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21st BIFFから/イスラエル映画「One Week and a Day」 [イスラエル]

Asaph Polonsky監督のイスラエル映画「One Week and a Day」(2016)は、何だか不思議な魅力をもったデビュー作。題名は、ユダヤでいうところの初七日のようなことだろうか。人生これからという25歳の息子を失ったある中年夫婦の、葬儀後の虚脱しきった日々をシニカルに描いている。感情を露わにして泣き叫ぶわけではない。喪失感からただただ歯車の噛み合わない日常が、もうほとんど奇行化してしまい、それぞれが一人でコントをしているコメディアンのようだ。妻は無気力、無愛想で職場復帰できず乾ききっている。夫は偶然手に入れたマリファナに頼ろうとするがうまくいかない。
絶えず笑わせられながらも彼らの奇行を観続けていくことで、この夫婦が体面を無視して自分の感情ただそれだけに正直に向き合い、自分なりの方法で、哀しみと格闘しているのだということに観客は気付き始める。隣の家の青年との交流もうまれる。さて、夫と妻は再生できるのか。そのことについてこの映画は観客の期待を決して裏切りはしないのだ。その証拠はラストの一瞬に対する客席からの拍手だ。
(2016年11月23日)


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第3回myFrenchFilmFestivalの「A Bottle in the Gaza Sea」 [イスラエル]

第3回を迎える「myFrenchFilmFestival.com」(有料)が2月17日までだったので、コンペティション部門の長編映画10作品の中から、Thierry Binisti監督の「A Bottle in the Gaza Sea(海に浮かぶ小瓶)」(2011)を観てみた。イスラエル・カナダとの合作で、2011年の釜山国際映画祭でワールドプレミア上映されていたもの。
最初に書いておくが、このオンライン映画祭では12ヶ国語の字幕が用意されているそうで、ありがたいことに日本語もありました!(映画祭の後これらの作品群を観ることができる機会ができるのかしら)
フランス映画だけれども、中東の紛争地の物語である。解決の糸口も見出せない土地イスラエルとパレスチナとに離れた若い男女のEメールによる交流が、緊張の絶えない情勢の中でつつましく描かれていく。
小瓶に入れた手紙の差出人は、エルサレムに住む17歳の少女タル。フランスで生まれ育ち、ユダヤ教徒の家族と暮らしている。そのタルからの手紙を手にしたのは、ガザで母と暮らすパレスチナの青年ナイム。この二人は、ドラマの最後まで、向かい合って直接言葉を交わすことはない…。
二人が知り合うきっかけは少々物語的過ぎる。カフェでパレスチナのテロに遭ったタルは、その行為への率直な疑問を綴った英文の手紙を、兵役でガザに駐留する兄に頼んで、地中海に面した海岸に流してもらうのである。それを拾ったナイムも、一方イスラエルからの攻撃を日々体験している犠牲者だ。このメッセージはイスラエルの罠なのか? 彼はネットカフェへ行き、メッセージに記されたメールアドレスへ、ガザマン(ガザの男)というニックネームで「爆弾の製造法を教えてやろうか!」と返信してみる。しかし、タルから返ってくるメールは「あなたのことを知りたい」という、とても素直なものだった。
はじめナイムは警戒心をみせながらも、やがて二人は70kmほど離れたエルサレムとガザ、それぞれの土地での不安な日々を、等身大の言葉でキャッチボールしていく。タルがパリから来たことを知ったナイムはガザの仏文化センターでフランス語を習い始め、そして二人のやりとりは仏文に。
メール交換にあわせて、それぞれの生活が時勢も絡めながら重ねて描かれていく。酒、タバコ、ピアスと、タルは背伸びをしたい年頃であること。イスラエル国民としてタルもやがて徴兵され、パレスチナを攻撃せざるをえないかもしれないこと。爆撃で行き場のなくなった大勢の親戚が、ナイムの家へ転がり込んできたこと。ネットカフェでスパイと疑われたナイムが連行されてしまったこと。
釈放されたナイムを彼の母がジョークを語って慰める場面がある。自転車で転んで、アメリカ人は製造元の中国の工場を爆撃する、イスラエル人は審議会を開く、しかしパレスチナ人は転ばない。なぜならイスラエル人に自分の自転車を盗られてしまったから…。これには笑えない。
ナイムは仏政府の奨学金を申し込んだ。タルに教えられた夢の世界フランスへ行くチャンスだから。テレビニュースがイスラエルとパレスチナ双方の応酬を伝え緊張が高まるなか、二人のやりとりは弾む。タルは自分の顔写真を初めて添付する。「君に会いたい」「会えたら指をクロスしてね」。タルは奨学金の面接試験の受け答えを彼にアドバイスするのだが、その後、ナイムが爆撃に巻き込まれ、メール交換が途絶えてしまった…。
そしてタルが18歳の誕生日を迎えたとき、突如、ガザの仏文化センター所長が彼女の家を訪ねてきた。ナイムから彼の顔写真を託されたのだと言って彼女に渡す。ハマスに住所を教えたのかと、娘の交流を軽率と家族は非難する。
ナイムの無事が確認され、メールが再開されても、両者の交わす言葉はスッキリしない。「君の兄がガザにひどいことをした。もう信じられない」「私たちの友情は崩れないと思っていたのに」。けれどもナイムに奨学金決定の連絡が届き、彼が手にした旅行バッグには、所長経由で折り返し届けられた、タルからのキーホルダーがしっかりと付けられていた。
「ガザを脱出する!イスラエルを通ってヨルダン、そしてパリへ!」、ナイムからのメールに反応したタルは、友だちの車を飛ばす。ガザからイスラエルへと抜けるエレズ検問所へ。エレズにさしかかるとガザの街が見えてきた。タルの乗った車はエレズでチェックのためいったん止められる。一方でナイムは無事イスラエルへ入国し、彼の乗った車はタルの眼の前をそのまま走り去っていく。彼は車を停止させてはいけないのだ。
ほんの一瞬、タルの前をナイムの車が通り過ぎる。「会えたら指をクロス」。しかし互いの姿はすぐに遠く離れてしまい、見えなくなってしまう。場面としても一瞬で、あっけない。けれども二人が顔を合わせて直接言葉を交わせなかったことが、残念なこと、悲しいこととは決して映らない。
「君のおかげだ」「知り合えてよかった」「また会えるように」。最後は、メールではない、二人の心の言葉で締めくくられる。国単位の解決には決して届きはしないが、二人はきっとパリのカフェで再会できるに違いないという希望を、このラストは与えてくれた。
厳しい国情の中で、ついには人生の希望を見出した若者たちを繊細に描いた、大いに感受できる柔らかな佳作だ。
イスラエル映画「シリアの花嫁」、パレスチナ映画「パラダイス・ナウ」などで見覚えのある女優Hiam Abbassが、ナイムの母親(女医)役で出ていて、存在感があってかっこよかった。タバコをくわえる、なにげない仕草が何ともいいのだ。フランス映画祭なのに、いろいろ発見があった。
(2013年2月28日)


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イスラエル・パレスチナ合作の「Water」〜第17回釜山国際映画から [イスラエル]

今年の第17回釜山国際映画祭では、計17本を観た。忘れないように、思い出しながら記録せねばと思うが、さてどれからと考えて、記憶が混線する恐れのあるものから。
第69回ヴェネチア国際映画祭批評家週間でも上映されたという、イスラエル・パレスチナ合作の「Water」(2012)。ユダヤ人とアラブ人双方の9人の監督が参加して、8作品の短編からなるオムニバスが完成した。フィクションもあればドキュメンタリーもあり、しかしどの作品も“水”をモチーフにしている。
そういうプロジェクトとして取り組まれた作品だが、競作のお題として、目の付けどころの良さを感じた。“水”は生命の源であり、また、土地と違ってここから先は誰かが明確に所有するものと線引きしにくいものでもある。8作品を観て、これらに優劣をつける気はさらさらないし、どれもすべて素晴らしく、10月9日、CGV Centum City 5での2時間半が流れるように過ぎていった。

Still Waters(Nir Sa'ar監督/Maya Sarfaty監督)
テルアビブからの若いカップルが、湧き水を探しに山中に来ている。しかし水は昔とは違っていて、汚れていて飲めない。しかし本当の目的はエッチをすること。水のことは気にせずにシートを敷いて始めようとしたところ、やはり湧き水目当ての、荒々しい感じのアラブ人たちがやってくる。女は場違いな真っ赤なワンピース姿。両者の間に緊張が走るが、イスラエルの男女が持ってきていたミネラルウオーターを分け与えたことで、いざこざなく終わる。

The Water Seller(Mohammad Fuad監督)
ベツレヘムの朝7時。アラブ人の父子二代が大きなタンク車を走らせる。父親の方が、一日働きながら、カメラ目線で解説してくれるドキュメンタリーだ。(イスラエルから)水を汲んで毎日午後にベツレヘムの街に戻る。かなり活気ある街だ。レストランや住宅に水を卸していく。建て込んだ住宅街の奥へ奥へとホースを延ばしていく。見ると、どの建物にもタンクがある。男二人の力仕事だ。生まれ育った街のための仕事だ!と親父が笑って、陽が暮れる。

Raz and Radja(Yona Rozenkier監督)
応援を呼んでくる間、故障しているトラックに残って、アラブ人の西瓜農夫を監視しておくように命じられたイスラエルの若い兵士。上官にはちょっと反抗的でイラついている。一方、この農夫はおしゃべりで、勝手に縄を解いて、兵士に話しかけてくる。ロバを使って二人でトラックを動かそうとするが無理。農夫をとうとう追い払ってしまうが、上官が急に戻ってきて、慌ててヘルメット代わりに西瓜の皮を頭にかぶってしまう。ユーモアあるドラマ。

Eye Drops(Mohammad Bakri監督)
誰かれと、家の前を歩いている人に「目薬をさしていただけませんか」と話しかけてくる老婦人がいる。家の中に招き入れて、薬の後、お茶を出して古いアルバムを開いて見せる。それは家族の写真。ヒトラーに皆虐殺された、ヒトラーのせいで涙は今一滴も残っていないという。隣に越してきた演出家と俳優の親子も、それぞれ同じように声を掛けられた。息子は「目薬が必要になったら、いつでも電話して」とメモを渡すが、一度駆けつけられずに終わり、その後老婦人は転居してしまった。

Kareem's Pool(Ahmad Bargouthi監督)
自家用と呼ぶには立派すぎる山間部のプールを、有料で開放しているユダヤ人の老夫婦を描いたドキュメンタリー。毎朝6時に表に出す看板はアラビア語。客もアラブ人ばかり。老人の親の代に、山から湧き水をひいて造ったらしい。金曜日ともなると、100人を超えるお客さんがやって来る。バーベキューもでき、家族連れで自然が満喫できるプールパークだ。常連さんも多い。マナーの悪い客を隠し撮りしているところが、面白くみられる。

Drops(Pini Tavger監督)
イスラエル軍の、まだ少年のように若い一人の兵士。サボりなのか、トイレに入り込んで煙草を一服。と、蛇口の締まりが悪く、水滴がポタポタと落ちていることに気づく。兵士は遊び心で、5つの蛇口を使って水の音で音楽を奏でてみる。すると母親と、そして父親との懐かしい風呂の思い出が蘇ってくる。しかし、上官の声が聞こえてきて、ひとときの休憩は終わり。兵士は慌てて飛び出していく。淡い記憶を辿る成長期のドラマ。

Now and Forever(Tal Haring監督)
ここはエルサレム。両親は出かけていて、年頃の娘ひとりが自宅にいる。と、呼び鈴がなる。表にはアラブ人の水道工事屋が立っている。両親の勧める結婚が嫌で部屋にひきこもっている娘は、この髭のアラブ男と顔をあわせないようにして工事を進めようとするが、水漏れでそうもいかなくなる。アラブ男は彼女の悩みを聞くことになるが、そのなかでは二人のロマンスもちょっとだけ予感させる。

Women of Refayia(Yoav Shavit監督)
水汲みを中心とした、女たちの労働をナレーション付きで描くドキュメンタリー。主役は11人もの子がいる大家族。そこの女の子たちは、朝は5時から井戸まで水汲みへ。そして掃除に皿洗いと働く。その後の水はトイレタンクへ入れて有効活用する。牛の世話までやってから登校。しかし下校してからも仕事が待っていて、夜8時に就寝。こう書くと過酷に映るかもしれないが、少女たちはいつもいい笑顔だ。ちなみに昼には、飲み水用にパレスチナの給水が来る。

Make Yourself at Home(Heil Hardy監督)
髪を覆ったアラブの年頃の娘。家政婦の仕事に就いたらしく、イスラエルの一家のプール付きの豪邸に入っての初日。家にあるものに関心を示しながらも、掃除に励む。と、この豪邸の子供たちの悪ふざけを、溺れているものと感違いしてしまってプールに飛び込んで全身びしょ濡れになってしまう。この家の同世代の娘から借りて、初めてTシャツにジーンズを着てみて、鏡の前に立ってみる。自分の服が乾燥機で乾くまでのひとときを楽しむ。

(2012年10月21日)

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対立するパレスチナとイスラエル、それぞれの命の尊さを教える人権映画 [イスラエル]

国連UNHCR協会の「ヒューマン・シネマ・フェスティバル supported by AEON」。全国各地で開催されたようだが、福岡会場は「ワーナー・マイカル福岡ルクル」という、郊外のショッピングモール。確か昨年もここで「第5回UNHCR難民映画祭」という位置づけで開催されていた。ふだんは金太郎飴のように同じプログラムをやっているシネコンなので、わざわざ足を運んだこともない未知の劇場。自家用車でもないと行けないそこに、路線バスを乗り継いで、10月15日、ドイツ・イスラエル合作のドキュメンタリー映画「ジェニンの心(The Heart of Jenin)」(08)を観にいった。
ちなみにフェスティバルとはいっても上映は2作品で、どちらも難民映画祭の過去の上映作品。本家の難民映画祭同様に入場は無料で、その代わりに難民支援のための募金を会場で行っている。
この「ジェニンの心」(マルクス・フェッター監督、レオン・ゲラー監督)が見つめているものは、一市民のレベルでみた、対立するパレスチナとイスラエル、それぞれにおける命の尊さである。映画を観た直後の10月30日朝日新聞の書評ページに、「アハメドくんのいのちのリレー」という新刊本の紹介が載っていた。イスラエル軍に撃たれて脳死状態になったパレスチナの少年の父親が、敵対するイスラエルの病気の子どもたちのために、息子の臓器提供を決意する実話を追ったものだそうだが、このドキュメンタリー映画も、この本と同じできごとを描いている。
2005年11月、ヨルダン川西岸のジェニン難民キャンプで、パレスチナのアハメド少年がイスラエル兵士によって撃たれた理由は、遊びで握っていた玩具の銃を本物と勘違いされてしまったから。平和ボケしている我々から見ると、どうして? と思ってしまう極限の緊張状態が両者の間にはある。アハメドの父親は、臓器移植を必要としているイスラエルの子どもたちに、愛する息子をドナーとすることを決断する。この作品の主意はここで終わらず、一年後に父親がイスラエルへ入り、移植を受けた子どもたちを訪ねるところにある。イスラエルの子どもたちの命を尊重する、このパレスチナの父親に感謝しない人はいない。暴力対暴力で互いに脅しあっていてはなかなか解決できない。そうではなくこのおとうさんは、相手の命の尊さを認めることが平和に繋がることを、一市民として示そうとしている。もちろん、誰にでもできる行為ではない。
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その後、11月にKBCシネマで公開された、アメリカ・イスラエル合作のドキュメンタリー映画「いのちの子ども」(2010)も、邦題が示すとおり、パレスチナとイスラエルが対立する関係の中で、命の尊さを考えたものである。
医療技術のあるイスラエルの病院に、簡単には越えられないボーダーラインの向こう側から、パレスチナの夫婦の難病の赤ちゃんが運び込まれる。イスラエルのシュロミー・エルダール監督は、カメラを抱えて、この赤ちゃんの運命を追う。
大規模な爆破事件があったりしてパレスチナとイスラエルの関係が一進一退するなかで、匿名の善意の寄付があり、骨髄移植の適合者を何とかパレスチナから入国させたことで、手術は最終的に成功し、イスラエルの医療スタッフも、観ている我々もホッとする。けれどもエルダール監督の心はすっきりしない。このパレスチナの母親は「エルサレム奪還のためには、この赤ちゃんが大きくなって殉教者になることも厭わない」というのだ。いやむしろ「殉教者となるために、今、この命を救ってくれ」ともいっている。
この発言を聞いて、何と身勝手な!と考えてはいけない。難病が医療技術で解決できても、パレスチナとイスラエルの食い違いは、簡単にはどうしようもできないのである。母親と監督の、それぞれ冷静さを保ちつつ、折り合わない考えの言葉を掛け合う様からも、紛争の根の巨大さがくっきりとみえてくる。
「ジェニンの心」のなかでも、最初パレスチナ人からの善意で子どもの命が救われることに気持ちの整理のできないイスラエル人がいて、その整理には、一年後にパレスチナの父親が訪ねてくるまでの、いくらかの時間が必要だった。この「いのちの子ども」も、何ヶ月か一年かたって、監督が、このパレスチナの母親をエルサレムに案内する場面があるが、そこで妻は、命が尊いものだとわかったみたいなことをつい語る。平和への道のりには、そうとうの時間も必要であるが、道がないわけではないということが、この赤ちゃんの事件ひとつとっても、それがドキュメンタリーとして発信されることで、可能性として希望を残している。
(2011年11月27日)

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軍隊のなかの疎外を描いた、イスラエル映画「The Loners」 [イスラエル]

イスラエル映画界のことは詳しくない。アモス・ギタイ監督はさておき、国外で活躍している映画人や、またパレスチナ系などを入れるとさらに疎いのだが、国際的に目立った存在であることは、近年のその動きをみていてもよくわかる。
例えば、日本の二大映画祭の最優秀作品賞をみると、2007年の第20回東京国際映画祭はエラン・コリリン監督の「迷子の警察音楽隊」(07)。一方で同年の第8回東京フィルメックスはラファエル・ナジャリ監督の「テヒリーム」(07)。フィルメックスは昨年2008年の第9回もアリ・フォルマン監督の「バシールとワルツを(戦場でワルツを)」(08)が獲得しており、近年はイスラエル映画が独占している状況である。
この他にも「ジェリーフィッシュ」(エトガー・ケレット監督/シーラ・ゲフェン監督)、「シリアの花嫁」(エラン・リクリス監督)と、ここ1年程の間に日本で劇場公開されている作品もある。また、9月に閉幕した今年の第66回ベネチア国際映画祭の金獅子賞に輝いたのは、やはりイスラエル映画で、1982年のレバノン侵攻をイスラエル軍の戦車に乗る兵士の視点から描いたというSamuel Maoz監督の「Lebanon」(09)であった。
簡単な一言では片付けられないが、イスラエルの映画界が、その才気を発揮するにあたり、題材として取り組むべき歴史的、政治的、国際的な問題に取り囲まれているということはあるだろう。
さて、第14回釜山国際映画祭のFlash Forward部門に出品されたイスラエル映画「The Loners」は、インターナショナル・プレミアということだったので、観る価値はあると思い、10月10日、上映会場のLotte Cinema Centum City 6に足を運んだ。
まず、映画祭に参加しているRenen Schorr監督の上映前挨拶から始まる。Flash Forward部門というのは、2作目までの新人監督を対象としたコンペで、New Currents部門がアジア地域対象であるのに対して、こちらは非アジア対象。しかしながらスクリーンの前に立ったRenen Schorr監督は見た目で50歳代後半か。フレッシュな感じはしない。ちょっと偉そうでもある。カタログのプロフィールをみると、第一作が1988年。数えると20年ぶりの新作ということだ。
「1997年にレバノンとの国境近く、イスラエル北部の軍事刑務所で実際に起こったできごとの映画化だ」「脚本化に10年かかった」「イスラエルの兵士は、とても優秀な兵士である」「起用した役者たちはモスクワなどでオーディションをして選んだ」「主役を演じた新人男優(Glory を演じたSasha Agronovのことのようだ)は、イスラエルの映画アカデミーが選ぶ主演男優賞につい10日ほど前に輝いたばかり。イスラエルのスタローンだ」などなど、先に、雄弁かつ積極的なコメントをたっぷり聞かされたうえで、映画を観ることになった。
舞台は1997年8月レバノンとの国境近く。二人の兵士GloryとSashaはロシアからのユダヤ移民であり、軍隊の一員として祖国イスラエルを守るという志は固い。しかし二人は、ハマスに銃を横流しして売りさばいたという疑いをかけられ、軍事刑務所に送られることになった。銃は盗まれたのだと主張するが、聞き入れてもらえず、ヘブライ語よりもつい、ロシア語の方が口に出てしまうために、刑務所の中でも外国人扱いされてしまう。Gloryは脱走を試みて、事件の再審を要求するが、逆に一般刑務所に回されようとする。そして、Gloryは名誉のために、軍と真っ向から対峙する決意をする…。
実話ということなので、最終的に彼らがどういう決着を得たのかという説明は最後につく。
見る限りではベテラン顔をしたRenen Schorr監督の狙いは、まず忠誠とは何かということを、ヒューマンドラマの視点で問いただすことにあったと思う。それと、昨年はイスラエル建国60周年。シオニズムにもとづく建国のなかで、ロシアなど世界各地からのユダヤ人の移住は無視できない存在であった。まったくの推測だが、そこの部分を振り返る意図もあったのでは?
複雑な問題を持つ国々の実情などは、我々は、おかれた環境の違いからわかりようもないし、身をおいて考えようとすることもないだろう。しかし、映画を通すと、未来のために過去を振り返ろうとしている国があることがわかる。
(2009年11月14日)

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NHKアジア・フィルム・フェスティバル作品の放送にあたって(イスラエル映画「甘い泥」) [イスラエル]

アジアの映画人に相談されて困ることがある。ひとつは自分の映画を買ってくれる日本の業者を紹介して欲しい、それから自分の新作に出資してくれる日本の会社を紹介して欲しい。数字の上では日本は世界で二番目に豊かな国でもあるし、特に初対面でこちらが日本人だとわかると、そう訊かれる。そういう場合には、まずNHKの国際共同製作プロジェクトを紹介してきた。すなわち、NHKアジア・フィルム・フェスティバルのことである。
NHKは本当に意義深いことを続けてきたと思う。映画の視点でみて、地方に住んでいると不均衡に感じることがある。たとえば東京国立近代美術館フィルムセンター。映画フィルムを収集するとともに年間を通して国内外の作品の企画上映を行っている。しかし同じ国民でありながら、地方に住んでいる者はそれを等しく享受することはできない。独立行政法人であるが国際交流基金の上映イベントにしてもそうだ。一方でNHKは全国を網羅する放送局として、受信料を取っているだけの務めは果たしていると感じる(私はNHKとは何の関係もないが、高く評価したい)。
このNHKアジア・フィルム・フェスティバルは、アジアの監督と映画を共同製作し、まずは東京で上映イベントとしての映画祭を行うが、その後それらをきちんと放送する。95年に始まった取り組みであるが、その業績に対して2005年の第10回釜山国際映画祭ではアジア映画製作者賞が贈られている。そして同年12月には第6回のNHKアジア・フィルム・フェスティバルが開催され、シンガポールとの合作「4:30(フォーサーティ)」、ベトナムとの合作「癒やされた地」、韓国との合作「ドント・ルック・バック」の3作品が新たに誕生した。いずれも傑作で世界各地の国際映画祭で取り上げられ、2006年のアジアフォーカスでも上映された(もちろん放送もされている)。
けれどもじつは、この第6回フェスティバルではもう1本、映画共同製作プロジェクトが進められていた。イスラエルの新人ドュロー・シャウル監督の「甘い泥(Sweet Mud)」であるが、第6回には完成が間に合わず、昨年06年11月の第7回でのお披露目となったものである(第7回フェスティバルについては別項でさらに書きたい)。役者の事故で撮影が一時中断している間に主役の少年の新学期が始まってしまって、さらに撮影が遅れたと聞いている。なので、この「甘い泥」については、先月の衛星ハイビジョンに続いて今月の衛星第二が電波のうえでの初公開となる。
1970年代のイスラエル独特の生活共同体キブツが舞台である。主人公は13歳の少年。父はすでに亡くなり、その後精神的に不安定になってしまった母はフランスに住む初老の男との再婚を強く望んでいるが、キブツの規則や複雑な人間関係は決してそれを許さない。キブツは理想を追求した共同体であるはずなのに、少年の眼には矛盾ばかりが映る。イスラエルの四季のうつろいを背景にした少年の成長の物語である。監督自身、少年時代をキブツで過ごした経験を持つそうだ。
今年1月のサンダンス映画祭のワールド・シネマ部門で審査委員賞を、2月の第57回ベルリン国際映画祭でクリスタル・ベアー賞を受賞し、その完成度の高さもお墨付きである。今月の放送日をチェックして是非ご覧いただきたい。もちろんスクリーンで観ることがベストではあるが。
(2007年10月3日)


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