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いつもそばには本と映画があった~映画の中の日本文学(特別企画展) [映画イベント]

今日では、小説のみならずコミックのベストセラーもが、日本映画の重要な原作供給源になっているが(オリジナル脚本の映画はかなり少ない感じがする…)、1930年代後半あたりからの文芸映画ブームがその源流であることを再確認させてくれる特別企画展「映画の中の日本文学~昭和編」の会期が6月19日までなので、その前日になって慌てて北九州市立文学館へ向かった。最初に感想を述べると、東京国立近代美術フィルムセンターなどの協力も得て、いい内容の展示になっていた。
先日の朝日新聞に、同じく山梨県立文学館で開催されている「文芸映画の楽しみ」という展示の紹介記事が載っていたけれども、さて内容は同様のものだったのだろうか?
北九州のそれは、昭和編として、日本映画黄金時代である昭和30年代までと区切っているので、郷土が誇る松本清張ものはカバーされていない。もっとも清張作品は生誕100年の2009年に映画化作品が上映会という形で相当振り返られたので、まあ、いいだろう。
今回は例えば、川端康成、谷崎潤一郎などといった文学作品の映画化について、当時のスチール写真やポスター、シナリオや原作本、自筆原稿などが展示され、時代順に、映画と原作の係わりを紹介する企画となっている。川端作品や谷崎作品も、石坂洋次郎にしても、いま顧みると、原作もその映画化のどちらも古典として評価が定まっているものだが、製作当時は、この時代にベストセラーの「告白」や「悪人」がプロデューサーの目にとまって映画化されるように、話題と興行の成功を狙っての企画だったことがわかる。
第一部の「昭和の幕開け」では、昭和初期の文芸映画ブームに焦点を当てている。五所平之助監督の「伊豆の踊子」(1933)が、文芸ものの先駆けといわれている。なかにはわざわざ“文芸映画”と入れた当時のポスターも!
第二部「戦争は終わった」、第三部「もはや戦後ではない」のパートで、純文学のみならず中間小説や大衆小説が、原作として持て囃されていく流れが語られる。戦後に移り、新聞や週刊誌の連載小説など活字メディアの活況も背景となり、1951年の獅子文六の「自由学校」にいたっては、映画化権の争奪の果て、日活と大映それぞれが製作し、競作となったそうだ。日本映画の黄金期ともなると、あれも!これも!といった感じで食指を伸ばし、当時の、興行界が持つ食欲というか、“映画化力”のパワフルさを垣間見た感じだ。
最後の第四部「北九州の文学と映画」で林芙美子、火野葦平、森鴎外を取り上げて展示は終わるが、この手の企画がもしも平成編として続くのであれば、きっとコミックが主軸になっていくのだろうなあと思った。そうなるとそれはここの文学館の守備範囲ではなくなるが、北九州では、来年、旧ラフォーレ小倉のなかに「漫画ミュージアム」がオープンするそうなので、そちらで引き継いで、コミック編をやってほしいものである。
映画上映じたいもいくつも企画されても良さそうだったが、6月18日に小倉井筒屋パステルホールで壺井栄原作、木下恵介監督の「二十四の瞳」(1954)が上映されたのみ。わたくしじしん、高峰秀子版をスクリーンで観た経験がないので、デジタル・リマスター版でもあるので、併せて足を運んだ(パステルホールでは、4年前に三船俊郎・高峰秀子版の岩下俊作原作「無法松の一生」(1958)を観て以来だ)。
ちょっと大袈裟になるが、わたくしが最年少ではないかと思えるような客層、すなわちお年寄りばかりであった。そして上映中は何の遠慮もなく、びっくりするぐらいの私語が延々とあちこちで飛び交っていたが、これがまた貴重な内容のおしゃべりだったのである。
昭和初期から終戦後を描くこの作品で、スクリーンに登場する当時の風俗文化をみては、いちいち隣同士で、声をあげて確認し合っている。村から兵隊を送り出すシーンでは、「俺もあんな風に兵隊さんを送ったなあ」と、一緒に歌い出すお爺さんが後方にいるではないか! 専門家の言葉よりも、庶民のリアクションの方が、わたくしにとっては、迷惑なノイズではなくて意味のある解説となった。これでこそ、まさに国民映画だ!
「マンマ・ミーア」でABBAの曲に合わせてペンライトを振っていたお客さんにもびっくりしたが、このときの高齢者パワーには足下にも及ばないだろう。
この高峰秀子版は原作の発表から1、2年後だが、過去にそれから30年後製作の田中裕子版を観たときには名作の映画化という印象しかなかった。さて、これからの時代、発表されて何十年もたってから映画化される、または繰り返し映画化される文学作品が果たして出てくるのだろうか。
北九州市立文学館のこの企画展が成功例だとすると、昨年秋にちょっと寄った熊本市現代美術館の「アジアン・アート・コレクション展」は残念な例。別件で熊本に行き、展示と映像合わせてもたった5作品の小さな企画(無料)なので、時間つぶしもあって入った。
ビデオアートは3作品なので、10分ずつで30分程度ぐらいかなと思って観始めた。台湾の林書民による「Transmigration」は、いろいろな人種の人々が裸でそれぞれ段ボール箱の中に入って、胎児、幼児のようにもぞもぞしている様を俯瞰で延々と撮っている。その動きがエンドレスのようでもあり、じっと観続けて、ついに同じ作品が三巡していることに気づいた。そして、韓国とベトナムからのビデオ作品は、展示替えで別の週に上映していることを示す貼り紙を見つけた。
計算するとやっぱり3本続けても30分足らず。そろえて上映できない事情があったのか、3作品をいっぺんに観たい客を想定しなかったのか…。ここの美術館は月曜ロードショーという無料の名画上映会を続けているという良い面もあるのだが、あの時のがっかり感を、北九州で思い出した。
(2011年6月23日)

文学館チケット.jpg
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文化庁第8回国際文化フォーラム・奈良セッション「映画と東アジア」レボート(三) [映画イベント]

後半のパネルディスカッションの話題は、時間の関係もあっていくつかに絞られたが、パネリスト共通の関心事として、映画表現に係わる問題、すなわち国の検閲が、座長の佐藤忠男氏からまずあがった。
アピチャッポン監督によると、タイでは、宗教や政治などの視点で、国の安定を損なうことを言ってはいけないと法で定められている。だから、観る者が判断する以前に、たとえばホームページでいうと、日に500件が情報通信省によってブロックされている。表現について多くの禁止事項があるために、これまでタイの古い世代の監督たちは幽霊映画に甘んじてきたところがあり、政治的な内容の映画は製作されてこなかった。ではなぜアピチャッポン監督がタイに残って映画を作り続けているかというと、タイの混沌としているところがインスピレーションに繋がっていくからだという。
(2010年のアジアフォーカスで、タイの映画「ありふれた話」が上映された際にも、来福したアノーチャ・スイッチャーゴーンポン監督に対して、観客から、シーンのカットに執着した質問ばかりが辟易するくらいに続いた)
バングラデシュのモカンメル監督も、これまでに自作の3作品がひっかかり、うちひとつは最高裁までいったと述べる。なんだかこの話題になると、ひっかかることが自慢というか、何かまるでひとつの勲章のように聞こえてしまう。モカンメル監督は、委員会側に理解できない高度なレベルで表現すれば検閲は通る、だから自分じしんを締めつけることなく、賢くやれば克服できるのだと強調された。
フィリップ・チア氏は、映画を上映する映画祭側の立場から、当たり前のことだが、シンガポール国際映画祭では上映作品はカットしないという方針で当初から臨んできた。しかし国際関係から、そうもいかなくなって、佐藤忠男氏に仲介をお願いしたこともあるというようなことをオブラートに包みながら語った。
映画祭でのノーカットといえば、ずいぶん前だが、当時日本でも劇場公開時に映倫とトラブルになったミケランジェロ・アントニオーニ監督&ヴィム・ヴェンダース監督の「愛のめぐりあい」(95)が、ニューデリーのインド国際映画祭でそのまんまに上映された際に、ソフィー・マルソーの問題の場面になったとたん、客席中からカメラのフラッシュが放たれた(おそらく写真は撮れていないはず)という光景に、筆者も出くわしたことがある。
ジャ・ジャンクー監督の場合、国家の資金で撮るのであれば縛りも仕方がないと思うが、自分じしんは、検閲に対する反抗心を映画づくりの原動力にしてきた。けれども公開できないことを承知で映画を作ることには強い決意が必要である。ジャ・ジャンクー監督にとって意外に感じる点は、中国の若い世代にも、どうして国の陰部を撮るのだという否定的な意見が少なくないことだそうだ。
軍事政権の時代から映画を撮ってきたイム・グォンテク監督は、振り返ると、自分で自分を検閲してきた、自主規制をしてきた自分がいたという。社会の様々な問題に対して自由に考えを表現することは禁止されており、知らず知らずのうちに迎合してしまっていたのだ。だから、民主化になって突然、検閲がなくなった時に、段階を踏んでいないこともあって、韓国では逆に無責任な映画がうまれてきた。今は映画人が野放図になり過ぎている気もすると警告された。
表現に対する国の干渉というのは、確かに映像作家にとっては共通のテーマで、ディスカッションは大いに盛り上がった。一方で、ハリウッドなどに対抗するために逆に政府からの製作支援は如何かと話題がシフトすると、イム・グォンテク監督は、もちろん、韓国では国産映画の発展に大きく寄与していて、人材の育成につながったと述べられた。
モカンメル監督は、ロッテルダム映画祭のファンドを受けたじしんの経験から、多くの映画祭で、途上国の映画、アジアに土着した映画を支援するシステムが生まれることを熱望された。ジャ・ジャンクー監督も、ハリウッドとは違うモデルでハリウッドと対抗すべきと協調された。
続いての話題、アジア各国の連携を深めることにも絡めて、それぞれの話は共同製作についても広がり、最初、パネリストがあまりにも幅広の顔ぶれで、話がかみ合うのかと興味津々だったのだが、結論めいたもので締め括ることは難しいにしても、意気投合した雰囲気に、アジア映画界の明るい未来が見えた気がした。
締めの場で述べられたわけではないのだが、フィリップ・チア氏の一言が、このまとめの最後に相応しいと思うので、ここに書いておこう。「映画は、何故、西洋で認められたものが秀作と位置づけられるのか」。 (了)
(2011年1月31日)

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文化庁第8回国際文化フォーラム・奈良セッション「映画と東アジア」レボート(二) [映画イベント]

佐藤忠男氏による基調講演がイントロダクションとなって、それに続いて順々に、パネリストそれぞれが用意された映像を流しながら、“発表”という位置付けで、考えをコメントとして出していくことになった。

まずは、ここ奈良ご出身の河瀨直美監督。「新人時代にカンヌで大きな賞をいただき、日本には逆輸入のような形で知られていった。また多くの国際映画祭を巡ることになり、考えてきたことがある。奈良では映画なんて撮れるものかと言われながら、奈良に住み、奈良で映画づくりを続けてきた自分としては、奈良で国際映画祭をやりたい」と。そして平城遷都1300年にあたる2010年に、自らがエグゼクティブディレクターとなって、第1回なら国際映画祭をスタートさせた。
第1回映画祭の記録映像を流しながらトークが進む。新人コンペ部門の作品選定を国際的にも有力なプログラマーに依頼したことで、絞りに絞った作品は粒ぞろいと胸を張る。
この奈良映画祭には、ナラティブ・プロジェクトという、奈良を世界へ発信する映画製作支援の企画があって、招いた監督に奈良を舞台として映画を製作してもらうもの。第1回プロジェクトの「光男の栗」と「びおん」の2作品は、その後2010年11月の第28回トリノ国際映画祭でも上映されたそうで、世界の眼で奈良の世界を構築して発信していくという狙いがすでに具体化されている。ちなみに「光男の栗」は、「ジャライノール」(08)が劇場公開される中国の趙曄監督の最新作。
毎年新人コンペ部門のグランプリ監督に、次回ナラティブ・プロジェクトの製作権が授与され、10年続ければ10本の作品が生まれていくという夢と期待を力強く表明された。

次は、直前の11月28日に閉幕したばかりの第11回東京フィルメックスで、最新作「海上伝奇」が上映されたばかりの中国のジャ・ジャンクー監督。フィルメックスには都合により不参加で、このフォーラムのために来日されたそうだ。まずは、97年に北京電影学院卒業という自己のプロフィールと、その当時の映画製作は政府が独占していたが、徐々に民間の投資によっても映画が作られるようになってきた状況を話された。ただ、張元や王小帥しかり、自由な考え方の表現は検閲によって縛られる。だから現実は政府の映画からは読み取れない。初の長編「一瞬の夢」は変革という現実の中での焦りを表したもの。ジャ・ジャンクー監督は、許可の得られることのない作品を、毎週大学などを廻ってアンダーグラウンドで上映してきたそうだ。
そのような監督にとって、映画祭は重要な存在だと強く語る。「一瞬の夢」で参加したベルリン国際映画祭でオフィス北野のプロデューサーと出会い、その後の作品「プラットホーム」「青の稲妻」を製作できることになった。また、香港の映画祭で中華圏の映画人と知り合い、その後の仲間となる製作スタッフも得ていった。
それ以降の作品は中国でも上映することができるようになったと、中国の近代を回顧した最新作「海上伝奇」の予告編映像を紹介しながら、じしんのフィルモグラフィーを振り返るジャ・ジャンクー監督であった。

「風の丘を越えて~西便制」の名場面をバックに、アジア各地でそれぞれの地域に根ざした映画が作り続けられることで、それらを集めると一枚の地図になるだろうと説いたイム・グォンテク監督に続いては、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督。最新作「ブンミおじさんの森」がオープニングで上映された東京フィルメックスに参加し、そのまま日本に滞在されていたそうだ。
自分じしんは恥ずかしがり屋だというアピチャッポン監督にとっては、カメラはもうひとつの眼として、人とコミュニケーションしていく道具だという。自分の撮る映画は個人的な経験や主観的なものであり、過去の記憶を使って映画を作っている。映画とは記憶の閃光だと語りながら流される映像は、監督のインスタレーションである「プリミティブ・プロジェクト」を紹介するもの。最新作の「ブンミおじさんの森」も、このプロジェクトの一部であり最終作だそうだ。
思い返せば、イメージフォーラム・フェスティバル2009で観たアピチャッポン監督の短編2作品「ブンミおじさんへの手紙」「ナブアの亡霊」もこの一部だったのだ、とこの時に気づく。
インスタレーションは、家族のような形で一緒に移動している製作仲間とタイ東北部をまわって、過去の生命を呼び起すことのできる人、ブンミおじさんの情報を探すという活動である。自分のみる夢の一部を人々と共有するために映画を作る、その独自の製作法が一般の商業映画とは一線を画すアピチャッポン監督だが、彼にとっては、映画づくりとアート製作には境界線はない。わたくしも、商業ルートにはのっていないにもかかわらず、国際映画祭などを通してアピチャッポン作品はすべて観ていることになる。

年間60本から70本の映画が製作されているものの、そのほとんどはボリウッドを真似たコピー作品ばかりだというバングラデシュ映画界からは、タンビール・モカンメル監督が参加しての登壇。芸術的、社会的な視点で、劇映画やドキュメンタリーを多数製作している。一方で評論・研究活動もされていて、現在、バングラデシュ映画研究所所長を務めていらっしゃるそうで、フォーラム後に個人的にお話したところ、二年前には研究者として招聘されて東京にもいらしたそうだ。
モカンメル監督の代表的作品は、まず「ラロン」に尽きると思うが、耳で聴くだけでも魂を揺さぶられるような素晴らしいメロディ、しかし作品の裏に秘められているヒューマニズムを、「ラロン」の音楽場面をみせながらお話しされた。
佐藤忠男氏も、国際理解のためには「ラロン」のような作品が映画祭の場で紹介されてこそと、イントロで説明されている。

最後にシンガポールの映画批評家、フィリップ・チア氏。NETPACなど多方面で活躍されており、筆者も以前に何度かお会いしたことがあり、フォーラム後に頂戴した名刺はドバイ国際映画祭のプログラムコンサルタントの肩書である。
今回のフォーラムは、1987年にスタートしたシンガポール国際映画祭の創始者としての立場からの登壇のようだ。
その頃は、中国、香港などの中華圏は国際的に注目を集めていたが、東南アジアについては知られていない状況だった。当時、佐藤忠男氏からのインスピレーションも受けて、東南アジアの作品を世界に発信するために上映を始めたのが始まり。その後、エリック・クーなどの新しい才能を紹介することにもつながっていった。
意識しなければならないことは、映画は世界を映し出すものだということ。だから、地元の製作者の言わんとするところへと、たえず視点を戻していく必要がある。

一人ひとりの発表が終わって、座長の佐藤忠男氏と6人のパネリストによる座談会「映画と東アジア」へと移行していった。 (続)

(2011年1月15日)

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文化庁第8回国際文化フォーラム・奈良セッション「映画と東アジア」レボート(一) [映画イベント]

毎年、全国主要数か所で開催されている文化庁の「国際文化フォーラム」だが、平成22年度の第8回では、第5回以降久しぶりに映画文化が切り口になった。今年の共通テーマは「文化の多様性と東アジア」で、映画に関しては 奈良セッションということで12月4日に奈良県新公会堂能楽ホールにて開催された。(第5回についてもこのホームページにまとめていますので、ご覧ください)
能楽ホールという特殊な装置に、数えるにも勇気が要りそうなくらいの観客数だったけれども、後日の放送のためテレビカメラなどNHKの収録スタッフがきっちりと仕切っており、進行も局の女性アナ。放送番組の公開収録だと思えばいいのかもしれない。だが全体で4時間を越えた内容は、オンエアではきっとエッセンスしか使われないと思うので、こちらもこちらで、記憶の限りで要点をまとめておこうと思う。(年末にでもぼちぼちと)
前半の基調講演「アジアの映画が直面する課題」、そして後半の座談会「映画と東アジア」の座長は、佐藤忠男氏。
講演とはいっても、佐藤氏には20分ほどの時間しか与えられていないので、まずプロローグ的に、アジア映画の国際的な価値について、これから順に登場するパネリスト6名それぞれの映画界における立ち位置を絡ませながら紹介することが主となった。
佐藤氏がアジア各地を旅するきっかけとなったのは、1982年にマニラの映画祭で観た韓国のイム・グォンテク監督の「曼陀羅」。精神的レベルの非常に高い作品であり、イム監督は韓国において個人の志を貫いた映画づくりを一貫してきた。
その後アジア映画ブームの波が次々に起こり、最も近くでは今年のカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得したアピチャッポン・ウィーラセタクン監督(タイ)の「ブンミおじさんの森」である。
ただアジアといってもひとくくりにはできず、中国はちょっと奇妙。本国では上映禁止扱いの作品を国際映画祭に送り込んできた。ジャ・ジャンクー監督の手掛けた初期の作品はそれらである。
その国際映画祭は、アジア各地の映画を世界に知らしめる重要な役割を担っている。フィリップ・チア氏(シンガポール)は、25年前に東南アジアでシンガポール国際映画祭を立ち上げた雄。
そんな世界の映画祭を通して飛躍した一人が河瀬直美監督で、河瀬監督は自らエグゼクティブディレクターとして、今年奈良で国際映画祭をスタートさせた。
映画は、教養を高めるだけではなく国際的な情報として知る手段にもなっている。タンビール・モカンメル監督は、映画界ではなかなか注目されないバングラデシュにおいて、世界が今必要としている重要なテーマの映画づくりを行っている。
たとえば韓流ブームは、甘いメロドラマばかりではあるが無視はできないと佐藤氏はみる。ブームを通して日韓の感情のレベルは相当変わり、相互理解が進んだといえるのだから。こういう動きを世界的に広げるためにはどうすべきか、考える必要がある、ということで各パネリストのコメント発表へと続いていった…。あまりにも幅広の顔ぶれで、いったいどのような話になっていくのやらと、興味津々で足を運んだわけだが、これが意外にも、佐藤氏を接着剤にして、調和した話になっていくのである。 (続)
(2010年12月21日)

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11月25日に福岡で開催された文化庁・国際文化フォーラムについてのレポート [映画イベント]

文化庁が毎年開催している国際文化フォーラム。第5回を迎える今年は、「文化の多様性」を共通テーマに、奈良、京都、東京、そして福岡と開催地を分けてそれぞれのプログラムが展開された。文化遺産、美術、歴史などの各テーマのなかで、福岡でのセッションに与えられたタイトルは「映画と文化~日中韓でできること」。期日は11月25日で、場所はNTT夢天神ホール(福岡市中央区天神)。4時間にわたって繰り広げられたこのイベントの狙いをひとことでいうと、今後のアジア映画の可能性を追求しようということだ。岩波ホール総支配人の高野悦子氏を座長に、中国から謝晋監督、韓国から釜山国際映画祭のキム・ドンホ執行委員長がパネリストとして招かれた(日本側は文化庁長官の青木保氏)。パネルディスカッションは同時通訳で進行していった…。
まずキム・ドンホ氏との筆者の個人的な思い出を記しておきたい。初めてお会いしたのは96年11月のハワイ国際映画祭にて。ちょうど釜山国際映画祭がスタートした年で、小生の恩師である佐藤忠男・久子御夫妻とともにホノルルの焼肉屋でキム氏ら韓国の映画人たちと酒を酌み交わした。その2か月後のインド国際映画祭でもすぐに再会し、イム・グォンテク監督もご一緒になって洋酒をかなり飲んだ。その後も毎年必ず日本、韓国、海外の何処かでお目にかかっている。キム氏は映画祭などで毎年数回は日本に来られているが、福岡のアジアフォーカスにもほぼ毎年いらっしゃっており、今回のフォーラムでも「毎年数十回は海外渡航され飛び回っている多忙な執行委員長」と紹介されていた。
…このフォーラムではまず、1923年生まれで今年84歳になられるという謝晋監督の身振りを加えた熱弁が、耳にというよりも眼に残った。「芙蓉鎮」(86)「阿片戦争」(97)といった代表作を持つ中国映画界の重鎮を紹介するために、最初に、監督作品のひとつである「乳泉村の子」(91)の20分短縮版がビデオ上映された。日中戦争が終わって大陸に取り残され、中国人一家に育てられることになった日本人孤児の運命と成長の社会派ドラマである。上映されたのは、青年に成長したこの孤児が日本を訪問し、実の母親役の栗原小巻と再会を果たす場面であった。謝晋監督は女優・栗原小巻のことを絶賛しながら、物語の背景となった歴史的なところ、製作時のこと(「乳泉村の子」は日中の合作)などを語り、日中韓が一緒に映画を作っていくうえでどのような映画を作っていくべきかを、この映画から考えていって欲しいと述べた。またアメリカではベストセラー小説を原作とした企画に資金が集まって映画製作されることを取り上げて、“物語は重要である”という映画監督の視点から、いい題材やストーリーを見つける必要性もつけ加えられた。その発言のなかでは何度も熊井啓監督の「サンダカン八番娼館」を引き合いに出し、謝晋監督の熊井作品に対する高い評価も熱く語られたのである。
なお謝晋監督は来年公開を目指して、9歳の少年を主人公にした最新作をいま準備中とのことである。
謝晋監督に続いてキム・ドンホ氏をご紹介するパートでは、釜山国際映画祭を説明する映像に続いて、キム氏が選んだ近年の代表的な韓国映画として、イ・チャンドン監督の「シークレット・サンシャイン」の10分短縮版が上映された。今年の第60回カンヌ国際映画祭でチョン・ドヨンが主演女優賞を獲得した話題作であり、じつはこのフォーラムが開催された同じ11月25日に閉幕する第8回東京フィルメックスでクロージング作品としてジャパンプレミア上映されるのが、やはりこの「シークレット・サンシャイン」。しかし厳密にいうと、福岡のダイジェスト版の方が数時間早く日本に登場したことになる。
世界を飛び回っているという立場から、キム氏には、アジア映画界の問題点をどう捉えているかということについての発言が特に求められた。キム氏は映画を「美学的な映画(作家主義的な映画)」と「産業的な映画(商業映画)」のふたつに大別し、その両方が成長成功しているのが日本、中国、韓国にプラスしてタイ国ぐらい。アジアには台湾、マレーシア、インドネシアなど、作家主義的な作品は育ってきていても、産業的な面が良くないところが多い。日中韓は成功している国々として、連携してアジアをリードしていく役割を持っていると訴えた。課題として、域内で開放が進んでいるヨーロッパと違い、アジアには言葉や宗教による壁があることを問題点と分析した。
このあと青木氏が東アジア共同体としての交流の可能性を問い、休憩を挟んでフォーラムの後半では「日中韓でできること」というテーマに沿った具体的な提案が出てくるのだが、残念ながらここでは書ききれない。このフォーラムはNHKが収録しており、年が明けて2008年1月4日の15:00~15:54に、BS2にて放送されるそうなので、それをご覧いただきたい。4時間のイベントをどのように1時間弱に編集されるのかはわからないが…。
今回、文化庁が全国に発信するイベントのひとつが福岡で行われた理由としては、「九州・沖縄から文化力プロジェクト」の一環ということがあげられるだろう。しかし、京都イコール文化遺産とテーマ設定されたように、地域の特性を生かしたテーマとして、福岡のフォーラムでは“アジア映画”が取り上げられたということには、「アジアフォーカス・福岡映画祭」を長年続けてきたその土壌によるところも大きいと思う。しかしながらとても奇妙なことに、どのパネリストの口からもアジアフォーカスという単語は最後まで出なかった。まるで打ち合わせられていたかのように。座長の高野氏は東京国際女性映画祭のジェネラル・プロデューサーでもあるので、話題が女性映画祭となってしまうのは必然としても、フォーラムのまとめのひとつとしての「東京国際映画祭、釜山国際映画祭、上海国際映画祭でプログラム交流を進めていってはどうか」という提言に対して、集まった福岡の聴衆はどう思っただろうか。
(2007年12月6日)


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アジアン・クイア・フィルム&ビデオ・フェスティバル(AQFF)を観終えて [映画イベント]

8月23日に始まった「アジアン・クイア・フィルム&ビデオフェスティバル(AQFF)」が、9月17日にて閉幕した。長編作であるフィリピン映画「マキシモは花ざかり」とインドネシア映画「分かち合う愛」については書いたが、それ以外の作品(短編)についても一応記録しておきたい。平日の夜は曜日代わりで短編プログラムが日々上映された。アニメドキュメンタリー、劇映画に実験映画とジャンルはさまざまで、数え上げると合計で12作品。タイトルは次のとおり。

ロボット少年」(05)タイ ツンスカ・パンジッティヴォラクル監督
「流れる川、落ちる花」(04)タイ アヌーチャ・ブーニャワタナ監督
「デビル・ライク・ミー」(05)香港 クトゥール・Ng監督
「スエ・シンの姉妹たち」(00)香港 ヤウ・チン監督
「ヘイ!ジミー★」(04)台湾・イギリス ミンチエ・スン監督
「雨上がりの虹に」(01)台湾 ヤン・アンドリュー監督
「トラベル」(00)台湾 アレン・チャン監督、チェン・ダーユー監督
「ダンシング・ボーイ」(05)韓国 ぺ・ジヨン監督
「タンポン・マニュアル」(01)韓国 セロン・ソン監督
「僕のマリオおじさん」(03)イスラエル ナーマ・ザルツマン監督
「ゲーム・ボーイ」(03)アメリカ ケヴィン・チョイ監督
「イノセント」(04)カナダ クリフ・カーファイ・モック監督

12本の短編を通して観てひどくレベルの低い作品はなかったが、全体を見渡すとタイの2本はともにユニークだった。「ロボット少年」は、男とロボットの関係を描いていると思われる実験映像である。タイ映画ライターのM.Sさんに後日聞いたところでは、このツンスカ・パンジッティヴォラクルという監督はタイ映画界において、いろいろな意味で強烈な存在であるらしい。原作はあるというが、ツンスカ監督の何かプライベートなものをこの作品から感じてしまう。「流れる川、落ちる花」は耽美な映像で綴られたゲイのラブストーリーで、タイの短編映画・ビデオ・フェスティバルなどで高く評価されたそうだ。
台湾の「トラベル」も2000年の第37回台湾金馬奨で最優秀短編賞を受賞した、二人の少女の世界を淡く静かに描いた作品だ。セリフがほとんどなく音楽と映像でうまくまとめている。片や、台湾のもう一本「雨上がりの虹に」は、うるさいくらいに日本語字幕(つまりはラジオの音声なのだが)が登場するけれども、構成に凝った実験的な傑作である。スポーツ万能と成績優秀、個性的な二人の男子高校生の心の絡みを、ゲイやレズにまつわるラジオの相談番組(たぶん実在する放送を使っているのではないだろうか)の音声を平行して流しながら描いている。同じ台湾でも、長編プログラムの方で上映された「ゴー!ゴー!Gボーイズ!」はあまりにも次元の低いお馬鹿な作品だったので、余計にこれらの短編のシェイプされた完成度が目立った。
アメリカの「ゲーム・ボーイ」やイスラエルの「僕のマリオおじさん」は、同性愛をテーマにしたシリアスなドラマ。前者はまあまあ良くできている。
韓国からの作品も極めて水準が高いと感じた。「ダンシング・ボーイ」は男子高校生たちの想いを物語にしたものだが、20分のドラマとしてきちんとまとまっている。「タンポン・マニュアル」はその題名どおり、商品の使用説明をする番組という風な形式をとっている。あっけらかんとしていてそれでいてファンタスティックな傑作である。生理用品としての機能のほかに、マスターベーションやレズの道具としての使い道を、女性司会者がポップでキッチュに講義する。実験映像というよりバラエティ映像と呼ぶべきだろうか。大いに楽しんだ。

(2007年9月27日)


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