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キャセイ80周年記念作品「新四千金」 [シンガポール]

キャセイ創立80周年を記念して製作された映画「新四千金(Our Sister Mambo)」を観た。適齢期の4人の娘をもつ、シンガポールの一家のドラマで、65歳だというお父さんがキャセイ社に永年勤続する劇場支配人という設定なので、名作のワンシーンもふんだんで、キャセイ映画を回顧してその歩みをたどる内容にもなっている。なによりも、このお父さんは女優グレース・チャンの大ファンということで、娘がうまれるたびに、長女はグレース、次女からは順にマンボ、ローズ、ジューンと、グレース・チャンの代表作(「曼波女郎」「野玫瑰之恋」「六月新娘」)にちなんで、名付けてきた。
英語題Our Sister Mamboからみて、監督・主演作「Already Famous(スター誕生)」で知られる庄米雪の演じる次女マンボが、四姉妹描写の標準点といえるだろう。料理好きが高じて弁護士事務所を辞めタイ料理の鉄人シェフに弟子入りしたマンボを除く姉妹たちは、バツイチの子連れ中国人男性、西洋人ボーイフレンドたち、偶然出会ったインド人とそれぞれ交際しており、仏映画「最高の花婿」のような、一家の困惑ぶりが楽しく描かれる。アラブ、ユダヤ、アフリカンといった多様性がフランスらしいと感じられたのに対して、こちらはこちらでシンガポールの土地柄がみえてくる。とにかく愉快で、80周年記念映画なのだから、物語は不幸せには向かわない。
温厚な父親が年齢設定以上のおじいちゃんに見えるのに対して、その妻(母親)は見た目からは五人姉妹ではなかろうかと思えるくらいに若くて快活、オフィスでバリバリ働いている。韓流ドラマにはまっているのがカワイイところで、理想的なシンガポールのカップルなのだろう。
愛すべきキャラクターたちが織り成す、キャセイによるキャセイのためのお目出度い喜劇作品。往年のスター、グレース・チャンが本人としてカメオ出演するだけでは終わらず、キャセイの黄金期を象徴する曲「ジャジャンボ」のメロディーにのせて、ラストで繰り広げられる登場人物総出演のダンスシーンがハイライト。デジャヴのような、至福のクライマックスだ。
「ピノイ・サンディ」の、ウィ・ディン・ホー監督。
(2016年6月17日)

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20th BIFFから/建国50年を記念したシンガポールの「7 Letters」 [シンガポール]

映画祭では、ひとつのテーマについて新進や著名の代表的な監督たちが参加した短編のオムニバスが取り上げられ、幕の内弁当をいただくように様々な味が楽しめるお得感をもって観ることが時々ある。最近の釜山でも「Taipei Factory」や「Letters from the South」などがあったし、全州や香港の映画祭では、プロジェクトとして毎年、世界の監督たちによる短編オムニバスを製作しているし。
今回観た、建国50年を記念するシンガポールの「7 Letters」(2015) は、ロイストン・タン、ケルヴィン・トンなどの国内の7人の監督たちがそれぞれの持ち味で撮った短編の集合体で、釜山の地がインターナショナル・プレミアとのこと。そのなかでも、いまのシンガポール映画を牽引してきた世代、エリック・クー監督とジャック・ネオ監督の作品をここで取り上げてみる。
エリック・クー監督の「CINEMA」。シンガポール映画の黄金期だった1950年代を回顧した作品であることが後からわかるのだが、最初は、密林の中で唄う女性を捉えたPV的な映像からいきなり始まる。一曲丸々あったかと思う。このモノクロのチープな場面が〝映画の中の映画〟であることが、それが映し出される野外スクリーンを一心に観ている子どもたちの姿から、やがて理解できてくる。
このB級モノクロ映画の中では、お化け退治に繰り出した間抜けな村人ふたりが、怯えながらもコミカルなやりとりを繰り返している。しかし、前述の唄っていた女の正体は、じつは自分の赤ん坊を探しているお化けで、彼ら村人たちを次々に襲っていく…とこれは、四方田犬彦氏が「怪奇映画天国アジア」で言及している、マレー半島で連綿と撮られてきた怪奇映画の国民的シリーズ・ポンティアニックの一篇であろうことから、子どもたちがスクリーンにかじりついていたのはなるほど明らかであったが、同様に今の時代の老人ホームでも、深夜のテレビ放送でこのホラー映画に観入っているお年寄りたちがいた。(後日、当時のオリジナルのひとつを観て、PV的な映像があることを確認)
この中のひとりの爺さんは、自分の部屋に保管している写真やフィルムから、このような映画が量産されていた当時、映画業界に身を置いていた人物であることがわかる。この爺さんが昔の仕事仲間や撮影現場を車椅子で訪ね、過去を振り返っていく。シンガポールの過去、それは中華系、マレー系、インド系が一緒になって、映画を作ってきた、懐かしい黄金時代なのだ。
一方これまた郷愁心あふれる短編「That Girl」は、ジャック・ネオ監督。僕は監督の「僕、バカじゃない」シリーズが大好きで、HK盤だけれどもDVDを愛蔵しているが、今回の短編はそれにも通じる子ども時代を描いた作品。
中学生だろう、ひとりの少女が同じクラスの少年に恋心を抱いているが、少年は別の美少女の方が好きで、おまけに不良たちに借金があるものだから、彼らからいつだって追われている始末。少年のことが好きなこの少女は彼の窮地を救ってくれるのだが、少年の方はというと彼女に対して恩を仇で返してしまい、気づいたときには、少女一家の引っ越しの日。走り去るトラックは、追いかける少年との距離をどんどん広げていく…。
長編のタイの青春もの「フェーンチャン」にあるような後日談描写のないところが、短編なりの記憶の切り取られ方で、ときめきや傷つき、後悔など、青春の甘酸っぱさがわずか数十分にぎっしりと詰まっている。
以前から感じていたことだが、国際映画祭で観る限り、プログラマーがそういう傾向のものを好んで選んでいるからかもしれないが、シンガポール映画には、回顧的でノスタルジックであったり、家族や郷土への愛にあふれている作品が多いような気がする。いろいろ調査結果はあるけれど、シンガポールが住みやすい都市の上位になる証しのひとつなのかしら。
(2015年11月14日)

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アジアフォーカス2013/400字レポート ⑥ 「シンガポール・グラフィティ」 [シンガポール]

アジアフォーカス2013/400字レポート ⑥
「シンガポール・グラフィティ」(2013) シンガポール 蔡於位監督

 青春時代を過ごした1990年代を振り返る映画が、東アジアで最近続いている。ポケベルやCDウォークマンなどのアイテムが身近だった世代としては少なからず時代のノスタルジアを感じてきたが、ちょっと食傷気味でもあるところで、全体的にシンガポールを猛烈に意識した心持ちがプンプンしていることが気にならなければ、シンガポールの当時の流行文化が垣間みられる点での面白さが本作にはあった。我々にも共感を呼ぶロレッタ・リーやガンロゼこそは舶来文化だけれども。賞金5000ドルのポップスコンテストを絡め、主人公の両親が営む民歌餐庁でのジョイントライブに至るまでの男女学生たちのグループ交際は、はっきりと定番ではあるが楽しい展開だ。しかしさて、この若者たちの青春ドラマはこの先どう決着するのか? 監督は避妊の重要性を大人たちにやたらと訴えさせていたが…。
けれども残念ながら、主役の二人の仲が親密になって以降は、エンディングまでずっとルーティーンな軌道に乗っかってしまったようだ。「難病」「海外留学」「交際禁止」「ラジオリクエスト」などなどをあまりにも簡単に組み合わせた結果として、素直すぎる物語の締め方。当時の青春讃歌と今の人生の歩みが対になることもこの手のドラマの典型なのだが、NYに渡った彼女の残したサプライズが、観客にとってもサプライズにならなければ、歳月を歳月として受け止められない。ただのコメディ以上のものと位置付けられるべき映画祭作品としては、後半に恋愛ドラマとしての描き込みが足りなかったよう。
(2013年10月2日)

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アジアフォーカス2013/400字レポート ① 「スター誕生」 [シンガポール]

アジアフォーカス2013/400字レポート ①
「スター誕生」(2011) シンガポール 庄米雪監督

これは2011年の製作作品。以前に拝見済みで、今回アジアフォーカスではあらためて観ないと思うので、思い出して書く。
マレーシアの田舎で生まれ、シンガポールのTVメロドラマを観て育った女性が、芸能界に憧れ、アラサー(これは見た目での認識)にもなって、シンガポールに渡って女優を目指した、という話だ。シンガポールが都市国家なので夢のために国境を越えたことになるが、ドラマ「あまちゃん」のような、北三陸から上京してちょっとアイドルに挑戦してみました、というひとつのパターンになぞることもできる。本作では、監督じしんが自演する主人公女性の、なまり言葉や国籍が夢実現の障壁にもなり、まずはエキストラになるまでが一苦労である。
舞台となるシンガポールの芸能界から多くのタレントがカメオ出演しているところが賑やかしくあって、特筆すべきところだろう。太った男の子がマレーシアのパートに時々登場しては、バレリーナになりたいのだと図々しく言う。夢見ることの自由さの象徴である。話が「あまちゃん」にも戻るが、「都会に出てスターを目指す」なんて、キョンキョンの時代よりもずっと以前からある古典的ドラマだ。高級不動産や税率の低さから、世界の超富裕層がシンガポールに移り住み始めていることが、いまクローズアップされている。いまやシンガポールは成功した人が集まる街というわけだ。そういう街を舞台に一旗揚げるという話は、いまみると古風でもあり、表現はまったく競争的でなく、適度な人の情も絡めてつつましく撮られていた。
(2013年9月10日)

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アジアフォーカス2012/400字レポート③ 「ねじきれ奇譚」 [シンガポール]

アジアフォーカス2012/400字レポート③
「ねじきれ奇譚」(2011) シンガポール・マレーシア チャイ・イーウェイ監督

事前にFacebook経由で知っていたので放送をみたのだが、土曜深夜のテレビ番組「Asian Ace」で、9月の第一週、第二週にわたって、日本の白石晃士監督とホラームービー対決をしたばかりだったのが、このシンガポールのチャイ・イーウェイ監督。日本の勝利で終わったけれども、彼のその短編「The Babysitter」にはシンガポールらしい風土が感じられた。テレビ画面でなくスクリーンだったら、相当怖い。石橋杏奈を起用することというルールに負けたのかも。
本作も、三つの話からなるオムニバス的構成で、前述の短編でその才能を発揮しているとおり、それぞれのショートドラマはコメディ的なスパイスも加わって、ユニークな作風を主張できるように作られているし、何枚かの五円玉の穴に針で糸を一気にシューッと通すかのように、各パートに話の繋がりをつけるという、オムニバスならではお楽しみも最後に用意されている。だが、観る側がそこで満足するのもどうかと思うので、できたら、チャイ監督の器用さだけでなく、長編一本を観て、その力量を確認して満足されられたいのだが…。例えば三番目のパート、一家の物語をもっと書き込んでひとつの作品にしてみては、と勝手に想像してみた(第一作「Blood Ties」は長編だそうだが、未見のため、あえて)
(2012年10月15日)

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アジアフォーカス2011試写室レポート:シンガポール映画「すばらしき大世界」 [シンガポール]

シンガポールからの「すばらしき大世界(It’s A Great, Great World)」(10)。映画祭の参加作品を賑やかにするためには、そこに加えたくなる一本かもしれない。大阪アジアン映画祭で観たマレーシア映画のお正月映画「踊れ五虎!」同様に毒がなく、総じてみておめでたい作品である。シネコンでエンジョイするには、とにかく持って来いの娯楽作である。
それも、日本でいえば「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズのように、ノスタルジックな雰囲気を、モノクロなんかでは決してなく、原色もバリバリに色彩鮮やか、楽しく愉快に再現している。シンガポールの戦時・戦後史を巡るドラマ展開は、国民はもとより、国際舞台でも興味持って見られるところであり、結果的にシンガポールのアイデンティティーを内外に認識させることに成功している。良い企画だということ、そしてそれほど出来の悪い映画ではないということだけはまず言いたい。ただ、冒頭に書いた見解からいうと、この作品を正面から評価することは避けたい。
マレー半島におけるシンガポールの現代史が垣間見えるということならば、新鋭ブー・ジュンフェン監督の長編第一作「沙城(Sandcastle)」(10)の方が作品の質からいっても取り上げるべきと思うのだが、プロ野球のドラフトでいうところの“ハズレ一位”の選手の方が大化けする場合もあるし、この「すばらしき大世界」が、観たお客さんにどう受け入れられるかは楽しみなところである。
ドラマは、閉鎖間近の老舗・明珠写真館から始まる。孫娘のミンは店の売却を前に、祖母が切り盛りしていた時代から残されている写真一枚一枚の、そこに写った人々についての記憶を、ベン老人を頼りに辿っていくことにする。
30年前までは、写真館はここではなくて金声路に位置し、その正面には「大世界娯楽場」という、シンガポールで人気だった遊園地があった。その前で長年、ロクロク料理の屋台をしていたというベンが、4枚のポートレートを手にひとつひとつ回想していく。それは、いまはその跡地がショッピングセンターに生まれ変わっている「大世界娯楽場」の思い出でもあり、シンガポール史のハイライトでもあり、その古き良き時代への時間旅行である。
まだ若かったベンは、口の利けない妻ノインと、予算ギリギリの披露宴を催す。両家の親戚が集まり、厨房ではてんやわんやと料理人たちが駆け回る。海南、福建、潮州、広東、客家、上海と様々な言葉が飛び交う幸せの絶頂に、日本軍による爆撃が始まる1941年。ベンは新婚の妻を戦火で失う。映画では、ベンのエピソードは最後に登場する。
映画「八十日間世界一周」のプレミアに、ハリウッドスターのエリザベス・テーラーがシンガポールを訪れることになり、写真館の隣に住み遊園地の児童劇場で働く男アブーが狂乱する1958年。英国支配の末期であり、こういった明るく華やかな話題が、シンガポールじゅうを盛り上げたのだろう。
半島出身の薬売りの青年からアトラクションの「お化け列車」のデートに誘われ、まんざらでもない射的コーナーの売り娘コアン。その二人の恋の結末を迎える1965年。マレー系と中華系の対立を経て、シンガポールは独立を迎える。
園内のナイトクラブ・フラミンゴでは、全盛期を過ぎた女性歌手ローズが、いまも恋人のことを待ち続けて歌っていた。しかしタイでマラヤ共産党に捕えられた後、いまはタイ人と結婚している恋人ヘンリーと再会。失意のローズにとって、そしてまた新たな出会いが生まれる1975年。クラブにはインドネシアの金持ちも訪れるなど、国際経済都市としての様相もみせ始めるシンガポール。
そして、テレビの登場で人々の価値観も多様化するなどして世の中も変わっていき、1978年12月に「大世界娯楽場」はついに閉園するが、そこに至るまでの4話からなるオムニバスである。この「すばらしき大世界」は娯楽作として楽しむだけでなく、4つのドラマの個々の筋立ては表現手法とみなして、シンガポールの過去を振り返るにあたって、なぜこの4つの時点がそれぞれ選ばれたのかという意味を考えていくことも、重要だ。
監督のケルヴィン・トン(唐永健)といえば、かつてアンディ・ラウがプロデューサーとして製作支援をしたプロジェクトに、シンガポール代表として参加した監督だ。ニン・ハオ(中国)やリー・コンロッ(香港)、ホー・ユーハン(マレーシア)などの監督の作品とともに上映された「FFC:アジア新星流」というイベントで観たのが、トン監督の「LOVE STORY」(06)という不思議系の作品。ホラー作「メイド ~冥土~」(05)は、前にもこのホームページに書いたが、UCキャナルシティで観た。振り返ると、デビュー作にあたる青春映画「イーティング・エアー」(00)も福岡アジア映画祭で観ているし、シンガポールの監督の中では、国際的に知られている一人であることに間違いはない。これまで観てきて、一貫したイメージが持ちきれないのだが、批評家出身という経歴らしいので、振り幅の大きい監督なのかもしれない。
(2011年8月13日)

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「Sandcastle」で頭角を現したシンガポールのブー・ジュンフェン監督 [シンガポール]

第15回釜山国際映画祭ではシンガポールの新鋭ブー・ジュンフェン(巫俊鋒)監督の長編第一作「Sandcastle(沙城)」(10)も観た。10月9日、Megabox Haeundae 8にて。あらかじめ眼を通していた映画祭カタログに、兵役を前にした18歳の青年が、学生運動をしていた亡き父の過去を追う、とあったので、シンガポールの現代史が垣間見られるのではという期待もあって。
古めかしく見える昔のシンガポールの記録映像から始まるこのドラマは、一見ちょっと多くの要素を詰め込み過ぎではないかと思われるかもしれないが、それらは有機的に結びついていて焦点がぼやけることはなく、単なる若者の自分探しの物語にとどまらないように、うまく肉づけされているところがあった。
18歳のEnの周囲には、家族のさまざまな問題が積まれている。彼の父親は数年前に病気で亡くなっていて、今は軍人の男と交際している母。しかしEnは、相手の男のことが何だか気に食わない。母の交際には反対している一方で、Enじしんは女の子とエッチしているところをバッチリ母に見られてしまう皮肉さ。
父方の祖母の痴呆が進み、徘徊を繰り返すようになってきた。そのため祖父母と同居することになり、そこで、父の若いころのことを知るようになる、10年前に一家で撮ったホームビデオの映像を、今でもパソコンにおとして繰り返し見ているEnの心の中には父が生きている。父がかつて学生運動のリーダーだったことを祖父から聞き、そこから、中華系シンガポーリアンであるEnの両親のドラマも語られていく。母もかつては活動家だったのだ。いま母親は音楽教師をしており、授業の場面でシンガポールを讃える歌が登場するなど、マレー半島とシンガポールの歩みや国に対する意識も少々絡めながら、物語は展開していく。
岸辺に築かれた“砂の城” は、映画の最初と最後の方に象徴的に登場する。家族の歴史という記憶を辿ろうとするEnの行為は、潮によって崩れていくことが運命づけられている砂の城を必死で守ろうとするような、非常に困難なことなのかもしれない。しかし辿ろうとするその意志が、彼の未来にとっては必要であることを、シンガポーリアンと歴史の関係をオーバーラップさせながら、ブー監督の若い感性でうまく表現している。
この「Sandcastle」は、釜山映画祭の直後の時期に新たにハノイで始まった第1回ベトナム国際映画祭のコンペ部門でも上映され、作品賞、監督賞、NETPAC賞を受賞したそうだ。
何年か前のキネマ旬報に掲載されていたシンガポール映画事情のレポートで、短編映画界で活躍している、このブー・ジュンフェン(Boo Junfeng)監督のことが取り上げられており、また昨年東京で行われた「Sintok シンガポール映画祭」では彼の短編特集も組まれていたことは記憶していたが、それはその時いずれ、シンガポール映画の顔のひとりになることが否応なく期待されていたということ。そして今回、長編の世界でその才能をみごと開花させたブー監督は、このまま、ロイストン・タンに続いていくだろうか。
(2010年11月27日)

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アジアフォーカス2009/400字レポート④「ゴーン・ショッピング!」 [シンガポール]

アジアフォーカス2009/400字レポート ④
「ゴーン・ショッピング!」(07)シンガポール ウィー・リーリン監督

ショッピング・モールは、お金があればもちろんだが、ただ時間だけしか持っていなくてもそれを十分消費できるところで、いまや香港、台北、バンコク、マニラ、KL、ジャカルタなど、どこにでもある。そのなかでもシンガポールは、アジアにおいて先駆け的な存在かもしれない。国際的な高級ブランドショップが連なり、その内観は世界共通、無国籍である(劇中、主人公クララの母親はモール内の牛丼吉野家で働いている!)。
なので、この映画は、ある大都市の物語といえる。マリーナ・スクエアやムスタファ・センターを舞台に、迷子の少女レヌー、日本オタクの“ハユミ姫”、女装の昏睡強盗などを登場させながら、有閑マダム(タイタイと呼ぶそうだ)である40歳のクララの自分さがしのドラマが描かれていく。台湾に妻子を持つ大金持ちの妾であるクララは「エジプトに行きたい、チベットに行きたい」などと呟いてはいるが、自分さがしの空間は、中毒のように買い物を繰り返すモールの内部である。
簡単に結論付けると「幸せはお金で買うことができない」。しかしそんなことはプロローグの、クララの父親のエピソードからすでに語られていることで、観客はまるでウインドウ・ショッピングのようにして、軽く、この「ゴーン・ショッピング!」を楽しむのだ。
(2009年9月30日)

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イケメン、アナンダの出演作を続けて3本観た(上)~「The Leap Years」にはちょっと、がっかり [シンガポール]

先日ここに書いたラオス映画「Good Morning Luang Prabang」の主演男優である、タイのアナンダ・エヴァリンハムの出演作を続けて3本観たので、まとめてみよう。
アナンダはシンガポール映画にも主演していた。Jean Yeo監督の「The Leap Years」(08)というラブ・ストーリーだ。たぶんシングリッシュのダイアログなのだろうが、タイ版のDVDで観たので全体はタイ語の吹き替え。なんだかちょっと変な感じがした。
題名の“うるう年”が示すように、ひと組の男女の4年ごとを描いた作品である。ヒロインの麗安の誕生日は2月29日。彼女は、24歳で迎えたその記念すべき日にアナンダ演じるJeremyと出会う。迷信によると彼は、彼女にとって運命の人。一日だけのデートの後、海外に戻るというJeremyに対して、麗安は4年後のこの日に再会することを誓う。
そして4年後。再会したJeremyから娘がいることを聞かされ、麗安はショックを受ける。
次の4年後。麗安は自分にも娘ができたとJeremyに嘘をつく。
さらに4年がたって2月29日、この日に麗安は、縁があって別の男性との結婚式を迎えるが、Jeremyのことが忘れられない…。
画面では、過去の4年ごとのドラマと現在の二人の姿とが交錯していく。いまや中年、48歳となった麗安は大女優ジョアン・チェンが演じていて、一方でJeremyは寝たきりでもう意識もないようだ。彼の娘らしき若い女性と麗安が、母娘のようにふれあっているが、いまの場面は、過去を描いた部分とはドラマとしても大きなへだたりがあり、たぶん二人はその後結ばれてJeremyの娘とともに家族として暮らしてきたものの、Jeremyは若くして病に倒れたのだなどと類推するしかないが、まあそれはどうでもいいことであり、省略することについて、ここの部分に限ると監督の表現に間違いはないだろう。
だがしかし、正直言ってつまらない作品だ。まず4年ごとの展開が現実的でない。場面は4年後、また4年後と進んでいくが、ある程度に顔を老けさせ、テロップで場面の時代を書いて出せばいいというものではないだろう。メインのキャラクターたちの心には、時間経過がまったくみられないのだ。16年もかけて数年しか経っていないような人生、“うるう年”の意をそんな風に解釈、表現してしまったのか! という感じだ。そのうえJeremyという男はイメージだけのお飾りの存在で、人間としての中身が描かれていない。ルックスこそ抜群だが素性は全くわからず、なぜ麗安はJeremyに執心なのか…。こういう役ではアナンダも演じる甲斐がないだろう。残念である。
もちろん映画は、スポーツ完全中継ではないのだから、話の省略は、物語の構成上必要である。しかし省略することと、たんに絵的に良さそうな場面だけをつなげていくことは別だ。そういう点で、過去のドラマ全般にわたってこの作者は失敗した。
ヒロインとその相手役に魅力が全くないのに比べると、4年ごとに登場する麗安のかつての女性クラスメートたちが脇役ではあるが、何と活き活きしていて存在感のあったたことか。麗安に恋心を寄せながらも見守っている、幼なじみの男性KS役のチー・ユーウー(「881 歌え!パパイヤ」ではパパイヤ・シスターズのマネージャー役)も悪くなかった。
シンガポールの映画というと、マレーシアからの独立後には製作されない時期が長く続いて、その後エリック・クーやジャック・ネオがリードして少しずつ製作本数も増えてきたようなので、国際舞台にもっともっと出てくるようになって欲しい。シンガポールで個人的に好きな作品は、日本でも映画祭上映されたエリック・クー監督の「一緒にいて(Be with Me)」(05)と、ロイストン・タン監督の「4:30」(05)といった、味のある小品。けれどもシンガポール映画の劇場公開作となると、「フォーエバー・フィーバー」(98)や「881 歌え!パパイヤ」(07)など、派手な娯楽作に限られてしまう。
(2009年5月2日)

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ご覧のとおりのタイ版DVD

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「フォーエバー・フィーバー」はシンガポール映画初の全米公開となったとか
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福岡アジア美術館で出会った映像作家シャーマン・オンの才能 その2 [シンガポール]

「はし/hashi」の上映に続いて、シンガポールを活動拠点とするシャーマン・オン監督(1971年生。シンガポール大学を卒業後、TV番組のディレクターを経て、映像作家として活動~プロフィール資料より)の短編作5本を、監督本人のトークとともに順次上映していくというプログラムが続いた。DVD上映で英語字幕のみではあるが、まとめて観ることで、シャーマン監督の映像が持つ様式と哲学をまあまあ掴むことができた。
まず最初からの3本は、たぶん監督にとって“シンガポール・コンテンポラリー・ダンス三部作”とでも位置付けられるものだろう。いずれもシンガポールのTVプログラムとして制作したものだそうだ。3作品とも主題はシンガポール文化の土壌に起因している。ダンスを写実するというのは、フォトグラファーでもあるシャーマン・オン監督のスタイルのひとつらしく、そのさまざまなステップやリズムが、アート表現としての彼の作品をより豊かにしている。
「The Circle」(13分)はナイトクラブで繰り広げられる男女のダンス。それはCircle=輪廻へと通じていく。異なる肉体に宿るのは同じ魂…ロミオとジュリエット的なそのシチュエーションは中華の思想に繋がっていく。
続く「Drought」(11分)は南インドの舞踊バラタナティアム。しかし伝統的というよりコンテンポラリーである。題名は“渇き”の意味だが、隠に子を産めない女性を喩えている。子どもが授からないことはインドでは問題である。ひとりの女性の踊りは、出産の神に司られて蛇の舞いへと変化していく。
「New Begining」(12分)はマレーの文化だ。少年が森で垣間見た光景という形式をとって、イスラム教以前からマレーシアに伝わるアミニズム信仰の儀式を登場させる。男たちの舞いは、トランス状態へと向かっていく。
これら三部作(勝手にそう呼ぶが)をとおして、ダンスと映像の融合を狙うシャーマン監督のオリジナリティーが強く感じられた。
そして四本目の「State of Things」(7分)もシンガポールらしい着想による短編である。シンガポールの国歌はマレー語であるにもかかわらず、国民の4分の3は中華系で国歌の歌詞が理解できないという奇妙な現実に、若者たちへのインタビューを通して迫っていく。ラストシーンで、男だか女だか、どちらにも見えるいわゆるニューハーフにシンガポール国歌を歌わせる。シンガポールのアイデンティティーを象徴させるとともに、混乱させる秀逸なオチである。
五本目の「Exodus」(30分)は再びダンス・フィルム。インドネシア・コンテンポラリー・ダンス・センターに依頼されて制作したものとのことで、ジャワの宮廷ダンスが題材となっている。舞台は中華系の若い女性が勤めるヘアサロン。そこにジャワの伝統舞踊のダンサーである美しい貴婦人が訪れる。会話を排除した映像。ダンサーが美容師をリードしていく形で、二人の舞いは同性愛的なものを暗示させながら昇華していく。
短編の上映と上映の間には監督のトークが展開されるため、ここまでで終了予定の時刻を大幅に過ぎていて、別の用件があった筆者はここまでで中座したのだが、この上映会を紹介してくれたK・N氏に後日聞いたところが、予定外に最後もう一作品上映されたらしい。監督がベトナムで撮ったもので、現地で犬が食される様子を記録したものということ。まさにこの短編プログラムには“裏メニュー”もあったわけだ。
この日まず最初に観た「はし/hashi」はシャーマン・オン監督の初の長編になるわけだが、その後に観続けた短編プログラムから、監督は本来、ダンス・アート・フィルムの雄という顔も持つことを知る。そのようなアーティストが福岡に滞在することになった9月、時を同じくしてアジアフォーカス・福岡国際映画祭が開催され、そこではダンス・ムービーの特集プログラムが組まれた。しかしたとえば香港の「マイ・マザー・イズ・ア・ベリーダンサー」のように、ラストのダンス・シーンを登場人物たちが抱える悩みの決着としてしまうようなエンターテインメント過ぎて消化不良な作品だけでは物足りない(たとえば映画「キサラギ」の最後の小栗旬ら男たちのダンスはたいへん納得できるエンディングだ)。シャーマン・オン監督のこれらのダンス・フィルムも、同時期に監督本人が福岡に滞在しているのだから協賛企画か何かで盛り込んだ方がよかったのではないかと、今になって思う。
12月9日日曜日の午後、福岡アジア美術館・交流スタジオで行われたシャーマン・オン監督のトーク付上映会(入場無料)は延べ5時間を越えたが、あと少しというところで野暮用のため退席してしまったことを悔やむほどの充実ぶりだった。
(2007年12月27日)

蛇足だが、同美術館では特別展「韓国美術のリアリズム1945-2005」も開催されていて、チケットを持っていたのだが、この日は到底観ることもできず、二日後にあらためて足を運んだ。60年にわたる時のなかで、モノクローム絵画だったりインスタレーションだったりと表現のトレンドは変遷していくが、炭鉱、工場に農作業といった労働、戦争や闘争などを捉えて韓国の民衆を浮き彫りにしていく作品が数多く並んでいる。ギャラリーを歩きながら、今年の釜山国際映画祭で観たアーティスティックな韓国映画「With a Girl of Black Soil」(Jeon Soo-il監督)を不意に思い出してしまった。10歳ぐらいの少女を主人公に据えた炭鉱の町の物語であった…。


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ロイストン・タン監督の最新作は、歌台の世界を舞台にした超ド派手なミュージカル・バトルだ! [シンガポール]

昨年2006年のアジアフォーカスに長編第2作「4:30」で参加し、毎晩のように福岡の街でとんこつラーメンを啜り、「881」でまた来年お会いしましょうと言い残してシンガポールへと帰国されたロイストン・タン監督。彼の最新作「881」が、第12回釜山国際映画祭においてインターナショナル・プレミアという形で上映された(10月5日/Megabox Haeundae 5)。レポートする前にまず題名を解説しておくと、これでパパイヤと読むとのこと。881の中国語での発音がそうなるそうで、長編監督作品はこれまでタイトルを「15」「4:30」と数字で揃えてきたロイストン・タン監督の彼なりの主張だと思う。
映画の舞台となるのは、例えると中華版ムーラン・ルージュと呼べそうな“歌台”の世界。歌台のスターを夢見る二人のうら若き女性、小柧と大柧は、Aunt Lingに師事し、コンビ「小柧妹姐(Papaya Sisters)」を結成し大ブレーク! ゴージャスだがちょっとキッチュな衣装で、ステージからステージへと飛び回っては歌いまくる歌いまくる。しかし成功の裏には、魔法の力を持つ歌台の女神様(仙姑)との不思議な約束があった。夢を成就するためには、男性と愛し合ってはならないという固い約束が…。一方、二人の前に強力な美人コンビ「榴槤妹姐(Durian Sisters)」がライバルとして立ちふさがる。物語は後半、まるで、“歌”を凶器にして戦う女子プロレスといったような、ベビーフェイスとヒールの壮絶なロングバトルへとなだれ込んでいく。この激闘は果たして果たして無傷で終わるのか…。心の底から喜怒哀楽できる良質のエンターテインメント作品だ。釜山のステージでは、歌手役を演じた主演女優たちが、映画の中そのままの超ド派手なコスチュームで観衆を魅了、ロイストン・タン監督を含め大注目の映画祭ゲストとなった。
そのロイストン・タン監督は、シンガポールから生まれた傑出した若き映像作家だ。もともと独特の感性で撮りあげた短編作品を多く発表し、海外で特集上映(日本では、ショートショートフィルムフェスティバル2005in北海道などがある)も組まれてきた。シンガポールでは彼の短編11本を集めたDVDがリリースされているので、それを観ると彼のオリジナリティはよく伝わってくる。実験的な作風もあるが、基本的には彼のパーソナルな視線が、その多彩な映像とそれを観る者を繋いでいく。そのなかの短編のひとつ「24hrs」(02)は、タン監督が初めて釜山を訪れたときの感受から生まれたものらしいが、何ともせつないのである。また昨年のちょうど8月15日、小生はタン監督から“Monkeyboy have passed away”という件名のEメールをいただいた。「Monkeylove」(05)という、ある日本人男性が猿の格好をして演じる北海道ロケの作品があるのだが、そのとき出演してくれた男性が水難事故で亡くなられたとのことだった。心から冥福をお祈りした。
短編を発展させたという長編第一作「15」(03)は未見だが、「881」の前作にあたる第二作「4:30」(05)は、11歳の中国人少年と同居する韓国人男性との関係を抑制の効いた演出で描いていて、孤独や心の痛みを映像で伝える、心に沁みる作品だった。私の大好きな作品のひとつである。ここのところだけを起点に考えてしまうと、最新作「881」のギャップは大きいかもしれないが、タン監督の感性やキャラクター、これまでの多様なフィルモグラフィーから考えると当然その延長だと思えるし、何よりとてもシンガポール的な作品ではないか。
簡単にいうと、シンガポールから放たれた、クレージーでハートウォーミングでキッチュでスタイリッシュなパパイヤ爆弾、それが映画「881」だ。日本からも出資しているので、いずれまた日本語字幕付きで観ることのできる機会もきっとあるはずだ。
(2007年10月15日)

個人的には通算で10回目の参加となった釜山国際映画祭
写真は「881」の巨大バナー


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