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21st BIFFから/Shahrbanoo Sadat監督の「Wolf and Sheep」 [アフガニスタン]

職業役者などおそらくひとりも登場しない。アフガニスタンの山あいの村の人々の普遍的な生活が、それぞれがそれぞれの人生の持ち主であるようにして、ドキュメンタリー風に、しかし詩的に綴られる。狼を避けながら羊の放牧が日々繰り返される。そこがアフガニスタンであろうと、どこであろうと、都会人からすればそれは自分とは無関係にみえる客観的な風景だ。テヘランで生まれ今はカブールを拠点に活動しているというアフガニスタンの二十歳半ばの女性、Shahrbanoo Sadat監督は、しかし、夕暮れになると遠くから狼の遠吠えが聞こえてくるような故郷に対する強い誇りを持って描いている。
婚姻や埋葬などの風習も出てくるが、描写対象の多くは無邪気な子どもたちだ。村社会では労働力でもある彼らだが、男女の交流が許されないので、女子は煙草やガールズトーク、男子は小石を使ったパチンコ遊びに興じている。ロマンスめいたこともある。
この「Wolf and Sheep」(2016)は、今年の第69回カンヌ国際映画監督週間で芸術映画賞を受賞したそうだ。デンマーク=フランス=スウェーデン=アフガニスタンの合作。
(2016年11月30日)

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21st BIFFから/イスラエル映画「One Week and a Day」 [イスラエル]

Asaph Polonsky監督のイスラエル映画「One Week and a Day」(2016)は、何だか不思議な魅力をもったデビュー作。題名は、ユダヤでいうところの初七日のようなことだろうか。人生これからという25歳の息子を失ったある中年夫婦の、葬儀後の虚脱しきった日々をシニカルに描いている。感情を露わにして泣き叫ぶわけではない。喪失感からただただ歯車の噛み合わない日常が、もうほとんど奇行化してしまい、それぞれが一人でコントをしているコメディアンのようだ。妻は無気力、無愛想で職場復帰できず乾ききっている。夫は偶然手に入れたマリファナに頼ろうとするがうまくいかない。
絶えず笑わせられながらも彼らの奇行を観続けていくことで、この夫婦が体面を無視して自分の感情ただそれだけに正直に向き合い、自分なりの方法で、哀しみと格闘しているのだということに観客は気付き始める。隣の家の青年との交流もうまれる。さて、夫と妻は再生できるのか。そのことについてこの映画は観客の期待を決して裏切りはしないのだ。その証拠はラストの一瞬に対する客席からの拍手だ。
(2016年11月23日)


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21st BIFFから/ブリランテ・メンドーサ監督がプロデューサーの「Expressway」 [フィリピン]

ブリランテ・メンドーサ監督の名前がプロデューサーとしてあがっていることで、俄然注目して観たフィリピン映画「Expressway」(2016)。Ato Bautista監督の作品で釜山がインターナショナル・プレミア。プロデューサーの名前から想像したとおりのピノイ・テイストのドラマだ。「きよしこの夜」の調べから静かに始まるが、それはひと仕事前の殺し屋の瞑想の時間に過ぎず、スクリーン上では、無口で職人気質の殺し屋Benと若く熱しやすいその相棒Morrisによる、非情な仕事が繰り返されていく。
Benの流儀には納得できずやたらと暴走気味のMorris。クリスマスの季節感に包まれたこの街で、銃弾の乾いた音が響き、飾られたツリーの前に死体が転がる。そのコントラストがフィリピンの気鋭の監督のひとつの美学だ。そしてこれを最後に足を洗うつもりのBenがピアノで弾き語る「きよし…」のメロディには、贖罪の意が込められているかのようだ。
ここでは詳しく書かないが、BenとMorrisには過去から運命的な因縁があった。だからラストシーンでMorrisがBenに銃口を向けることは、ある意味で神様による巡り合わせだった…。銃声だけが夜空に響いて、このドラマはストンと終わる。誰が誰を撃ったのか。
キャストとスタッフのクレジットは、最初に冒頭の「きよしこの夜」の調べにあわせて出てしまっているので、作品は銃声を最後にもう本当にストンと終わって劇場内は直ちに明るくなる。
あまりにも潔い余韻のなさ。それは殺し屋が銃弾一発で確実に仕留める作法のよう。ヤラレた。
(2016年11月17日)

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21st BIFFから/「Diamond Island」 [カンボジア]

経済成長するカンボジアの若者の上京物語だ。プノンペンで建設が進む一大プロジェクト「ダイアモンド・アイランド・シティ」。テレ東の「未来世紀ジパング」でも紹介されていた中国資本の巨大プロジェクトだ。完成予想CGが劇中に登場するとおり、首都の発展を示す現実の未来都市計画、その現場を支えているのは農村部からの出稼ぎ労働者。軽装で危うい手つきの彼らの楽しみは夜。女の子たちと知り合い、ディズニーランドと比べてもはるかにショボい遊園地で都会の生活をエンジョイすることだ。それは昼間に過酷な労働を担う彼らがみることのできる最高に背伸びした夢であり希望であり、しかしそれはこの大都市にやがて立ち上がる高級マンションに比べるとはるかに小さい。
何年か前にやはり釜山で観たドキュメンタリー「Golden Slumbers」のDavy Chou監督による劇映画「Diamond Island」(2015)。音信不通だった兄との再会、女性との出会い、田舎に残してきた母の死、現場仲間の大怪我…、物語は若者たちのひとり、Boraの視点で描かれる。
何年後だろうか、カフェの店員となったBoraには、完成したダイアモンド・アイランド・シティを見上げている日がくる。その時、この街並みづくりに関わってきたひとりとして、青春時代の痛みが思い出されるのだろうか。急激に身長が伸びる成長期に起きるという成長痛、これは体に限らず、伸びゆく国、香港やシンガポールを追うように成長しようとしているカンボジアの人々の心にもあらわれる痛みだ。
カンボジア=フランス=ドイツ=タイ=カタール合作。
(2016年11月13日)
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21st BIFFから/ナミビア映画「The Unseen」 [ナミビア]

世界を理解する一助にと、広く世に出ていない国々の映画をできるだけ観るようにしている。国際映画祭はまさにそういう機会を提供してくれる場だ。釜山で初めてナミビアの映画を観た。ナミビアってどんな国? ナミブ砂漠があって南アフリカのすぐ西に位置することくらいまでは言える。アフリカ開発会議が何年かおきにあるごとに新聞や雑誌がアフリカ特集を組み、その都度国々についていろいろ調べてみるがそれが持続できていないので、このような映画鑑賞が再度のきっかけにもなる。
プロフィール写真からみて若いのだろう、ナミビアの、インディペンデントのPerivi Katjavivi監督(脚本も)が撮った「The Unseen」(2016)は、独立後歴史も浅い母国のカオスそのものだ。全編モノクロの映像は現代でありながらノスタルジック。ローカルな言葉が聞き取れる街の雑音以外は、ほとんど流暢な英語で撮られている。それは国際的な上映のためなのか、それとも登場する三人が、知識層だからなのか。
一人は、坊主頭の男。各地を巡りナミビアの地から何かを得ようとしているのは、彼が映画俳優で役づくりに必要であるからのようだ。さりげなくアフリカの歴史や国のアイデンティティーが出てくる。もう一人はドレッドヘアの男。ミュージシャンの彼は、街角で得意げにラップで世の中を表現する。最後に室内に居るパーマ髪の女。ひきこもりなのか、自暴自棄な生活が繰り返されている。
70分ほどのなかで三人は絡むことなく同時進行する。詩的なカットや実験的な映像が多用され、おまけに監督は哲学的な言葉を引用する。映画的にもカオスであって、そこから僕はナミビアを勝手にイメージしてみるのだが、もっと多くの作品を観る必要が僕にはあることを痛感した。
(2016年11月9日)

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21st BIFFから/ホー・ユーハン監督の最新作「Mrs K」 [マレーシア]

ホー・ユーハン監督の最新作「Mrs K」(2016)は香港との合作で、主役のK夫人を演じるベテラン女優クララ・ワイ(ホー監督の「心魔」にも出演していた)やサイモン・ヤムのほか、フルーツ・チャン監督まで香港から出演しているが、K夫人の夫役にも台湾のロックシンガー・伍佰などの賑やかなキャスティングがまず楽しい。しかし何より、出だしから終わりまで、グーッと掴まれっぱなしで、この作品の握力の強さから逃れられない。
いきなり謎が始まり、続いていく。釜山でのワールドプレミア上映を受けて「The Hollywood Reporter」がタランティーノ的な!と報じたとおり、医者を夫に持ち高級住宅に住むK夫人(劇中に固有名は出てこない)とはいったい何者なのか。冒頭から、凄技で宅配便を装った強盗一味を撃退してしまう。明らかに普通の主婦ではない。彼女には絶対に何かあるはずだから、スクリーンの前で瞬きもできやしない、しかし物語上の説明は極めて乏しい。
正体不明の男たちが、K夫人にまつわるマカオの過去をチラつかせながら見え隠れし、ついには彼女の娘が誘拐される。えっ何の目的で…? 身体能力的には普通なのだろう夫も巻き込んで、娘奪還を図るK夫人一家はアクション全開。
娘じしんも脱出を試みてはまた捕まりの繰り返し、救出劇は一進一退だ。クララ・ワイと対峙するサイモン・ヤムにも、もちろん恐るべき存在感があるものだから、とにかく観てのお楽しみだ。映画消費者にとっての満足度は大。
(2016年11月7日)

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キャセイ80周年記念作品「新四千金」 [シンガポール]

キャセイ創立80周年を記念して製作された映画「新四千金(Our Sister Mambo)」を観た。適齢期の4人の娘をもつ、シンガポールの一家のドラマで、65歳だというお父さんがキャセイ社に永年勤続する劇場支配人という設定なので、名作のワンシーンもふんだんで、キャセイ映画を回顧してその歩みをたどる内容にもなっている。なによりも、このお父さんは女優グレース・チャンの大ファンということで、娘がうまれるたびに、長女はグレース、次女からは順にマンボ、ローズ、ジューンと、グレース・チャンの代表作(「曼波女郎」「野玫瑰之恋」「六月新娘」)にちなんで、名付けてきた。
英語題Our Sister Mamboからみて、監督・主演作「Already Famous(スター誕生)」で知られる庄米雪の演じる次女マンボが、四姉妹描写の標準点といえるだろう。料理好きが高じて弁護士事務所を辞めタイ料理の鉄人シェフに弟子入りしたマンボを除く姉妹たちは、バツイチの子連れ中国人男性、西洋人ボーイフレンドたち、偶然出会ったインド人とそれぞれ交際しており、仏映画「最高の花婿」のような、一家の困惑ぶりが楽しく描かれる。アラブ、ユダヤ、アフリカンといった多様性がフランスらしいと感じられたのに対して、こちらはこちらでシンガポールの土地柄がみえてくる。とにかく愉快で、80周年記念映画なのだから、物語は不幸せには向かわない。
温厚な父親が年齢設定以上のおじいちゃんに見えるのに対して、その妻(母親)は見た目からは五人姉妹ではなかろうかと思えるくらいに若くて快活、オフィスでバリバリ働いている。韓流ドラマにはまっているのがカワイイところで、理想的なシンガポールのカップルなのだろう。
愛すべきキャラクターたちが織り成す、キャセイによるキャセイのためのお目出度い喜劇作品。往年のスター、グレース・チャンが本人としてカメオ出演するだけでは終わらず、キャセイの黄金期を象徴する曲「ジャジャンボ」のメロディーにのせて、ラストで繰り広げられる登場人物総出演のダンスシーンがハイライト。デジャヴのような、至福のクライマックスだ。
「ピノイ・サンディ」の、ウィ・ディン・ホー監督。
(2016年6月17日)

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トルコ映画「Nekro」(2015) [トルコ]

トルコ映画の「Nekro」(2015)。
İhsanという、大病院に勤務する用務員の男の常軌を逸した奇行を描いたドラマである。この男、たいへん陰気で仕事もろくにできない。周囲からも馬鹿にされ、つまはじきにされている。
そういう彼が女子更衣室に潜んで看護師たちの私物を勝手にいじるぐらいは序の口で、最大の楽しみは遺体安置室に忍び込むことである。若い女性の全裸の遺体を抱いては、性的な快楽の頂点を味わっているのだ。
その中でもひときわ美しい一体に心を奪われ、墓場から泥だらけの遺体を掘り出してしまった彼は、独り住まいのアパートにそれを連れ帰ってしまう。そして常識外れの、死者との同棲生活が始まるのである。
専門的にはよくわからないが、İhsanは薬のようなもので遺体の手入れを繰り返していて、変色も硬直もあまり進まないようだ。だから美貌を保ったままの遺体を抱き、買ってきたドレスやアクセサリーを付けさせ、真夜中に屋外に連れ出しては二人っきりのデートまでも楽しんでいる。
まあ、もっともよくわからないのが、彼はどうしてそこまでの変態になってしまったのかということだ。この病院にはドラッグ中毒の女性看護師なども登場し、病んでいる病院勤務者の描写には事欠かないのだが、そういう行動が提示されるだけで、作品じたいから心理的な深みはみえてこない。奇人の行動をビジュアル重視で描かれても、ちょっと消化不良。İhsanが異常であることは、不気味なメイクを施すことで、観客に理解させようとしている。
まあ、隣部屋で孤独死があっても、人を監禁していても、なかなか気づかれないような時世で、都会では自分のそばにこういう人物が潜んでいてもおかしくはないし、また逮捕されたとしてもその動機の解明は保証できないことは、極めて現実的なのだが。
本作では、さすがに遺体の異臭も激しくなってきて、İhsanの行動を不審に感じたアパートの大家が警察に通報しようとしたところで、観念した彼は、死、すなわち彼女のいる世界へと向かうことを選択する。これも取って付けたような行動だなあと思う。
Pınar Sinanという女性の監督の長編デビュー作。
(2016年4月7日)



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クルドのドキュメンタリー「Baglar」 [クルド]

今年2月から3月にかけて開催された第15回ifイスタンブール・インディペンデント映画祭の上映作品のひとつで、Melis Birder監督とBerke Baş監督、二人の女性監督による共同監督作「Baglar」(2015)。
トルコ南東部の都市ディヤルバクル。ここの住民の多くはクルド人で、Kurdistan Workers’ Party(PKK)とトルコ軍が絶えず衝突を繰り返している地域。劇中には、トルコ兵士めがけて投石を繰り返すクルド住民たちの、実際の生々しい映像も所々に織り込まれているが、作品の中心はスポーツ。ここのBaglar地区のバスケットボールのクラブチームの成長を追った魅力的なドキュメンタリーだ。
身体能力はあるが、街が荒れて貧しい暮らしぶりを強いられている若者たちをバスケットボールの世界へと引き込んでいくのは、見た目はかなりでっぷりとした、40歳手前ぐらいの熱血監督Yildirim。もとは小学校の先生だそうだが、私財も惜しまずチームづくりに人生を捧げている。後々、彼はトルコバスケットボール協会から、青少年の健全育成に貢献したとして表彰されることになるのだが、彼の持論はユニークで「石を投げるな、ボールを投げろ」。若者たちがクルド兵士に身を投じないで済むよう、バスケットボール選手として食べていけるよう、そういう願いが込められている。なかなか立派な人物で、バスケットの技術以上に、コーチングの才に長けているのだと思う。
だから逆に「これは戦争だ!」と、Yildirimは試合中でこそ叫んで、選手を鼓舞する。彼らの試合のシーンは、ラップ調の音楽も添えられていて小気味いい。もちろん彼は、試合に勝つことだけを考えているのではなく、チームの若者たちの私生活のことも親身に考えている。軍と住民の衝突や、住民の決起集会やデモなどの現実社会のできごと、また軍の空爆によりまだ若い命が犠牲になるという悲劇に並行して、チームは勝利を目指す。それがYildirim流の、クルドのまちづくりでもある。
トルコ国内2部リーグへ!という夢、そのためには宿敵アナトリア・ライオンズを倒さなければならない。エンドロールによると、本作はサンダンスの支援で撮られているそうだ。
(2016年3月15日)

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トルコのインディペンデント映画「Köpek」 [トルコ]

トルコ=スイス映画「Köpek」(2015)は、ボスポラス海峡を見渡せるイスタンブールの街で繰り広げられる3つのドラマで構成された作品だ。どの物語も、朝の始まりから日が暮れるまでの一日の出来事を同時進行で描いていて、いつもどおりの普通の一日のようにして幕が開くものの、すべてがすべて悲劇的な結末を迎える。それぞれのストーリーの登場人物は、物売りの少年、村出身の女性、世間から眉を顰められているトランスジェンダーと、いわゆる社会の弱者ばかりで、ダイナミックな活力を持つ大都会の中では、非力な彼らの存在が否応なしに運命づけられていく。
飲んだくれの父親がいるものだから、学校にも行かずに、警察に追っ払われながらチリ紙を売って歩く少年。スターバックスやマクドナルドが並ぶ街中を巡りながら、母犬に死なれて取り残された一匹の仔犬に出会う。こういう境遇の少年にしか、命の尊さが理解できないという、都会の冷たさ。仔犬を足蹴にする高級居住地区の警備員に我慢ならず、少年はその警備員を刺してしまう。夕暮れにパトカーのサイレンが響き渡る…。
バス運転手をしている夫、8歳ぐらいの娘と、家族三人で平凡に暮らしている主婦。突然の連絡で呼び出された彼女が再会したのは、10年前に故郷の村で付き合っていた恋人。兵役で命を落としたはずの彼がじつは生きていて、彼女の居所をやっと知り当て、出てきたのだという。復縁の申し出を固辞して家に戻った彼女は、他の男性と密会していたことを知って逆上した夫に言い訳を聞き入れてもらえず、一方的に腹を刺されてしまう…。
遠目からみるとスタイル抜群のグラマラスな美女、しかしその正体は、男っぽい顔つきが完全には隠せないトランスジェンダー。街中では美女としてちょっかいをかけられ、または異端な存在として疎ましく扱われている。かつてのボーイフレンドのことが忘れられない彼/彼女は、女性と結婚してしまったその男を追い回すものの復縁はありえず、飲んだくれた挙句、夜の酒場の男たちに暴行を受ける…。
Esen Işık監督という女性監督による第一作だが、ところで、作品の冒頭で故Pippa Bacca氏に捧げるとクレジットされていた。この人物って誰?と、観終わってネット検索した結果、花嫁姿で中東を目指してヒッチハイクの旅に出るというパフォーマンスを試みたイタリア人の女性前衛芸術家で、イスタンブールで消息不明となったのち、トルコ国内で埋められた全裸遺体となって発見されていたことがわかる。イスタンブールでの暮らしでは、ただただ泥だらけになるしかすべがない登場人物たちの人生の暗示が、ここに意図されているのだろうか。
振り返ると、劇中に、このPippa Baccaを思わせる花嫁姿の女性ストリートミュージシャンが、登場人物たちも往来する広場に立って、ギターを手に熱唱している場面があった。行き交う大勢の人々に対して、自分という存在を、一人でもいいからと何とか印象付けようとしているかの如く。
今年2月から3月にかけて開催された第15回ifイスタンブール・インディペンデント映画祭の上映作品のひとつ。
(2016年3月7日)
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