けれども英語字幕が付いていないことも気にしない。気にならない。すぐに箱のセロハンを剥ぎとって、ディスクをプレイヤーに差し入れる…。
この主人公Kwanには腕が3本ある。左腕がもう1本、脇あたりから生えているように伸びている。バスケットボールの試合や、郵便局での手紙の仕分けのアルバイトなどでは群を抜く活躍を見せるKwanだが、自分の特殊な身体にはずっと悩んでいた。最愛の母が亡くなり、いつも特注のシャツを仕立ててくれた店の主人までが急死すると、切除手術のために大都市バンコクへ旅立つことを決心する。
向かう途中で、警官からレイプされそうになっている女性を救い、彼女と道中をともにすることになる。画面の映像だけでは正確に見取れないが、この魅力的な女性の心にも何か悩みがあるようである。旅先でいろいろな経験を重ねることで、ふたりの心は近づいてみたり、遠のいてみたりする。
そして目指す病院にたどり着いたKwanは、手術を受けてずっと邪魔に思っていた3本目の腕をついに切除する。しかしこの時にはもう彼女は彼の傍にはいなかった。自分の決断が果たしてこれでよかったのか、Kwanは自問自答した挙げ句、自分の体から離れてしまった3本目の腕を、病院のホルマリン漬けの瓶から奪い取って、田舎の町へ引き返す…。
ラストシーンまで観ていて、とうとう最後、眼に涙が滲んでしまった。同じように、過去にタイの作品において、心の琴線に優しく触れられ、そして全身が震えるほどの思いで息も詰まったままに観終えたという経験が一度だけある。同じジャトゥララスミー監督の「ミッドナイト、マイ・ラブ」(05)をバンコクで観た時のこと、つまり、ジャトゥララスミー作品に初めて出会った時のことである。このことは後述する。
この「ミッドナイト」はその後に日本でも、第18回東京国際映画祭で紹介された。孤独なタクシー運転手と、彼が夜な夜な送り迎えをしている若い娼婦との、抒情が静かに満たされたロマンスである。「ミッドナイト」の中年運転手は、何を考えているのかわからないところもあって、Kwanと違って明らかな“自分探し”をしているとはいいにくい。タクシーを走らせて同じところをぐるぐる回っているだけである。けれども、両者の抱える疎外感は、どちらも素敵な女性との出会いによって、ちょっとずつ変異しようとする。それらが御伽噺的な展開であったとしても、ジャトゥララスミーのシナリオと演出はさりげなくも見事なのである。
映画「Handle Me with Care」は、腕が3本だから余計、2本だから不足なんてことが重要なのではなく、自分の腕で愛する人を抱きしめることが幸せなのだ、そういうことを確信させるラストである。音楽もすごく良い。Kwanの2本目の左腕は、本人がコンプレックスに思っているところもあって、服の中に隠されていることが多く、場面上目立つようには登場しない。怪奇目的の作品ではないのでデジタル処理した特殊撮影にはよらず、どうみてもすべて第三者の腕を使った撮影の角度によるトリックである。この作品が人肌のような温かさを保っているのは、そんなアナログの部分もあるからだろう。
この作品が、GTH社(GMM Tai Hub社:3社の合併により設立)によるものであることも、観る前から期待を高める理由のひとつとなった。GTH社は若者向けの良質な作品を送り出し、いまタイ映画界をリードしている強力な大手である。90年代初めの香港映画界で、ピーター・チャン、エリック・ツァンらが設立したUFO(電影人製作有限公司)が作り出すウェルメイドな作品群をカンパニーに対する絶対の信頼で観てきたが、筆者にとってはちょうどそんな感じだ。
さて、この拙文を打っているパソコンには、今から3年前にジャトゥララスミー監督と一緒に写った写真を保存している。撮影者は何とチャード・ソンスィー監督である。2005年にバンコクを訪問した際に、その夜シネコンで新作映画の試写があるということで、チャード監督に連れて行っていただいたのが、「ミッドナイト、マイ・ラブ」のプレミア(この上映プリントには英語字幕もあった)だったのである。劇場にはジャトゥララスミー監督も当然いらっしゃっていて、ロビーでチャード監督が、こちらが恐縮するくらい何枚もご自分のデジカメで記念撮影をしてくれたのだ。そしてそれらを詰め込んだCD-ROMを、滞在の思い出にとバンコクを発つ日にいただいた次第である…。
ジャトゥララスミー監督という素晴らしい才能に引き合わせてくれたのが名匠チャード監督で、その時にお会いしたのが生前最後だったということも、筆者にとっては何か運命的なものと感じてしまう。

○コンデイ・ジャトゥララスミー監督の主な作品歴
脚本「レター 僕を忘れないで」(04) 劇場公開
脚本・監督「ミッドナイト、マイ・ラブ」(05) 第18回東京国際映画祭で上映
共同脚本「トム・ヤム・クン!」(05) 劇場公開
脚本「ヌーヒン バンコクへ行く」(06) タイ式シネマ・パラダイスで上映
脚本「ミー・マイセルフ 私の彼の秘密」(07) タイ式シネマ・パラダイスで上映
脚本・監督「Handle Me with Care」(08)日本未公開(2008年8月現在)

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「Handle Me with Care」(左)と「ミッドナイト、マイ・ラブ」(右)

(2008年8月28日)

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わが故郷・北九州と阿部寛が登場するタイの格闘アクション「チョコレート」 [タイ]

「タイ式シネマ★パラダイス」に行って直後にDVDで観たのがタイ映画「チョコレート」(08)。「チョコレート」とはいっても、スイートな話ではない。「マッハ!」「トム・ヤム・クン」で知られるプラッチャヤー・ピンゲーオ監督が、トニー・ジャーに続いて新たに生み出したヒロイン(自閉症だが無敵というキャラクター)によるアクション映画だ。
「タイ式シネマ★パラダイス」では、タイからのゲストとして、大スターお二人、ポーラとアナンダとともに来日していた、映画「ミー・マイセルフ」を撮ったポンパット・ワチラバンジョン監督だが、二人を立てていたので来日時はそう目立っていなかった。だが「チョコレート」を観てビックリ。日本のヤクザ・阿部寛と対立するタイのマフィアの首領役がこのポンパット監督ではないか。舞台挨拶などでMCはポンパット監督のことをタイのベテラン男優でもあると紹介していたが、いま思えば阿部寛と共演したぐらいの説明をしてくれてもよかったのではないか。
しかし、阿部寛がこうも引っ張りだこの花形役者になるとは思いもしなかった。いまから14年も前、彼が単なる二枚目から実力派への転身を目指して主役をはった、つかこうへい作の舞台「熱海殺人事件・モンテカルロイリュージョン」をみたときには、誰がその後を予感したことだろう。幕後につたない演技ですみませんでしたみたいなことを言って、客席に頭を下げていたのが今でも印象に残っている。
モンテカルロ.jpg
阿部寛を含め近年、浅野忠信、光石研、蒼井そらと、日本の俳優を起用し始めたタイ映画界は、先に日本とコラボレーションを展開している香港、台湾、中国、韓国などと同様、将来的には、産業的な共同体のパートナーになっていく可能性を秘めているだろう(アヌチット・サパンポンに続いてアナンダ・エヴァリンハムやポーラ・テイラーが日本映画に進出することがそのためのステップかもしれない)。
さて、物語の主な登場人物は、こんな感じである…、阿部寛扮する日本のヤクザ・マサシと、ポンパット扮するマフィアの首領、そして(たぶん)その愛人。マサシはマフィアの愛人(たぶん)シンに手を出す。互いに惹かれ愛し合うが、やがてマサシは日本に追い払われる。しかしマサシと彼女との間には子供ができていて、時が経ち、やがてそのマサシの娘センが成長して闘うヒロインとなるのである。
物語はマサシとセンの母となる女性シンの出会いから始まる。映画の最初と最後のナレーションは、マサシの少年時代にまで及んでおり、彼の人生を通したドラマ語りとなっている(それも日本語)。出だしから、阿部寛の役柄が物語においてかなり中心的なものであることが判って(しかし中盤は出番がない)、と同時にヒロイン・センの運命的なストーリーが客観的に映し出されることになる。出だし部分こそ、日本語・英語・タイ語がクロスオーバーするので、ストーリー展開についていけそうな気がしたが、センが産まれてからはタイ語ばかり。なので以下の粗筋には、推している部分もある。
母シンがマサシから身を引いたのちにセンは生まれる。しかし、母ひとり子ひとりの生活をマフィアの首領は脅かす。センは小さなときから色とりどりのチョコレートの粒が好きだったようで、それがタイトルに起因しているのかも。そのセンは幼少時に、マフィアが母親の足の指を切り落とすという仕打ちを目の当たりにしたことから、精神の発達に影響が出たのか、自閉症のようになってしまっている。が一方では、彼女は生まれながらにして得意な身体能力を持ち合わせていた。テレビで流れるムエタイ映画やカンフー映画を観ることで、その動きや技をみるみる体得していくのである!
二十歳近くに成長した彼女は、長けた運動神経を生かし、幼なじみの青年と組んで大道芸で稼ぐようになるが、母が癌に侵されていて、かつらでごまかしてはいるものの、じつは抗がん剤の影響で頭の毛が抜けてしまっていることを知ってショックを受ける。そしてその治療費を稼ぐために、センは、体をはってマフィアの世界に潜入することに。
製氷工場で、倉庫で、食肉工場で、マフィアと絡んでの、惚れ惚れするような大立ち回りが繰り広げられる。そして終盤には、母娘で、ポンパット扮するマフィアの首領との闘いに向かっていく。その死闘には、日本から渡ってきた父親のマサシ(阿部寛)も加わり…。
アニメーションも盛り込んだ、アクションヒロイン・センの世界はキル・ビル的でもあり、ラストの建物の壁面を使っての、敵との落とし合いの場面はテレビゲームのよう。センは最初から圧倒的に強いというものではないが、闘いを重ねることで無敵になっていく。しかし映画では幼少時から自閉気質に描かれているのに特別に体を鍛える場面は何もなく、生まれながらの機敏さとテレビドラマを観ることで技術を覚えていき、突然ファイターとして開眼する展開はやや強引だが、アクション場面そのものはプラッチャヤー・ピンゲーオ監督らしくてまあ小気味いい。映画全体は「マッハ!」「トム・ヤム・クン」に比べると大掛かりなシーンも少なくて、かなり小粒ではあるが。
本編は90分足らずの長さなのに、エンドロールには、香港映画が元祖なのかしら、アクション映画にはお約束となった“NG集”、それも4,5分ぐらいのものがくっ付いている。しかしそれは、ヒロイン役の女優が撮影で怪我を重ねていく悲壮な場面ばかりで笑えるものではない。
さて、わが故郷・北九州は、マサシ(阿部寛)がセンの母親となる女性・シンと別れて戻った日本の街としてちょこっと登場する。関門大橋やモノレールをご存知であれば、観た方も気付かれるのでは? 最近では「ザ・マジックアワー」(三谷幸喜監督)でも北九州ロケされているが、それよりは気付きやすいと思う。
バンコクにあるこの「チョコレート」の製作のBaa Ram Ewe社を訪問した経験があるが、その時には、北九州ロケをしたスタッフたちにもお会いした。そして驚いたことは、会社内にアクションの練習ができるジムのようなスタジオがあったことだ。
(2008年6月21日)
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Baa Ram Ewe社
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映画上映イベント「タイ式シネマ★パラダイス」のまとめ [タイ]

期待して足を運んで観た映画に失望させられた場合のことについて。
繰り返しそのような目に遭ったからといって、人は、それを観た映画館に対して、もう△△△シネマになんか来るものか、などと思うだろうか。いや日常では、観た映画をつまらないと感じたからといって、金返せぐらいは思うかもしれないが、それを映画館側の責任として、金輪際そこには観に行かないとはならないだろう。
では、こんな質の低い映画ばかり輸入する△△△社の配給作品なんか、二度と観るものか、と考えるだろうか。いやそれもまずないだろう。
一般に、封切り映画は、観る個人の嗜好の差こそあれ、当たり外れはあるものである、ということを前提にして鑑賞されていると思うから。
しかし、これが「国際映画祭」という位置づけのものになるとそうはいかない。(新作の場合)映画祭は、それぞれの視点で、世界の優れた映画が“いち早く見出される”という形で紹介され、場合によってはそれらが賞をめぐって競うという構成になっている。だから、専門家にとってはもちろんのこと、世間一般からみても納得を得られないラインアップとなれば、権威のない映画祭、つまらない映画祭とみなされ、評判は下がって低迷する。主催の母体やプログラマーの交代などで質が変わり、浮き沈みをしている海外の映画祭をこれまでもいくつもみてきている。
で、5月31日にシネマート六本木で開幕した「タイ式シネマ★パラダイス」だが、筆者としては、これはあくまでもお祭りとして認識している。夏祭りのたこ焼きや焼きそばなどに最高級の味を望まないのと同様に、ここで披露されるタイ映画の新作に対しても、そういう気持ちで接した。誤解のないように繰り返すと、三ツ星シェフの味を期待しないということであって、庶民の味のおいしさがあればよろしい、ということ(「シチズン・ドッグ」「ヌーヒン、バンコクへ行く」の旧作やキング・ナレスワンシリーズは、過去に観ているがどれもいい作品だ)。
これが国際映画祭のプログラムだったら、あれも入れるべき、これは外すべきと意見したくもなるが、この場合は、配給会社が購入した映画をどう工夫して世間にみせるかという類のものなので、その部分での評価になろうかと思う。第一に、タイ映画祭とは名乗らずに、シネマ・パラダイスとしているところが、まず潔くて素晴らしい。
日本初公開となる「メモリー~君といた場所」(06)と「ミー・マイセルフ 私の彼の秘密」(07)は、どちらも記憶喪失を物語に取り込んだ恋愛ものである。来日した「メモリー」女優のポーラ・テイラーと「ミー・マイセルフ」男優のアナンダ・エヴァリンハムが、このイベントの華である。二人ともキャリアからいって国際的な大物スターであり、どちらも西洋人とのハーフ。見た目からいうと“タイ映画応援隊長”としてオープニングに参加した、お笑いコンビ・ペナルティのワッキー氏が一番、タイ人っぽく見えたのだが…。
「メモリー」は、スーパースターの男性歌手フィルム(本人が本人役で登場。韓流のピがピとして出るようなものか)が、北部山岳地帯で交通事故に遭って記憶を喪失。彼のスクープを狙って追いかけていた写真家ポーラ・テイラーと出会い、互いに惹かれあっていくというロマンティックな話だ。上映前にポーラとワッキー氏のトークが付いた。
ワッキー氏は前もってこの映画を観て予習していたらしく、記憶を失ったフィルムを助ける山岳民族たちのコミカルなやり取りに着目して、笑いのとり方が日本と同じと、芸人的視点のコメントをする。それに対してポーラは、(ワッキーが)歯を黒くして、前髪をもう少しカーブさせれば山岳民族の役ができるとアドバイス。あまり頭に引っ掛かってこないトークである。
この映画「メモリー」自体も、筆者としては買えない映画だ。主人公の二人に恋心が芽生える展開はどうも甘いし(安易)、上映前のトークで話題にあがったコミカルなところもやっぱり甘い。話が105分間、終わりに向かってただ流れていくだけである。上映後、階段を下りて帰っていく観客同士の会話が聞こえてきたが、それは“初めて観るけどタイの映画って何だか…”といった感じの、上から目線の感想だった。
もうひとつ、ポーラが舞台挨拶を務めたのが、「ダブルマックス」(という邦題で公開された「The Bodyguard」)の続編のアクション「アルティメット・エージェント(The Bodyguard 2)」(07)だ。筆者は前作が大好きなので、もっというとタイの北野武といわれるペットターイ・ウォンカムラオ(マム)のファンなので、前作のレベルを越えられなかった本作だが、許すのである。潜入捜査のために音楽プロダクションに入り込んだ秘密諜報員マムが、歌手としてデビューしブレイクしてしまう…という何とも馬鹿馬鹿しい話である。
で、ポーラは、この映画においては本人役でのカメオ出演である。実際にタイの音楽番組でVJをやっているそうで、人気歌手になったマムがポーラの番組に出身するという、まあ、特典のような場面である。
カメオ出演したにすぎない映画の舞台挨拶を、関係者代表として任されるわけなので、舞台上での話はVJに始まって、ポーラの経歴紹介へと続いていく。彼女はオーストラリアで生まれ育ったそうで、モデルとしての活動でタイも活動の中心となったそう。だからタイ語は得意でなく、ひとりだけのときは英語通訳が付いている。日本でも雑誌「CLASSY」のモデルをしているので、毎月来日しているという。特に昨年、広島を舞台にしたテレビドラマの撮影のときには1か月滞在し、その後もひとりで数ヶ月居残って、錦帯橋などの観光も楽しんだ親日家だ。好印象のスターだから、もっと日本でも露出して欲しいと思う。
「ミー・マイセルフ」は、個々のキャラクターもしっかりしていて、まあまあの出来だ。こちらは、記憶喪失の男とひとりのOLの間の恋の芽生えだ。きっかけは、彼女が男を車で轢いてしまったことから、男が記憶を失ってしまって同居する羽目になるということ。対照的に二人のキャラを描いているが、OL役のチャーヤナン・マノーマイサンティパープの生の姿もみたかったなあ。
…結局、筆者もスタンプラリーでグリーンカレーの素とタタ・ヤンのセカンドCDをいただいた。夏祭りのくじ引きであたりが出たようなものだ。で、「タイ式シネマ★パラダイス」のイベントとしての感想は、映画自体には当たりもはずれも予想通りにあったけれど、“参加してよかった”。翌週には、タイ米(3合で525円も!)を買って、タイ・ポップスを聴きながらカレーを食した。
(2008年6月12日)

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速報! タイ式シネマ★パラダイスのオープニング [タイ]

会期1カ月以上にわたるタイ映画のお祭イベント「タイ式シネマ★パラダイス」が、5月31日にシネマート六本木でついに開幕した。メインの新作などは8作品だが、特集上映やイベントもこれ以外にいろいろ企画されている。劇場入口にはトゥクトゥクの実物や上映作品のオリジナルポスターが飾られ、ホール前ではメインの作品にインスパイアされてプラープダー・ユンが描いたというドローイングも展示されている。ショップではタイフードや雑貨が売られ、隅の床に倒れこんでいる人がいる!と思ったら、何と出張版のタイ式マッサージ。スタンプラリーでは4作品でタイカレーと音楽CDがゲットできるという太っ腹だ。タイ大使館主催のオープニングパーティは、一般客も参加OKで、タイのビールなどが振舞われた。
本当にお祭り的な雰囲気のなか、オープニング上映は、日本初公開となる「ミー・マイセルフ私の彼の秘密」(07)。その上映後と、次の作品「メモリー~君といた場所」(06)(これも日本初公開)の上映前に、関係者による舞台挨拶が行われた。
まあとにかく一番目立っていたのは、“タイ映画応援隊長”的な立場で登場した、お笑いコンビ・ペナルティのワッキー氏だ。芸人になる15年前、タイ料理店で働いているときにマスターしたというタイ語を駆使して(リスニングはあまりできていないようだが、予習してきているのか、タイ語のコメントはよく出る)、ステージを盛り上げる。いや盛り上げるというよりも、立ち位置こそ端っこだが、場の中心になっていたような気がする。一般には知られていないタイの映画スターたちをうまく引き上げていくには、ワッキー氏の知名度も必要だっただろう。しかし、タイ語を喋れるという意外性が、最後まで観客の眼を引いてしまったようだ。ゲストは社交辞令的なコメントしか言わないし。
ステージはワッキー氏に加えてゲスト3名。ホラー映画「心霊写真」で知っているアナンダ・エヴァリンハムは、「ミー・マイセルフ」の主演男優として、今回が初来日だそうだ。ちょうどこの日が26歳の誕生日と告げ、客席からの拍手を浴びる。と、いきなり「あの人をラオスで見ました」と客席を指差すアナンダ。場内がエッ?という雰囲気。熱烈なファンです!と答えたその女性(日本人)は、そこで撮影ロケの見学をしたらしく、アナンダとのツーショット写真をステージに向かって見えるように振る。結構にフカイ観客もいるものだと思う。アナンダは、撮影での苦労話をMCから問われて答えているが、その内容はネタバレに繋がるので割愛する。
「ミー・マイセルフ」からはもうひとり、ポンパット・ワチラバンジョン監督。初監督作だそうだが、俳優、ミュージシャンとしてのキャリアもあると紹介される。14歳のアナンダと親子役で映画に出たというから、アナンダと監督とはそれ以来続く縁なのか。「今度があるならば、兄役だ」と語る。ポンパット監督は二度目の来日だそうだが、「自分が日本に来られたことよりも、自分の映画が日本に来たことのほうが嬉しい」と優等生的にコメントした。
映画監督を前にしての、ワッキー氏のアピールもあった。「自分はタイ語がしゃべれる唯一の日本のアクター、日本で映画・ドラマに出たことはないけど…。どうか自分を映画で使って欲しい。契約して!犬の役でもいいから!」というワッキー氏に対し、「ワッキーがタイに来たら、僕の仕事が少なくなります!」とアナンダが口を挟む。しかし、一番面白かったやりとりは、映画「ミー・マイセルフ」についてのコメントをMCから求められての、二人の反応だ。上映後に舞台に登場しておきながら「いつ上映されるのですか」と言うアナンダと、「まだ観ていません」というワッキー氏のとんちんかんな空気が最高だった。
タイ映画の魅力について尋ねられ、「豊かなタイの文化とタイ人の明るい性格が表れていること」ということでアナンダとポンパット監督の意見は一致。「韓流に続いて、タイ式ブームが来て欲しい」というワッキー氏の締めは、会場に集まった人々共通の思いだったと思うが…。
(2008年6月1日)

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タイ式ラブロマンス「Bangkok Love Story」は、案外とロマンチック [タイ]

先日、シネマート六本木で“タイ式シネマパラダイス2008”のチラシを手に取り、実感した、ついにタイ映画祭が民間主導で開催されるのだ!ということを。過去に公的機関である国際交流基金によって開催されたことはあったけれども、今回はまさに娯楽志向の映画祭だ。前にこのホームページで取り上げた「キング・ナレスワン」の第1部・第2部や、「ヌーヒン」もラインアップに入っているので、内容も期待大。いま同じシネマート六本木で行われている恒例の韓流シネマ・フェスティバルが、とても“お寒い”客の入りのようで(たまたま筆者が覗いた回だけだったのかしら)、タイ映画がどれほど世間で健闘するのかがたいへん心配なところだが、5月31日の開幕に向けて、タイからのゲスト招聘や資料たりうるカタログの製作などを切望したい(同所で今月開催された、アンディ・ラウ製作のアジア6作品の映画祭「アジア新星流」には、残念なことに図録のたぐいがなかったので)。
さて今日は、DVDで観たタイ映画「Bangkok Love Story」のことを書きたい。“街の名前+ラブストーリー” というタイトルは柴門ふみしかりよく使われるが、さすがにタイでは、通常のロマンスとはいかない。今回の場合は、男性同士の愛のドラマだ。
昨夏にレズ&ゲイ作品をそろえた「アジアン・クイア・フィルム&ビデオ・フェスティバル(AQFF)」の上映作品をひととおり観て、タイのその系統の作品のレベルの高さを感じたが、同時にタイ語って他のどの言語よりも、オカマ言葉に馴染むなあと思ったものだ(タイ語を話す皆さん、ごめんなさい!!)。まあしかし、この「Bangkok Love Story」の男たちは、一見硬派なイケメンたちである。それだけに、主人公ふたりの己の欲望を我慢しないラブシーンはいさぎよくて堂々としているし、こちらも両眼でしっかり受け止めたくなるシロモノである。そう「ブロークバック・マウンテン」のように。
例によって、タイ語のセリフを理解できていない(どちらかというと寡黙な男たちなのでセリフは多くはない)という立場を承知のうえで、ストーリーをなぞってみる。人物名は聞こえたとおりにということで…。
殺し屋ミンは、組織の命令で、恋人(妻?)とデート中の男イットを拉致する。しかしミンは逆に親分から命を狙われ、銃撃戦の末にミンとイットは脱出。そしてイットは、ミンの住処であるビルの屋上の部屋で、怪我を負ったミンの介抱をすることになる。そこで、二人の肌と肌は自然と重なり合ってしまう…。いったんはイットを追い出すミンだが、その後もイットのことが忘れられない。かつての女性サイのもとに戻ったイットの方も、それは同じ気持ちだった。男二人の関係はやがて確かなものとなり、そのことを知ったサイはイットのもとを離れ、ミンの母親は自殺を図る。けれども、ミンたちが身を置く裏の社会は、人間としての幸福を決して認めてくれなかった。それは、歳月を経ても同じで、二人に幸せが訪れることはなかった…。
タイ映画で、コミカルなオカマちゃんが出てくるものは多々あるが、男同士の性愛の芽生えとそれが辿る道筋を、クライム・アクションの世界の中でロマンチックに描いたものとしては珍しいし、観て損はないと思う。それほど過激な映像表現もないし、色彩のトーンが微妙に普通でない感じがいい。
監督はPoj Arnon。ゲイを演じる主役の二人はRattaballung Toesawat とChaiwat Tongsang。
(2008年3月27日)

※7月11日に開幕する第17回 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて上映されることが同映画祭HPで発表された(2008年6月1日)

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エス監督の最新作「The Bedside Detective」をやっと観ました [タイ]

タイ映画の新時代を切り開いた「フェーンチャン ぼくの恋人(My Girl)」(03)の6人の共同監督のなかの出世頭、コムグリット・ドゥリーウィモン監督(通称:エス)の「親友(Dear Dakanda)」(05)「ヌーヒン(Noo-Hin, The Movie)」(06)に続く通算4目の「The Bedside Detective」が完成し、昨秋の劇場公開を経てDVDリリースされ、やっと観ることができた。
エス監督のこれまでの作品をエンジョイしてきた筆者としては、観終えて、ちょっと肩透かしを食らった感じで、まずはガッカリのひと言。もちろんエス監督に縁のある出演者ばかりでマニアックな楽しみ方は充分あるとしても、少しばかりの小細工だけで特別な深みもなく平板で単調なストーリー(タイ語のセリフも分からないくせによく言う!)。前作「ヌーヒン」はエス監督の無邪気な側面が発揮された、切れのよいコメディだっただけに、この「The Bedside Detective」はロマンチック・コメディと呼ぶには完成度が低いと言わざるを得ない。とは言え、エス監督のファンである筆者としては、マニアとしてみた部分をまとめたい。
主人公は「親友」に続いて主演のサニー・スワンメータノン。エス作品ではお馴染みとなった彼が扮するのは、へんてこな物の発明をやっている傍らで、不倫相手の調査をしている私立探偵だ。その彼が、ある婦人の依頼を受けて夫の浮気調査をしていくうちに、浮気相手の美しい愛人に恋をしてしまう…という展開である。しかしその美女には、他にも愛人関係を結んでいる男がいて、そちら側の調査を請け負っている別の探偵が隠し撮りした記録映像をめぐっての騒動へと流れていく。浮気とは言っても、イヤラシイところはまったくなく、明るくてポップなタッチである。
ヒロインとなる愛人役の女優はPatarasaya Krousuwansiri(エンドロールより書き取り)。いわゆる愛人らしくなくて可愛らしい感じの美形であるが、新人なのだろうか、演技がイマイチで素人くさい。
そしてサニー扮する探偵の助手として活躍(?)するのが、やはりお馴染みの顔ぶれ。丸ぽちゃ体型で一度見たら忘れられない「フェーンチャン」のチャルームポン・ティカマポーンティラウォンと、「親友」で先輩看護婦、「早春譜(Seasons Change)」(06:フェーンチャン監督のひとりニティワット・タラートーン監督作品)で音楽教師といずれもアクの強い存在感を出してきた個性派女優のパニサラー・ピムプルーだ(しかし二人とも充分には生かされていないようだ)。
さらに、借金の取立三人組のボス格として結構出番の多いのが「フェーンチャン」の監督仲間、アディゾーン・ドゥリーシリカセーム監督(と思う。昨年バンコクでお会いした顔だったから)。
さらにさらに。ほんの一瞬のカメオ出演だが、「親友」のWヒロイン、シラパン・ワッタナージンダーとマニーラット・カムウワンの二人がチラリと顔を見せてくれる。
とビジュアル的には有名どころばかりで大変豪華。知った顔ばかりで観ていて楽しく思うのだけれど、けれども…うーん、やっぱり何かもの足りない。サニー探偵の珍発明の品々(涙が溢れ出るメガネや、読書中にマグカップを持ってくれる義手などなど)のレベルでクスリと笑わせるのではなく、もっとでっかい映画の骨格の部分で、エス監督にはアッと言わせていただきたい。
(2008年2月5日)


「The Bedside Detective」のDVDパッケージデザイン


こちらは前作「ヌーヒン」のOSTパッケージ


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タイの幽霊物語「Alone」は、結合双生児の哀しい運命を描いている [タイ]

劇場での鑑賞記録は手帳につけていて、日本で公開されたタイのホラー「心霊写真」(04)のことも当時少しメモしている。2006年6月19日にユナイテッドシネマ・キャナルシティ13で観て、平日夜の回で、観客は筆者を入れて3名と内容以外のことを記している。ちなみにホラーということでは、同じシネコンでは2007年6月22日にシンガポールのホラー「メイド~冥土」(05)も観て、やはり観客5名と書いている。どちらもホラームービーとしては、ノレない状況だったようだ。
「心霊写真」はタイで年間興行収入ナンバーワンのヒット作という意識で観たが、予想以上にストーリー性がしっかりしている印象があった。劇中で使われている心霊写真はすべて専門家が鑑定した本物だという売り文句を見て、その真偽は別として、信じやすい筆者としては、恐怖場面には何も感じないくせに、画面に登場する写真そのものにはちょっとゾッとしたものだ。
その「心霊写真」を共同監督したバンジョン・ピサンタナクーンとパークプム・ウォンプムの二人組による第二作が「Alone」(07)である。ちょうど一年前の今頃、バンコクを訪れたときに何度か予告編として観ていたもので、このたび、すでに劇場公開も終わりDVD化されたものを観た。
“結合双生児”を描いた作品である。結合双生児とは、ベトちゃんドクちゃんのケースでご存知のとおり、体の一部が結合している双生児のことである。結合双生児といえば、何年か前にイランの姉妹が切離しの手術に失敗してふたりとも手術中に死亡したというニュースが報道されたことを記憶している。体の一部が繋がった双子は俗に“シャム双生児”とも呼ばれているが、これを機会に調べてみたところ、奇形の見世物として米国を旅したタイ出身の腹部結合の兄弟に由来しているそうだ。でも、もしも日本の配給会社がこの映画を買ったとしても、シャム双生児を絡めた邦題にはして欲しくないなあ。内容はこの後に触れるが、「Alone」という英語題はいいと思う(原題の意味はわからないが)。
さて、バンコクで観た予告編はじわじわと戦慄感を引き出すものだったが、本編を観終わってまずひと言。これはホラーというより、幽霊をモチーフにした哀しいドラマといった方が正確だと思う。あらすじを書きたいがバレてはいけないネタに触れそうなので、これから先は、今後この映画を観るご予定のある方はご遠慮下さい。ただし、タイ語(一部は韓国語)のセリフだけで筆者は観ていますので、誤認があるかもしれません。
韓国で生活しているウイーは、妻の母が重病であるとの知らせを受け、妻とふたりで故郷のタイに戻る。育った実家に戻った妻は、彼女の亡くなった双子の姉の霊の出現により、忘れようとしていた記憶を脳裏に蘇らせる…。彼女たち、ふたりの姉妹ピンとプロイは、互いの腹部が繋がったままこの世に生まれてきた結合双生児だったのである。母の手縫いの二着くっついた服を着て、朝も昼も夜も、ふたりは肩を並べて支えあい、助け合ってきた。しかし思春期を迎え、ピンはいつもプロイと一緒にいることに息詰まりを感じるようになってきた。のちに結婚することになる少年ウイーと出会い、互いに惹かれ合い始めたのだ。一方でプロイは嫉妬する、見た目は同じ顔の双子なのに…。繋がったままの体では彼と自由に恋愛ができない、そう考えたピンは、分離手術に望むのだった。
…しかし手術は成功しなかった。片方は成長して幸せな結婚を迎えるが、もう一方は幽霊となって、肉体こそ切り離されてもつきまとうことになる。ピンとプロイ、ふたりはいつも一緒、永遠に引き裂くことのできない存在なのか…。
遊園地の幽霊屋敷のようにショックを連発させることを主たる目的とした作品ではない。結合双生児を何だか気味の悪い存在として描くのではなく、現実に生存率も低くて不幸かつ不自由な運命を抱えたものとして捉えていて、前作同様にドラマ性が高い。観る者は、物語上の衝撃的展開に何よりもショックを受けることになるだろう。
全体的に題材をよく消化した企画だと思う。一番最初のシーン、バースディパーティーで丸いケーキをナイフでふたつにカットするところから、筆者は思わずニヤリとしてしまい、物語に引き込まれてしまった。ロールシャッハ・テストにでてくる左右対称のシミのようなタイトルもおもしろい。
なお冒頭で述べた、このバンジョン・ピサンタナクーン監督とパークプム・ウォンプム監督の共同監督作第一弾「心霊写真」が1月26日(土)の深夜3:00(27日の午前3:00のこと)、WOWOWに初登場、オンエアされる。アジア各地でも劇場公開され、確かハリウッドでリメイクされるという話もあった話題作だ。
(2008年1月25日)


DVDパッケージの外箱と中箱のデザイン。シンプルだが、よく考えられている


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甘いタイ・ポップスがタイムスリップ、“ベリー・タイ”な泰式映画「The Possible」 [タイ]

以前に「フェーンチャン~僕の恋人」の6人の監督のことを書いたが、そのときに観損ねてしまっていて残念と述べた、ウィッタヤー・トーンユーユン監督の単独デビュー作「The Possible」(06)のDVDを、タイ映画ライターのM.Sさんに送っていただきました。ありがとうございました。
ということで、早速観た「The Possible」について書きたいが、まずお断りしたいのが、英語字幕が入っていないので、チンプンカンプンのタイ語を聞きながら観てとったストーリーラインはもちろん完璧ではない、ひょっとしたら少し間違っているかもしれない。しかし、おおまかな予備知識だけでも充分に楽しめた。
たとえば海外のポップミュージックの場合、歌詞の内容なんてよくわからなくてもその曲を好きになってしまうことは度々ある。言葉は理解できなくてもメロディやリズムに惹かれて好きになれば…、じゃあ映画だって言葉はわからなくたって…。映画「The Possible」も、そのような愛され方をしてほしい作品だ、そう、ポップスのように。じっさい、耳に残って離れない甘い声とキャッチーなメロディがふんだんに登場し、わかりやすくて人情あるコメディだ。物語はこんな感じだろうか。
70年代、人気絶頂を極めたPossible というグループ名の8人組ポップスバンド。ライブにはいつも多くの熱狂的ファンが押し寄せ、メンバーたちは皆スター気取りである。数多くのプレゼントがファンから届くが、そのなかにHIT TESTERと書かれた不思議なマイクを見つける。ある日のコンサート、客席がクライマックスに達したところで、ボーカルのToiがそのマイクを使ったところ、何と5人のメンバーたちはブラス・チームの3人を残して、閃光とともにステージから消えてしまった!
彼らはどこへ消えてしまったのか? 5人の目の前に現われたのは場末のポルノ劇場になってしまったかつてのコンサートホール。そして街には初めて見るBTSが走っている。そう、現代のバンコクにタイムスリップしてしまったのだ。古い紙幣しか持たないため無銭飲食で警察に捕まってしまった彼らを助けてくれたのは、少年時代からPossibleのファンだったという一人の中年の男。彼は、Toiたちがかつて忽然と消えてしまった伝説のバンドであることにビックリ。そしてPossible が元の時代に戻れるように協力を申し出る。しかし再びタイムスリップするためには、このマイクを使って客のボルテージを最高にし、不思議なエネルギーを引き起こすことが必要。けれども彼らの70年代の曲は、現代ではまったく受けない。さらにはトロンボーンやサックスのメンバーを昔に置いてきたままでは、満足な演奏もできない。まずToiたちは30数年たった今、どこかに生き残っているだろうブラス・チームの3人のメンバーを捜すことに。しかし今や出家して僧侶になっていたり、娘を残して亡くなっていたり…。悪戦苦闘を続ける彼らは、果たして無事に元の時代に戻れるのか。
タイ音楽界のアーティストたちが役者として起用され、豪華な夢の顔合わせで架空のユニットPossibleを演じている(「フェーンチャン」の子役だった俳優も顔を見せている)。またタイムスリップした現代の場面ではImpossibles(Possobleが消えてしまった後にトップにのぼり詰めたライバルグループという設定)という昔のバンドも登場するが、これは実在のバンドのようだ。ちなみにこの映画のサントラ盤は劇中の架空バンドPossibleが出したアルバムという設定で発売されているのを、バンコク訪問時に見かけた。
しかししかし、この作品に心くすぐられるのは何も音楽ファンだけではないだろう。音楽の良さはもちろんのこと、ふたつの時代を結びつけるために仕掛けられた小道具や人間関係なども、タイムスリップもの大好きの方はたまらないだろう。とにかく“Very Thai”な魅力にあふれている泰式映画だ。
(2007年9月13日)

DVDも、70年代レコード風のポップなデザインだ


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山岳少数民族の少女に泣かされた。タイの感動ドラマ「Mheejou」 [タイ]

今年の2月2日バンコクを訪れたときに、まだポストプロダクション段階のものをみせていただいていた。その直後は見たことじたいを口外しないようにしてきたが、そろそろこの感動作「Mheejou」について書こうと思う。
タイ発アクション映画として世界を席巻した「マッハ!」「トム・ヤム・クン!」のプラッチャヤー・ピンゲーオ監督の右腕として活躍してきた女性プロデューサー、スカンヤー・ウォンサターバット(愛称Pukyさん)が、この「Mheejou」の監督だ。アクション映画のプロデューサーであることと髪を短く刈り込んだ彼女のボーイッシュなルックスから、試写を観終わるまでは、こんなにも感動的な作品を作り上げていたとは想像もつかなかった。
タイ北部の山岳少数民族・アカ族の村に、NGOボランティアが中心となってタイ初のコミュニティテレビ局“Bannok TV”が開局された。Pukyさんは当時、このテレビ局を取り上げた新聞記事に感動して脚本を執筆したという。きっかけとなった当時の記事を手に熱く説明してくれたPuky監督。映画化に着手してもう4年もかかっている。プロの俳優も殆ど起用していないし、撮影地は山岳地帯だし、ヒット作をプロデュースする裏側でこつこつと製作してきたのだろう。試写を観た限り、完成はもうすぐだ。彼女にとって監督デビュー作、そして彼女はタイで4人目の商業映画の女性監督となる。
タイトルは企画段階の「Bannok TV」(田舎のテレビ局)から、最終的に主人公のアカ族の少女の名前に変更となった。テレビ局じたいは実在するが、映画はドキュメンタリーではなくて劇映画だ。それでは最後に簡単なあらすじを。
タイ北部の山岳地帯、12歳の少女Mheejouの住むアカ族の村に、NGOグループがコミュニティテレビを開局することになった。しかしカメラを向けられても、テレビに慣れていない村人たちは照れてばかりでなかなか喋れない。けれども何とか、村の広場に建ちあがった放送局から午後7時、記念すべき第一回の放送が始まった。村の出来事や話題が番組となって流れる。ご近所の知った顔ばかりが登場する画面に、村はお年寄りから子どもまで皆大喜び。一方、番組に出たいMheejouは念願の収録に立ち会うことになるが、カメラにわざと映り込んでピースサインを出したりと悪さを重ね、スタッフたちを困らせて叱られてしまう…。
元気すぎて失敗ばかり重ねてしまう一人の少女を軸に、コミュニティテレビ局が開局して軌道に乗るまでの、てんやわんやの騒動を明るく楽しく描いた傑作ドラマだ。
かつてアジアフォーカス・福岡映画祭で紹介された少数民族を描いた映画2作品が、今年相次いで劇場公開される。ベトナムの「モン族の少女 パオの物語」と中国の「雲南の少女 ルオマの初恋」だ。本作もその系譜にのるだろう1本だ。
(2007年6月15日)

Puky監督が見せてくれた、映画化のきっかけとなった新聞記事のコピー


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「フェーンチャン~僕の恋人」の6人の監督について [タイ]

台湾ニューシネマは中央電影公司が製作した陶徳辰、楊徳昌、柯一正、張毅の4人の監督によるオムニバス「光陰的故事」(82)、侯孝賢、曽壮祥、萬仁によるオムニバス「坊やの人形」(83)で幕を開けた。インドネシアにおいてもリリ・リザら4人の新鋭監督が撮ったオムニバス「Kuldesak」(98)がニューウエーブを起こしたといわれている。
では、タイにおいて。背景も成り立ちもこれらとは異なるが、GTH社が製作し、2003年10月に公開され大ヒットした初恋物語「フェーンチャン ぼくの恋人」が、タイ映画の新時代を切り開いたといえるのではないだろうか。これは国立チュラロンコーン大学で同級生だった30歳前後の監督6人による共同監督作品である(オムニバスではない)。彼らはその後それぞれ単独監督作を発表し、いまやタイ映画界のキーパーソンとなりつつある。彼らのうち3人の監督とは面識があり、4人の作品はすべて観ているので、今回のバンコク訪問の記録も兼ねて順にまとめたいと思う。
まずは出世頭と思われるコムグリット・ドゥリーウィモン監督(通称:エス)。日本ではすでに福岡、東京の映画祭で監督長編第一作「親友」(05)第二作「ヌーヒン」(06)が紹介され、いま最新作(エロチックな探偵コメディと言っていたが…)を撮影中だ。2006年のバンコク国際映画祭で初めてラブストーリー「親友」を観て、その繊細な感性にノックダウンさせられた。そして上映後すぐにエス監督をつかまえて絶賛し、日本で紹介したいとまくしたてたことを記憶している(劇中に使われているサンテグジュペリ「星の王子様」の版権の関係でそれは簡単ではなかったが)。続く「ヌーヒン」は一転して愉快なコメディだったが、エス監督の無邪気な側面が現われた、これも愛すべき作品だった。
コメディといえば、アディゾーン・ドゥリーシリカセーム監督(通称:ピン)の単独デビュー作「Lucky Loser」(06)は、紆余曲折があった作品だ。タイから招かれて、アーウィ国(架空の国)のサッカーチームに就任した主人公。彼の特訓で、ワールドカップ優勝を目指して宿敵タイチームと対決するというストーリーで、けっこう馬鹿馬鹿しいネタも盛り込んだ楽しいコメディである。これは本来、2006年ワールドカップの開幕にあわせて製作されたものだった。しかしもともとはタイとラオスの確執を描いていた映画で、公開直前にラオス大使館から抗議が入り、架空の国と設定を替えて何とか上映にこぎつけたとのこと。ピン監督によると、国の設定はすべてCGで差し替えたということだが、すでにワールドカップも終わってからの公開は、時機を逸していて興行としては残念だったと思う。
ピン監督とはGTH社で会い、そこでエス監督とも再会したが、二人はこの後2月17日から始まる第17回にいがた国際映画祭に招待されているとのこと。初めて見ることになるだろう“雪”を楽しみにしている様子だった。
(「Lucky Looser」のマウスパッド)
GTH社ではこのとき、「Lucky Looser」とともに「Seasons Change」も観せていただいた。監督はニティワット・タラートーン(通称:トン)。初めてお会いしたトン監督の印象は、エスやピンとは違って物静かで大人しそうな感じ。彼の初単独作品「Seasons Change」(06)はそんな彼の人柄が見え隠れしているのではないだろうか。これはエス監督の「親友」のように3人の恋の三角関係を描いたものだが、登場人物がティーンエージャーである分、高校生らしい明るいロマンチックさがふんだんにある。ロックが好きでドラムが得意なPomは、両親には嘘をついて高校の音楽科に進学。そしてある女生徒に近づくために興味のなかったオーケストラ部に入部、そこで同じシンバル担当の女生徒とも親しくなって…3人の関係は季節とともに変化していく。日本でも「神童」という美少女のクラシックものが公開されるが、いまクラシックがブームかしら。「親友」「ヌーヒン」同様、この「Seasons Change」のサントラCDも愛聴盤となりそうだ。
音楽といえば、もう一人ウィッタヤー・トーンユーユン監督の単独デビュー作は「The Possible」(06)。今回の訪問直前にバンコクでの劇場上映が終了していて、残念ながら観る機会に恵まれなかったが、聞くかぎり、わくわくしてしまうストーリーだ。70年代の人気バンドPossibleがタイムマシンに乗って現代にタイムスリップするという内容で、Joey Boyをはじめタイの人気ミュージシャンたちが主演を果たしているそうだ。ただし、楽曲の版権問題があって、タイ国外での上映は一筋縄ではいかないらしい。ちょっと残念。ちなみにこの作品のサントラCDは、劇中のバンドが出したという形になっている。
ソンヨット・スックマークアナン監督(通称:ヨン)のデビュー作「Dorm」(06)は、昨年のプサン国際映画祭で上映されていたし、まもなく開幕する第57回ベルリン国際映画祭にも出品される(注:児童映画部門で最優秀作品賞を受賞した)など、ひと足早く国際舞台に登場している。小学校の寄宿舎に入れられた少年がそこで奇妙な出来事を体験するというもので、パッケージとしてはホラー映画であるが観る者を絶叫させるような狙いは見当たらず、むしろ少年の心理描写と映像美学を通じて、スピリチュアルな世界を構築しようという向きがある。主演は「フェーンチャン」の男の子役から成長を遂げたチャーリー・タライアット君、謎めいた先生役を大女優チンタラー・スカパットが演じる。
そして最後になるが、タイ映画通のM.Sさんによると6人目ウイッチャヤー・ゴージウ監督は、技術スタッフとして多くの作品制作に参加しているもののいまのところ監督作は手掛けていないそうだ。
2005年のタイ国内の映画賞レースではエス監督の「親友」が躍進し、2006年の映画賞各賞では、トン監督の「Seasons Change」とヨン監督の「Dorm」が主要な部門で分け合っている。それぞれの作品には監督同士のカメオ出演があったり、共通の俳優を起用したり、互いの映画をネタにしたりと、マニアにとっては裏の見どころもあって、今後もその動向を、注視していくべき監督たちである。
(2007年2月3日)


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タイの大学入試受験生の365日を追ったドキュメンタリー「Final Score」 [タイ]

先日、映画製作会社GTH社を訪問した際、受付まわりには2月1日から劇場で封切られる「Final Score」の装飾が施されていた。同社国際部長のNingさん(女性)によると、大学入試を控えた4人の高校生に脚本なしで1年間密着して、HDで延べ300時間以上撮影したドキュメンタリーなのだという。ホラーやアクションが主流のタイでドキュメンタリーが劇場公開されることはたいへん珍しいのではないかと思う。早速翌日、タイ映画通のM.Sさんと映画館に足を運んだ(「King Naresuan」同様に)。
平日だからか、シネコンの客席はまばらだが、後ろに座っている若者たちのリアクションはやたらよい。受験がテーマだと、当事者たちには“ある!ある!”的な部分が見られるのかしら。
総じて、タイでの受験競争も熾烈であることが観て取れた。いい大学に入ることがその後の人生を左右するというのは、どこも同じだ。ではどうしてだろう、そんなに大切な受験前1年間にわたっての撮影を、出演している4人の男子生徒とその家族はよくも許可したものだ。そんなことを思いながら観ると、悲壮感はなくて、彼らからは何だかユーモアや明るさが感じられる。病気になったり、コンピュータでの採点にトラブルがあったりというのは、何の筋書きもないというのに、本当に神様は、人生というドラマを盛り上げてくれるものだ。学園ラブストーリーも青春だが、これこそ等身大の青春ドキュメンタリーなのだ。
スケジュールの関係で、翌朝バンコクからドーハ経由でテヘランに入り、第25回ファジル国際映画祭に参加。そこでバンコク映画祭(バンコク国際映画祭とは別)のディレクター、Brian Bennett氏に会ってこの作品のことで意見が合う。そして日本に帰国後、彼の紹介で「Final Score」のSoraya Nakasuwan監督からE-メールが届いた!
(2007年2月2日/バンコク・World Cinema劇場)

チラシはマークシート用紙のデザイン


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タイの歴史超大作「King Naresuan」は三部作だった! [タイ]

突然、それも開催1か月ぐらい前になって、バンコク国際映画祭の開催が1月から7月に延期された。理由はプリンス・チャトリの最新作の封切に重なるためということだった。映画祭は市内のシネコンを会場とするが、この時期ほとんどのシネコンがプリンス・チャトリの新作を上映するために、映画祭に貸せなくなったというのだ。
さすが国策映画(製作費は全額国が出資しているという)だ。映画祭が行われるはずだった時期にバンコクを訪れたのだが、確かに独占状態で、どの映画館も「King Naresuan」を上映中だ。劇場売店はもちろんのこと、街のセブンイレブンでも関連グッズを販売している。劇場の入るショッピングモールには、吹き抜けなどにセットを模した大きな造り物が飾られている。タイでは劇場公開作に英語字幕が付いている場合が多いので(「King Naresuan」もそう)、ためらいなく劇場で鑑賞した。話は脱線するが、タイでは劇場公開時によく英語字幕が付いていることについて、数年前に知人であるタイの脚本家に訊いたことがあるが、駅や道路の表示だってタイ語と英語で書いてるでしょと答えられたものだ。
で、この超大作だが、16世紀後半にビルマからアユタヤ王朝を守った英雄ナレスワン大王の半生を描いたもので、この日観たのは3時間近い力作だったが、これは壮大なプロローグに過ぎなかった…。いま上映されているのは第一部で、ナレスワン大王の幼少期の物語。やっと大人になるというところでこの第一部は終わり、そして最後に第二部へ向けての予告編的なものがくっついている。第二部はこの春の封切で、成長したナレスワン大王が様々な戦争に勝利していくことになるようだ。続く第三部は冬を予定しているということ。バンコクで情報誌「ダコ」を編集発行している福士さんによると、記者会見に行ったが資料にはどこにも三部作とは書いてなかった!という。
感想をひとこと、本当にたっぷりと楽しめる重厚な大河ドラマだ。さっそくメーキングDVDを売店で買い、はやく第二部を観たいという気持ちで映画館を後にした。制作費が対映画史上最高の約15億円というから、続きも期待していいと思う。日本人でさえ気持ちがこんなに高揚するのだから、タイ国民は如何や。ロケ地はそのままテーマパークになるらしい。国際映画祭の開催時期をすっ飛ばすぐらい当たり前、何とスケールの大きい映画だ。
監督は、プリンス・チャトリと書いたが、正式には王族出身の巨匠チャトリーチャルーム・ユコン殿下。
(2007年2月1日/バンコク・Emporium劇場)

「King Naresuan」のグッズいろいろ


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ホラー映画「The Unseeable」に愛しのシラパン・ワッタナージンダー再登場 [タイ]

俊英コムグリット・ドゥリーウィモン監督のラブストーリー「親友」(05)のWヒロインのひとり、シラパン・ワッタナージンダーの映画出演2作目は時代物のホラー映画。「親友」ではもうひとりのヒロイン、マニーラット・カムウワンとともに、上映のためにアジアフォーカス・福岡映画祭2006で来福。日本の男性観客を虜にして、“どっちが好みか”という論争もあったとか。
新人女優シラパンはデビュー作の“等身大の役柄”を卒業して、今回は難しい役どころに挑戦している。時は1940年代、彼女演じるNuan Janは行方不明の夫を捜してバンコクにたどり着く。そして妖しげな未亡人のお屋敷で間借りすることに。その謎の未亡人は幽霊と同居していると噂されていて、Nuan Janは不思議な現象を体験していくことに…。
「怪盗ブラックタイガー」「シチズン・ドッグ」で名をあげたウィシット・サーサナティアン監督の最新作で、監督独特の美的感覚が漂う作品である。クラシカルなコスチュームは、シラパンを視覚的にはたいへん魅力的に映し出す。しかしこの新作で彼女は、カワイイけれども残念ながら演技力不足を露呈している。妊娠しているという設定だが、妊婦に見えないのは…おっと、結末に結びつくので、これ以上はやめよう。とにかく脚本はよく構成されている。だが逆に言うと、謎解きの要素が多くて、観ていてかなり頭脳を使う。知的満足度はけっこう高いが、後半は頭ばかり働かせてしまって、怖がる暇のないホラー映画なのだ。
(2007年1月31日)


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