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20th BIFFから/ニューカレンツ賞受賞作品「Walnut Tree」 [カザフスタン]

カザフスタンのYerlan Nurmukhambetov監督による長編デビュー作「Walnut Tree」(2015)は、ワールドプレミアとなった第20回釜山国際映画祭で、最終日にニューカレンツ賞を受賞する結果となったが、おふざけの小ネタも交えて、明るく、カザフスタン式のライフスタイル、そしてライフサイクルを描いた、僕にとってお気に入りの小品のひとつとなった。
登場する村人たちがその暮らしぶりの中で、男児の割礼から、婚礼、踊りや祝宴といった伝統や風習を、惜しげもなくみせてくれる。
物語は複雑ではない、単純だ。愛し合う若い男女が、家族や友人、隣人たちなど多くの人々を大いに巻き込んで、求婚、婚約、結婚披露宴、妊娠、出産と、人生の階段をひとつひとつ昇っていく。必ずしもすべてすんなりと進むわけではないが、村ではその都度、お約束のようにお目出度い空気に包まれる。色鮮やかなのは、画面だけではない、人生そのものだ。
劇中にも出てくるWalnutとは、ころころとした胡桃の実。題の「胡桃の樹」とは、温かなカザフの人々をたわわに実らせたこの村を、胡桃の樹の太い幹に見立てているのだと考えると、この作品がことさら魅力的に感じられて仕方ない。
(2016年1月8日)

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荷台付バイクに乗った主人公とその悪友たちが、ポスターの絵柄。同じバイクを使うなら、妊婦の妻を乗せて病院へと突っ走る場面の方が良かったかも。いや、賑やかしいカザフ式披露宴の絵もいいな。


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アジアフォーカス2014「ひとり」 [カザフスタン]

「ひとり(Little Brother)」(2013)
カザフスタン
監督 セリック・アプリモフ監督

スクリーンの右から左へか、左から右へかまでは明確に覚えていないが、主人公の少年がダーッと駆け抜けていく場面が何度かある。その時に、まるでアニメのように砂煙が舞い上がって、走行の軌跡をきれいに形作る。こういった光景が当たり前の、山あいの集落を舞台にしたセリック・アプリモフ監督の久しぶりの新作はきわめてオールドファッションな味わい。母は早くに亡くなり父は再婚して隣村に移り、手作りレンガを売って一人暮らししている10歳ぐらいの少年の話だ。
ひとつひとつのエピソードは、少年が大人からいいように扱われている話ばかり。男女の教師のいちゃつきを目撃して反感を買う、鍵を失くして家に入れないロシア語教師の世話を焼かされる、レンガの代金をごまかされる、飼っていた羊を盗まれる、校長の心臓発作の看護をさせられる…と、書き出してみるとそうそう笑える内容でもないが、一人で立ち向かうその姿は、アプリモフ監督がカメラの手前からバックアップ態勢をとっているかのように温かく見守られていて、健気だがユーモアまで感じられる。
そこへ、町の学校に通っているという、年の離れた兄が帰省してくる。弟だというのに、まるで自分が年長者のような歓迎ぶりだ。ちょっと素行の良くない兄に比べても、この弟がいかにしっかり者か。ここでも兄から金を無心されて多少振り回されるのだが、親のような立場で受け止めていく。
けれども、やっぱり弟だ。兄と一緒にどうしても映画が観たくて、6人揃わないと上映が始まらない劇場で6人分支払う場面には子供っぽさに溢れていた。そう、普段の彼は精一杯背伸びして生きているのだ。本当は甘えたいのだ。これまで、泣き出してもおかしくないようなシチュエーションは幾つもあった。「僕は一人でやっていけるんだ」と、それらをひょいと乗り越える彼に対して勝手に強さを感じていたが、しかし最後に兄の乗るバスを見送った後にこの少年が初めて泣いたとき、われわれ観客も含め大人たちはこの小さな少年から逆に気を使われていたのだと気付いて、大いに胸に沁みると同時に、ちょっと安心もしてこちらも涙した。
(2014年11月10日)



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18th BIFFから/全編長回し、75分ワン・カットの「The Story of an Old Woman」 [カザフスタン]

※結末にふれています

シャープで野心的な傑作が、10月4日にBusan Cinema Center Cinema 1で観た「The Story of an Old Woman」(2013)。
New Currents部門でワールド・プレミアされた、カザフスタンの1975年生まれAlexey Gorlov監督による作品だ。計算された実験的アプローチで、75分を全編長回しのワン・カットで撮影しているが、手持ちカメラが追い回すそのメインの被写体は題名どおり、老女のAnna。物語の背景状況は、同時進行する映像の進み具合からしか理解できず、そうなると75分間のワン・カットからはひとときも目を離すことができない。観客の眼の前で芋づる式に繰り広げられていく老女Annaの物語は、以下のとおりだ。
立派なお屋敷に到着したワゴン車から、車椅子の老女Annaが降ろされる。身体は不随状態で、ギョロギョロとした眼の動きと、言葉を発することもできない僅かばかりの口元の動きだけ。息子やその嫁、孫娘やその他親族が代わる代わる老女を出迎えて、老女の前を出入りしては、せわしなく一方的に喋りかける。老女は、不安や安心、満足をその顔つきだけで表現する。反応からすると、呆けているわけではない。どうもこれまでは構ってもらっておらず老人施設に放置されていたのに、何かのために家族の元へ一時帰宅させられたようだ。
無抵抗のまま、老女は化粧され、綺麗な衣装に着替えさせられる。そこまですると、あとは放ったらかし。老女は主役であって主役でないようだ。幼い孫から顔に落書きされたり、飲んだくれの親戚の男から酒を飲ませられたり、ちょっと目を離したすきに車椅子が勝手に転がってしまって、プールに転落してズブ濡れになったり。ひどいものだ。しかしとにかく、すべての場面が一本の綱のように繋がっているので、観ていて息もつけない。
老女を囲んで記念写真を撮ることも、Annaの長寿を祝っているかのような、みえみえの親族の演出だ。これまで親の世話を放棄してきたはずなのにと、隣人が訝るその理由がラストになって判る。約束の時間に財産管理人のような立場の人たちが、ある遺言を持ってこの屋敷にやってきた。それによると、90歳で亡くなったある大企業の創始者の遺志、財産を第二次大戦中に自分の命を救ってくれた看護婦が今も存命ならば譲りたい、捜していたその看護婦がAnnaだということらしいのだ! これで家族が老女を大歓迎する理由がはっきりした。
しかし、その遺言ビデオが流された直後に、Annaは突如苦しみ始めて息を引き取ってしまう。もちろんこれをもって遺産の相続は御破算になるのだが、老女を取り囲んで大泣きする子どもたちは、まだ演技を続けているつもりなのか、相続が白紙になったことで落胆しているかのどちらかで、決して老女Annaとの永遠の別れを嘆き悲しんでいるわけではないという鋭い皮肉が伝わってくる幕切れだ。
長く生きたひとりの女性の人生の、最期の75分間を、普通だったら床で静かに息を引き取るだけのところを、レールにのっけたコースターのようにして、75分かけて描いた。ピタゴラスイッチの仕掛け装置のような面白さがあり、しかしひとの人生としてみると、ゲーム的すぎる臨終かなあとも思った。人生はゲームという言葉はあるけれど。
レールにのったコースターとして、表情だけで演技する老女Annaを強烈な目ヂカラで演じた女優は、撮影後に81歳で亡くなったとエンドロールに出てきた。何という劇的なエピソードだろう。BIFFのニュースの記事によると、この老女優Liya Nelskayaは中央アジア映画界の国宝すなわちレジェンドなのだそうだ。
カザフスタン映画は10月5日にもう一本、CGV Centum City 7で観た。1982年生まれAdilkhan Yerzhanov監督の「The Constructors」(2012)で、これも67分と研ぎに研がれた作品。
住む家のない貧しい三人兄妹を、B&Wで飾りなく描写した。兄妹とはいえ、一番上の兄は成人しているくらいの年。ドラマは言葉ではなくむしろ、映像で語られていく。彼らは居候している叔母のところを追い出され、バスで郊外の空き地へ向かっているようだ。揺れるバスの中で、捨てられた空き瓶が床の上を行きつ戻りつ転がり続ける。彼らが根なし草であることは、もうこれで十分だ。
たどり着いた小石ばかりの荒地一帯が建設中の住宅地であることが、翌朝になって見えてくる。役人がやって来て長兄に、期限までに家を建てないとこの区画は政府に没収されると機械的に告げる。彼らが孤児であることはわかるが、この土地は兄妹のものなのだろうか。金などあるはずもない彼らは、ショベルなどの道具や資材を盗んできて、とりあえず家を形作ろうと作業を始める。盗みで捕まりもし、役人から基礎工事だけでは認められないと言われもしながら、とにかく淡々と作業を続ける。しかしそこには、一貫して絶望的な空気が漂い、一体どうなるのかという不安ばかりである。
ついには、これは違法建築だと宣告され、夜までここにとどまっていたら逮捕すると役人から言われる。しかし彼らに行くところはない、だから長兄は作業をやめない。最後まで家を建てようと続け、夜になるとそれを弟に託し、やって来た一台の車に自ら歩を進めていくのだった…。
そういえば、作品の冒頭で、モンゴルに侵攻され、ソ連に支配されたカザフスタンの土地の歴史がドキュメント風に語られていた。本作で具体的なところといえば、その冒頭部分と、ことあるごとに登場する役人からの通達だろうか。土地所有の呪縛が、それらから感じられた。
(2013年12月15日)

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17th BIFFから/ダルジャン・オミルバエフ監督の「Student」 [カザフスタン]

釜山での上映の後、東京国際映画祭にも出品されたけれど、そちらに比べると日本語字幕ももちろんなかったので理解にとても欠けているとは思うが、10月10日にMegabox Haeundae Mで観た「Student(ある学生)」(2012)についても。
カザフスタンのダルジャン・オミルバエフ監督の最新作だ。2007年に釜山で観た前作「Chouga」はトルストイだったが、今回は文豪ドストエフスキーの小説「罪と罰」の、現代カザフスタンを舞台にしての翻案、映画化。ドストエフスキー作品には、罪人を憐れむというロシア人特有の傾向がみられるというが、淡々とした描写のなかにみえるオミルバエフ監督の、殺人を犯してしまった大学生に対する眼差しには、確かにそれが感じられた。
冒頭の場面にいきなりオミルバエフ監督じしんが映画監督役で登場する。花束を抱え真っ赤なドレスをまとった超美人女優を撮影するシーンである。そこでは若い男性スタッフが、その彼女の美貌に見とれて心奪われてしまい、そのドレスに茶をこぼしてしまう。女優は怒り心頭、黒服の男たちに命じて、そのスタッフをボコボコに殴らせる。そのような目に遭ってしまうのが主人公の大学生で、ここにすでにもう、強者と弱者のイデオロギーが成立している。
彼が高級車にはねられそうになるといったさりげないカットも、貧と富の対比になっている。通っている大学では競争によって成立する資本主義論が講じられる。家賃を滞納し、食糧も乏しいこの金欠学生はとうとう、持ち物を売り払って拳銃を手に入れると、近所の雑貨屋に強盗に押し入った。そこで売上金と引き換えに、店主だけではなく偶然店にきた女性客までも殺してしまった…。
正直者は金持ちになれないと教授は説いていたが、じっさい主人公は激しい罪悪感に苛まれる。故郷から母親と妹が彼を訪ねて出て来たこと、犯行前から親交のあった酔っ払い詩人の死体を路上に見つけてしまったこと、そういったことが主人公の心をさらに激しく揺らす。
象徴的なのが、眠っている彼が夢の中で母親と妹、殺してしまった女性客、そして詩人の聾唖の娘、この四人の女性の乗った車を、なぜなのだろうか、運転しているところだ。…主人公は密かに心を寄せていたこの詩人の娘を訪ねて行き、彼女と強く抱き合うと、さすらうように警察に入っていき、自首をする。
しかし物語にはまだ続きがあって、雪の日、この少女が刑務所で服役中の主人公のもとへ面会にやって来るところまでを描いてオミルバエフ監督はドラマに幕を下ろす。それに前後して、少女の家には詩人の書いた作品をまとめた、刷り上がったばかりの詩集の束が届くのである! それまで主人公が抱いていた孤独感が、別の想いに変わったのだろうことを確信させる終わり方だった。
「罪と罰」は、オミルバエフ作品のみならず世界中で何度も改作されて映画になっているが、日本でもWOWOWによって高良健吾の主演でTVドラマ化されたものを前に観た。年が明けてからはフジテレビが同じドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を原作としたドラマを制作放送しているらしいし、これら名作が今も普遍的であり続けるのは、人間が、物語の大きな要素となりうる“ジレンマ”と、切っても切れない永遠の関係にあるからに他ならないからだと思う。
(2013年2月5日)


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16th BIFFから ~ 「明りを灯す人」のアリム・クバト監督の新作が早くも登場 [カザフスタン]

昨年の釜山映画祭で観てこのホームページに書いた、キルギスのアクタン・アリム・クバト監督の映画「The Light Thief」が、ちょうど一年たって、「明りを灯す人」の邦題で日本でも劇場公開が始まった。
一方で、アリム・クバト監督のその次の作品「Mother's Paradise」(2011)も、今年の第16回釜山国際映画祭に出品されていて、10月9日にLotte Cinema Centumcity 4で鑑賞する機会を得た。これはコラボレーション作品といってよく、カザフスタンの製作会社による、カザフを舞台にしたカザフスタン映画である。脚本はイランのモフセン・マフマルバフ監督なので、何とも才能豊かな顔合わせ。味わい深い佳作として心に残った。
まだ小さな少年たちが背伸びして、廃墟で酒とタバコを嗜み、警官に見つかる場面から始まって、ああ、中央アジアの映画風景だなあとしみじみする。これから叙情豊かに綴られていく物語は、いつかどこかで何度も観てきたプロットのような気がする。けれども、この顔合わせにかかると、また格別の感動作に昇華していく。
まだ小学生くらいの幼い兄弟AmirとSerikbaiの父親は、工場が閉鎖され、稼ぐためにロシアへ行ってしまった。残された二人は、まだ若い母親と、母親の両親すなわち祖父母の家を間借りして暮らしている。二人は、古いアルバムをあさり、父の帰りを待ちわびている様子。母親は、祖父母とはうまくいっていない。貧しい暮らしで子どもたちはジャケットも買ってもらえない。けれども母子三人でベッドに添い寝する姿は、何だか温かい。ちょっと印象深い場面である。
しかしじつは、母親は子どもたちのために、体を売って稼いでいた。兄のAmirは偶然に母親が男に抱かれているところを目撃し、家を飛び出す。夜道、自転車で必死に行方を捜す母親…。その日以来、母親とAmirとの間には深い溝ができてしまう。
ついに母親は、自らの命を絶つという選択をする。二人の子どもにとって、彼女は汚れた存在だったのか。その答えは、その後のカザフ式葬儀の準備の場面にみつけた。母親の亡骸は、裸にされていて、祖母の手によって丹念に丹念に拭き洗われる。その肌が眩しいくらいに輝いてみえたのだ。脳裡から消えることのない美しさだ。激しく泣き続けるAmirとSerikbai。「天国はない」という祖父に同意するAmirと、「天国はある」という祖母に同意するSerikbai。しかしあとで、Amirはこっそりと「母を天国に行かせて」と書いた手紙を、線路の上に置いた。
映画の冒頭で、願い事を書いた紙を線路の上に置けば…という子どもたちのおまじないが出てきたことを思い出し、この結びに、静かにだが激しく心を揺さぶられてしまった。痛みを感じる映画だった。
(2011年11月30日)

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アジアフォーカス2009/400字レポート⑩「さよならグルサルー」 [カザフスタン]

アジアフォーカス2009/400字レポート⑩
「さよならグルサルー」(08)カザフスタン アルダク・アミルクロフ監督

舞台は第二次大戦後の旧ソ連時代。復員したタナバイは、若い未亡人ブブジャンと彼女が名付けた名馬グルサルーに出会う。コルホーズのなかで、人々の手に余るグルサルーを手懐けることができるのはタナバイだけだ。タナバイとグルサルーの間には何か特別な絆があるかのようだった。しかし、党の公用馬として差し出せという議長命令に対して、コルホーズの種馬として必要とタナバイは反論し、怒りを買ったグルサルーは議長によって去勢されてしまう。
妻を持っていながらブブジャンとの恋に落ちてしまうタナバイは、雄馬グルサルーと同じで、無鉄砲なはみ出し者である。飼育員でありながら馬を私物化していると、タナバイは新たに放羊業務を命じられ、「俺まで去勢するつもりか」と叫ぶ。すぐにカッとなる性格が災いし、反体制、危険分子扱いされて、ついには党から除名処分を受けてしまう。一等兵として戦い、戦後は共産主義の確立を仲間のショロと目指していたというのに、社会の矛盾に突き当たってしまう運命、それはほんとうに哀れというしかない。人も馬もいつかは老いぼれていくものだが、用無しとされてしまってはたまらない最後。悲しみに溢れた佳作である。
(2009年10月17日)

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今年のPIFFで目立った中央アジアの映画。さては今の映画界の目はカザフスタン ? [カザフスタン]

昨年の釜山国際映画祭で観た際にここに書いた、カザフスタンのダルジャン・オミルバエフ監督の新作「Chouga」が、来月開催される第9回東京フィルメックスのコンペティション部門に「ショーガ」という題で上映されることになったそうで嬉しい。
また、先日閉幕したばかりの第21回東京国際映画祭では、セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督(カザフスタン)の「トルパン」(08)が、東京サクラグランプリと最優秀監督賞の二冠に輝いた。
さて、これら東京よりもひと足早かった今年の第13回釜山国際映画祭でも、カザフスタン出身Rustem Abdrashev監督の「The Gift to Stalin」が開幕作品となったほか、カザフスタンやウズベキスタンといった中央アジア作品の比重が例年よりも大きくなっていることが特徴のひとつだった。さては、いまの映画界の目はカザフスタンにあるのだろうか。釜山で小生は、中央アジアの作品を3本ほど観た。
カザフスタン映画ではまず、Daniyar Salamat監督の「Together with My Father」(08)がとてもいとおしい作品だった。10月4日にDaeyoung Cinema 3で鑑賞。題名はちょっと意訳すると“父と暮らせば”といったところか。二人きりで暮らしている10歳くらいの少年とその父親のドラマである。なぜ二人暮らしなのかというと、両親は離婚して、いま少年の母は、少年の通う学校であり、教師である父が教えている学校の、そこの校長先生と再婚しているためだ!
この父子家庭は愛に満ちている。二人の生活にはお互いが大きく占めている。厳しくてちょっと身勝手でお人好しで、でも温かい父。ひとつの布団で寝るし、洗濯だって料理だって二人で協力する。そんな父子の日常がコミカルに描かれる。
父親とはいえ、ひとりの男性だ。どうかしちゃったのか、夜にヘンな女を家に連れ込んでしまうし、好きな女性ができるとめかし込んで、くちひげだって剃ってしまう。花屋の綺麗な女性に親子とも一目ぼれしては、振られてしまうのである。そんなことがあっても二人はめげない。今晩も二人で夜道を歩く。仲良く、歌を口ずさみながら…。
最上のハッピーな暮らしぶりではないけれど、愛に満ちた生活はとても豊かだ。スクリーンからその豊かさがあふれ出てくる佳作である。
10月6日にMegabox Haeundae 5で観たカザフスタン映画「Turmoil」(08)も、お人好しで人懐っこいカザフの人々が登場するカザフ賛歌だ。ナレーションで始まり、ナレーションで終わる民譚形式の寓話である。
舞台は井戸がすぐ枯れてしまって困っているKoskuduk村。30年にわたって村長を務めてきたZhake(俳優の渡辺哲さんにかなり似ている)は、選挙でまだ若い美女に負けてしまう。それも7対3の得票で。元村長の人気は高いのだが、まさか落ちはしないだろうと、多くが美人候補に一票投じてしまった結果だ。しかしこの女性村長もなかなか有能で頑張るのだ。潔く引退するはずだったZhakeは、産休に入る女性職員Aimgulに代わって図書館勤務をすることになる。村長職とは違って呑気な仕事だ。何十年も前から貸したままになっている本の取り立てや、ボロボロに破れた本の修理。けれども国の監査では、整理が悪いとか、貸出カードの書き方が間違っていると指摘される始末である。
そこで、村のPRのためにと、Zhakeはギネスの世界記録挑戦を企画する。大食い男のKasymoviに羊一頭を丸々食べさせるのだ。なんとも馬鹿馬鹿しいことを、村人たちは誠実に(誠実だからこそコミカルである)、やり遂げるのである。現代社会では見られない長閑やかなコミュニティがここにはある。その存在自体、もう奇跡でありメルヘンである。
Sabit Kurmanbekov監督とKanymbek Kassymbekov監督の共同監督作品でPIFFがインターナショナル・プレミア。上映プリントには、別の題名「The Fuss」となっていた。
もうひとつ、釜山ではウズベキスタンの映画も観たが、これら2本とはテイストが違うので、別に書こうと思う。
(2008年10月28日)
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今年の釜山国際映画祭のオープニング上映は、カザフスタン映画「The Gift to Stalin」

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釜山でワールド・プレミアのカザフ映画「Chouga」 [カザフスタン]

毎年チケットが短時間でソールドアウトすることが話題のひとつになっている釜山国際映画祭だが、今年の第12回ではクロージングの「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が26分50秒で完売したことで日本アニメの人気の絶頂ぶりが強調されていた(もちろんこれは閉幕式典込みのイベントだけれども)。しかし一方で、客足の乏しい会場があったことをお伝えせねばならないと思う。先日リポートしたクルドのヒネル・サリーム監督の最新作「Dol」は、客電がおちる直前に指で数えたところ、入場者数は19名。日曜の昼間であるにもかかわらずだ。そしてカザフスタンのダルジャン・オミルバエフ監督の最新作「Chouga」(10月8日/CGV Daeyeon 8)はワールド・プレミア上映で18名。数百本もの上映作品のなかで埋没してしまっている。
映画祭の主催者の立場になって考えてみると、単に入場者数を稼ぎたいのであれば観客に媚びるプログラムにすることが得策だと思うが、興行ではなくて芸術文化の祭典である以上はそうもいかないだろう。たとえば「ヱヴァンゲリヲン」の座席数を少しでも足せば50でも100でも足した分だけ入場者数は増やせるだろうが、クルドやカザフの映画の観客をそれだけ増やすのは、容易ではないはずだ。難しい問題だが、製作国としては小さな国々の地味な映画も、批評家の注目は別にして、一般の観客の眼にも少しでも多く触れられて欲しいと強く感じる。
ダルジャン・オミルバエフ監督の「Chouga」は、文豪トルストイの「アンナ・カレニナ」を翻案し、舞台をカザフスタンに置き換えた作品である。ソ連時代後の中央アジア映画において、カザフスタン映画は、これまでに筆者が観た範囲では、オミルバエフ監督の「カルディオグラム(Cardiogram)」(95)やアミール・カラクーロフ監督の「ラスト・ホリディ(Last Holiday)」(96)、セリック・アプリモフ監督の「三人兄弟(Three Brothers)」(00)など、豊かではない境遇の不良少年や多感な思春期などが登場するものが多かったように思う。隣国キルギスのアクタン・アブディカリコフ監督の作品に対しても同様の印象があって、映画を通してカザフスタンにはそういうイメージを強く持っていた(これがウズベキスタンになると民族的な映画がかなりあったと思うが)。
その点では今回の「Chouga」は、ベースが「アンナ・カレニナ」だからでもあるが、カザフのちょっとハイソな社会が舞台になっていて、とても斬新に感じた。原作がロシア文学を代表するものであり、何度と映画化されているものなので、特にストーリーの説明は必要ないと思う。フィアンセと別れたリッチな男と、夫や7歳の子どもを捨てた美しい中年女性の衝動的な恋愛を軸に、その周辺の登場人物たちを巻き込んでドラマは進行していく。そして、さそり座の赤ちゃんが生まれるときには、そのとき何処かに不幸があると、生と死を対比した静かで印象的なエンディングを迎える…。それにしてもこのリッチな男こそはギャンブルで浪費するが、基本的に出てくる人々はみんな豊かな層だ。そういう意味では発見だった。
現実いまカザフスタンでは、遷都された首都アスタナに、建築家・黒川紀章による驚くほど斬新な未来都市が姿を現し始めているのである。
賢明な観客は間違っても、世界24か国でNo.1というふれこみの「ボラット~栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」のような偽カザフ映画を観て、カザフを知ったことにしてはならない。
(2007年10月23日)

追記・「Chouga」は11月27日に閉幕した第29回ナント三大陸映画祭の審査員特別賞を受賞した


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